Starting Point with Smile -2-



 

 居住室の一角、シンラは一番日当りのいいベッドの上でユウナ達を迎えた。
「なーんだ、べそかいてるって聞いたから急いで飛んできたのに。」
「また素顔を見損ねたな。」
 拍子抜けしたようなリュックとからかい半分のパインに向って、小さな少年は淡々と答えた。
「マスクはトレードマークだから外せないし。」
 表情はマスクの下になって分からないものの、まだ少し鼻声のようだ。ユウナは枕元に膝を突き、優しい笑顔で覗き込んだ。
「どうしたの?何があったの?」
 一呼吸分の躊躇いの後、彼女の首に小さな腕を絡み付けると、シンラはぎゅっとしがみついた。
「…目が覚めたら、いなくなってた。」
 切れ切れな訴えは、どうも要領を得ない。
「消えちゃった。」
 現れた者、消えた者。まるで入れ替わるように。ユウナの意識野に奇妙な符号が引っ掛かった。
 けれども今は原因の究明よりまず少年の心を落ち着かせることが先決。彼女は震える小さな身体を無言で抱きしめてやった。「誰」がいなくなったのかは、恐らく彼にも分からないのだろう。分からないから、こんなに不安がっている。
 しばらくしておずおずと顔を上げたシンラは、そこで初めて金髪の青年に気がついた。初対面のはずである彼をひと目見た途端、それは口からするりと出た。アルベドきっての天才少年が放った一言は、そこに居合わせた誰をも驚かせた。
「帰ってきたってことは、…成功だし。」
 中でも一番びっくりしたのは、言われた本人だったろう。空色の瞳を見開いたまま、呆気に取られて声も出ない。自分自身ですら分からない帰還のからくりを、まるで知っているかのような口ぶりだ。
 絶句する年長者達。お構い無しに言い終えてから少年はふと首をかしげた。ほとんど無意識のうちに出てしまったその言葉を、口にした本人も不思議がっているような仕草だった。
「成功…?」
 真っ先に我に返ったパインは、それを聞きとがめた。行動を共にするうちにユウナの過去に触れる機会は何度かあったけれども、詳しいいきさつは知らないし聞こうともしなかった。そこに誰も踏み込めない聖域を感じていたから。
 スピラの各地で思い出の欠片を拾い集めては、彼女は泣きたくなるくらい澄み切った笑みでそれを包み込んでいた。彼女の思い出に住まう人は、すでに手の届かない場所にいるのかもしれないとすら推測していた。
 シンラは彼のことを何か知っているのだろうか。
「ティーダがどうやってスピラに戻ったのか、知ってるの?」
 かつてのガード仲間に行儀悪く人差し指を突きつけながら、リュックも疑問を口にした。かつて目の前で、透明な風のように空に溶けた彼。いかにして元の姿を取り戻したのかは彼女自身不思議に思っていたことだった。
「ちょ、ちょっと二人とも。」
 振り向きざま、ユウナは慌てた様子で二人をたしなめた。精神的に参っている様子のシンラに、これ以上混乱させる質問はよくないと思ったのだ。
 けれども心配は無用だった。ティーダをつらつらと観察していたシンラは、いつもの調子で肩をすくめ首を横に振った。そしてお決まりの台詞を、さも当然のように呟いた。
「…ぼくまだ子供だし。」
 黄金のパターンに行き着いてしまった。短い沈黙の後、リュックとパインは我知らず顔を見合わせ、苦笑した。
 分からないことを年齢のせいにして煙に巻くその様に、この幼い少年が常のペースを取り戻したと知って安心したこともある。それに何より世界のそこかしこで起こる不思議な現象とそのメカニズムは、未だ解明できていないことのほうが多い。それはこれから皆が力をあわせて研究すべき課題なのだ。ましてやここでシンラを問い詰めたとしても、有益な情報は何一つ得られないに違いない。

 それきり黙りこんだベッドの上の少年と、ビサイドの海に帰って来たばかりの青年を交互に見比べていたユウナは、不意にある考えに行き当たった。
「さっき消えてしまったと言っていた人のことだけど…。」
 それは突拍子ない考えに思え、彼女自身口にすることを一瞬ためらった。
「その人は、シンラ君の中にいたんだね?」
 少年は、膝の上のシーツをくしゃりと両手で握り締め、小さな声で答えた。
「多分。」
 顔を上げたユウナの視線が、ティーダの真っ直ぐなそれと交わった。その刹那、異界の深淵に佇む小さな少年の姿が脳裏を駆け抜ける。
 かつて召喚という名の呼びかけに応え、共に戦った仲間。自ら消えることを知りつつ夢の終わりを願い、異界へと旅立った祈り子。
 安息の地を手に入れたはずの者たちは、悲しみの影に囚われて苦しんでいた。胸を焼く業火のような憎悪に引きずられた憐れな死人達。
 コンサート会場のスフィアスクリーンに投影された映像は、単なる偶然ではなかった。1000年の時を越え、空いっぱいに溢れた恋人達の物語。戦いによって生み出された果ての無い悲しみに触れ、誰もが涙を流した。コンサート会場にいた全員の心は、歌姫の想いを拠り所にしてひとつになった。
 
 もしかしたら祈り子の少年は目の前にいるこの子の中に潜んでいて、大切な人へ繋がる道を探す手助けをしていてくれたのではないか。争うことの空しさ、悲しみの歴史を繰り返すことの愚かしさを伝えるため、あの映像をスピラ中の人に見せたのではないか。

 実証する手立ては何もない。 けれども…
 祈り子の約束は真実となって、今、目の前にある。

 傍らに佇んだまま、黙して見守るティーダ。その眼差しは日輪の恵みをそのまま受け継ぐかのように光と熱とを内包している。染み入るように温かな視線を頬に感じながら、ユウナは小さく息を継いだ。
 もう一度一緒に歩きたいと望んだからこそ指笛は聞こえた。彼が戻りたいと願ったからこそ還ることが出来た。けれども自らの力のみで成就がかなったと錯覚するような傲慢さをユウナは持ち合わせていなかった。
 過去から未来へ繋がる連綿と続く人の想いの中で、励まし支えてくれた仲間あってのこと。祈り子達もまた大切な仲間だ。そんな彼女の想いをまた祈り子も受け止めた。
 ユウナが一番会いたいと願う人、太陽の名を冠した青年を、ビサイドの海へ導いてくれた。
 繋がる先は、共に歩む未来。

「大丈夫、消えちゃったわけじゃないんだ。」
 ユウナは少年の背中をぽんぽんと叩いた。
「悲しまなくてもいいし、無理に忘れる必要もないし…」
 それは、シンラ君の中にきっと居たんだと思う。腕の中に預けられた頭を撫でながら、そう言葉を継ぐ。
「その人は想いの欠片になって、ずっとこの胸の中にいるんだよ。きっと。」

 スピラ中のみんなに、歌と映像を通してレンの想いを伝えてくれた。
 大切な人に繋がる道を教えてくれた。

 そして 共に歩んだ仲間として…
 シンラ君の中にも、私の胸にも、生き続けるんだ。

「スフィアスクリーンは、僕の発明だし。」
 ユウナの言葉を何と受け取ったか、シンラは少し不服そうな調子で呟く。
「そうだね。」
 花開くように眩しい笑みが、小さな少年の顔を照らした。










 白とエメラルドグリーンのコントラストもくっきりと、眼下に広がるビサイドの珊瑚礁が目に眩しい。
 飛空挺の甲板に立ち、潮風に髪をなぶらせながらティーダは大きく伸びをした。
「さっきの話だけど…ユウナの言ってたのって、あいつのことだろ?」
 広げた手をそのままに勢いよく振り向いた彼は、ひとつひとつ確かめるような調子でユウナに問いかけた。
「ベベルに居た祈り子。いつも謝ってばっかりの。」
 予想が当たっていたことを、黙って頷く彼女の仕草が証明した。やっぱりな。と、彼はその逞しい肩を僅かにすくめた。



 帰り道が分からないままぼんやり浮かぶ海の中、水を震わせ伝わる指笛の音。耳に届くたびそれは暖かさと懐かしさと、ほんの少しの焦燥感を伴って胸に響いていた。
 呼んでいるのに、約束の場所へたどり着くことがかなわない。永遠とも一瞬ともつかない夢幻の時に漂う彼に、覚醒の時は突然やってきた。



「あいつの声が耳元でしたと思った途端、急に目が覚めたっていうか…自分の輪郭がはっきりしたっていうか…そんな感じだったんだ。」
 目に痛いほどの青。ティーダは空を仰ぎ見ながら、透明な風を胸いっぱい吸い込んだ。
「だから、オレが今ここにいるのは、ユウナとあいつのおかげッス。」
「約束の合図は、キミに届いてたんだね。」
 振り向きざま大きく頷いて、彼は続けた。
「ユウナの指笛が聞こえるたび、帰らなくちゃって思ってた。」
 少し俯き加減になって、照れたように笑う。それからティーダは顔を上げ、もう一度ユウナを見つめた。視線を絡め取られ、太陽からつかわされた空の欠片を彼女は眩しげに見つめ返す。
 
 どうしたらいいか分からないほど胸いっぱいに溢れる想いを、彼はごく短い言葉に乗せた。他にどんな言葉を尽くすより、捧げたかった言葉。
「ありがとう。呼んでくれて。」

 お互いの約束を結び合わせ再びめぐり合った時、真っ先に伝えたかった。

 ただいま。

 そして自分を呼び自分を生かす、世界で一番大切な人に。
 これまでも、これからも、全て伝えたい。

 









 ありがとう。




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ずるずる延びてすみません。

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