Smoothie kiss




「全く、冗談じゃないっつーの!!!」
 スタジアムを飛び出したティーダは、待ち合わせのカフェ目指して全力疾走しながらひとしきり悪態をついた。
 7月度の月間MVPの栄誉を勝ち取った褒美が、アポ無しぶら下がり取材の仕打ちとはどういうことなのか。
 おかげで遅刻ではないか。
 できることなら最愛の人との逢瀬を阻む不届き者らに面と向かって言ってやりたいところだったが、さすがにプロ選手としての自覚が彼を押し留めた。
 悲しいかな、話題にしてくれる人間あっての稼業なのだ。だからこそ、時々、余計にやりきれなくなる。

*
 
 ユウナは、約束の時間に間に合わなかった恋人に腹を立てるどころか、多忙を慮りねぎらってくれた。
 それに引き換え遅刻の言い訳を並べ立てる男なぞ、どう見積もってもみっともないだけだ。忸怩たる思いが上乗せされて、怒りは容易に収まらなかった。
 それでも、彼女の贈ってくれた「おめでとう」の言葉に、ふっと心が軽くなる。輝かしい記録を打ち立てたのだという実感が、ようやく追いついてきた。
「ずっといい成績を取り続けてると、みんなそれが当たり前に思えてきちゃうのかもね。でもそれが続けられるって、凄いことだよ」
 ユウナは微笑んで、スムージーのストローを指でつまんだ。次も取れる保証はないと混ぜっ返したら、確信めいた光をたたえたオッドアイにぶつかった。
「キミならきっと取れるよ」
 まるで明日の対戦カードを読み上げるかのように、彼女がさらりと口にした予言は、不思議なほどすとんと腑に落ちた。
 新記録を更新すればするほど、世の人々は当然のようにその先を要求する。期待という名のプレッシャーは、全く重荷に感じないといったらウソになるけれど。
 ユウナの言葉なら、無条件に信じられる。ユウナの言葉なら、実現できる気がする。
「頑張ってね。わたしとキミのために」
 甘やかな声が耳から滑り込み、体中に染み込んでいく。世界中の何にも代えがたく愛しい存在が、誰よりも自分のために走り続けろと囁いてくれる。
──それ、究極の殺し文句ッス。
 世界の全てを、喜びも悲しみも共に味わいつくそう。
 望みを二人で分け合うことが、こんなにも強く己を奮い立たす。
 苛立ちは、いつの間にか溶けてなくなり、代わりに心を満たしていたのは力強い意志の光だった。

 いつだってこれからだって、手を抜くつもりなどさらさらない。だが、他の誰でもない、ユウナにそう言われては、立ち止まってなんかいられない。
 涼やかな青い瞳を丸くさせてから、ティーダは降参といった体で両手を掲げて見せた。
 小首をかしげて柔らかな微笑を浮かべている世界で一番可愛い人は、自分のホールドアップの意味をきっとお見通しに違いない。
 涙というものは、悲しい時に流すものとは限らない。幸せ過ぎて、嬉しさと共に溢れるそれは、往々にして突然のタイミングでやってくるから油断がならない。
 目の奥がじんと熱く痺れるのを、彼はミネラルウォーターに何気なく口をつけるふりでやり過ごした。

*

「何飲んでるの?」
 話題を変えるべく、ティーダは向かい側のグラスを覗き込んだ。質問の意図を知ってか知らずか、ユウナは素直な笑顔を恋人に向けた。
「桃とヨーグルトのスムージー。飲んでみる?」
 勧める顔は、嬉しそうだ。彼女は食べ物をシェアすること、とりわけ自分が美味しいと感じたものを人に分けることが好きだ。喜びを人と分かち合いたいという振る舞いが、いかにも彼女らしい。
「口移しなら、喜んで」
 ティーダは、言いながらテーブル越しに身を乗り出した。息の触れ合う距離の近さに、心の臓が煽るのを感じる。鼓動の高ぶりに応じるかのように、ユウナの頬もぽっと紅を灯した。
 恋人の素直な反応は期待通りで、思わず笑い出しそうになる。彼女は顔と顔の間にグラスを割り込ませるようにして、ティーダの鼻先にストローを突き出した。 
「冗談はそこまでっす」
 焦る様子も、ちょっと怒った顔つきも可愛いから、ついからかってしまうのだが、最近では彼女も鍛えられたと見えて、切り返しも随分こなれたものだ。
 自分を誘ってやまないくせに、つれない言葉を紡ぐその唇は、可愛さ余って何とやら。
 駆け引きのできる親密性を心地よく感じながら、彼は次の一手を鮮やかに繰り出したのだった。
「今は間接で我慢しとく」

*

「さて、これからどうしよっか。ユウナはどこ行きたい?」
 初めてこの街を歩いた時も、ユウナと一緒だった。ザナルカンドとは違う、空の広い開放的な景観と見慣れない色彩や調度。見るもの全てが目に新しく、けれども都市の持つエネルギーと幾何学的な感触とに故郷と同じにおいを感じながら、アーロンの姿を探して回った。
 込み入った雑踏を歩くのはいかにも初めてという物慣れない様子だったユウナの姿が、今でも微笑ましさと共に目に浮かぶ。むしろ土地勘はなくとも大都会の喧騒を泳ぎ渡るのには慣れていた分、彼女をエスコートできていただろう。
 奥ゆかしく半歩控えて歩きながら、それでいて、はぐれまいと離れず着いて来る仕草の愛らしさ。歩調を合わせて歩くのは、自分の置かれた状況をうっかり忘れるくらい楽しかった…というのは、気持ちに余裕のある今だからそう思い起こすのかもしれない。

──思えば、あれが初デートだった…かも。

 紺碧の海にもくもくと湧き上がる積乱雲は、あの日も今日も変わらず見える。隣に佇む少女との間柄は、数奇な運命を経てかけがえのないものになった。
 ユウナは、小首を傾げて少しだけ考えるふりをしていたが、きっと答えはもう決まっていたのだと思う。
「どこでもいいよ?」
 控えめな彼女らしい答えだった。一緒にいられるのなら、場所は問わないといういじらしさが透けて見えて、思わず往来の真ん中で抱きしめてしまいたくなる。
 口許を必死で引き結んでいないと、だらしなく笑み崩れてしまいそうだった。
──不埒な衝動を抑える代わりに、せめてこれくらいの愛嬌は許してくれるよな?
 粋がる努力は怠らず、せいぜい余裕ぶって見えるように肩をそびやかし。持て余す情火を、冗談で幾重にもくるんで。
 彼はあらん限りの気力を総動員して、とびきりの笑顔を可愛い人に向けた。

「どこでもいいなんて言ってると、オレ部屋に直行するよ?」

-fin-



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フォルダに残ってた「わたしのエース」の残骸をリサイクル…ごにょごにょ。

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