わたしのエース
待ち人は、約束の時間に15分ほど遅れて現れた。
スポーツカフェのテーブル席で、ユウナはドリンクのグラスを小さく掲げて見せた。ぽってりと厚く大ぶりのグラスは、小さな水玉を滴らせ涼しげだ。
しなやかな体躯をユニフォームに包んだ姿はよく目立つ。ましてやここは無類のブリッツ好きが集う場所。店内の目が、試合のハイライト映像を流すスフィアディスプレイから逸れて彼を追いかけてくる。
エースは、集まる視線を営業用スマイルで牽制しておいて、そそくさと彼女の向かいにやって来た。そして腰を下ろして開口一番、
「待たせてごめんっ!!!」
出てきた言葉は謝罪の一手。
頭とテーブルが激突せんばかりの勢いにユウナはむしろ慌てながら、彼が最大限はらったであろう努力をねぎらった。
「ちょっぴりだから、気にしないで。それに、ここにいると退屈しないし」
まだすまながってしょげた顔つきの恋人を安心させるためというより、八割がた本心だ。離れている間ちょっぴり寂しくても、それだけ会える期待も大きくなる。
ティーダはここルカで、ビサイドオーラカの、否、ブリッツ界のエースとして活躍する身。万事が自分達の都合通りに動くことなどあり得ないことは承知の上だし、彼のブリッツにかける情熱とプロ意識には、惚れ直しこそすれ文句を言うつもりは無い。
*
「それより、7月度の月間MVP獲得、おめでとう」
遅刻の罪を笑顔で水に流し、ユウナはつい先ほど見た速報の当事者に賛辞を贈った。
「あれ、耳が早いッスね」
彼は白い歯を見せたが、運ばれてきたミネラルウォーターに口をつけてから話し出した内容は、ぼやき口調だった。
「3期連続だから報道も手を抜いててさ。帰り際にアポ無しでコメント取りに来るって、信じられないっつーの」
今日の遅刻は、どうやらその辺りに原因があるらしい。周囲をはばかって声を落としたものの、ずいぶんと腹に据えかねている様子だ。
彼の披露するふくれっ面をひどく可愛く感じてしまって、ユウナは思わず口許を指で押さえた。そうでもしないと、声を上げて笑ってしまいかねない。
ティーダが片眉をちょっと跳ね上げたので、彼女は笑いをこらえながらストローを口に含んだ。蜂蜜入り桃とヨーグルトのスムージーは甘く軽やかに喉を滑り落ちていった。
*
「ずっといい成績を取り続けてると、みんなそれが当たり前に思えてきちゃうのかもね。でもそれが続けられるって、凄いことだよ」
ユウナはそう言って、薄紅色の飲み物に飾られたミントの葉をストローでつついた。
「次もいけるかなんて、分かんないしな」
皮肉をちょっぴり加えて混ぜ返した彼は、まだ少しご機嫌斜めのようだ。けれどもユウナには確信があったから、グラスから視線を上げて請合った。
「キミならきっと取れるよ」
彼は小さく肩をすくめてから、固めた拳を小さく突き上げた。
「もちろん次も狙うッス。ユウナのために」
日焼けした精悍な顔を、不敵な笑みが彩った。
冗談めいた口調でなされた、厳かなる宣誓。二人がけの小さなテーブルの上で、大きな挑戦が羽ばたき始めるのを、彼女は微笑んで見つめた。
キミの望みはわたしの望み。キミの喜びは、わたしの喜び。
「頑張ってね。わたしと…キミのために」
*
わたしのために頑張ってくれるなんて、なんて嬉しい言葉だろう。
応援するよ。だから、誰よりも自分自身のために頑張ってね。
そう言ったら、ティーダは涼やかな青い瞳を丸くさせてから、降参といった体で両手を掲げて見せた。
ちょっとはにかんだような笑顔が眩しい。
自分のグラスを置いた彼が、ユウナの手元を覗き込んだ。
「何飲んでるの?」
「桃とヨーグルトのスムージー。飲んでみる?」
戯れに勧めたのは、注がれる興味津々な視線がくすぐったいから。彼が見るもの聞くものに目を輝かすたび、彼女の心も浮き立つ。もっとも彼に言わせると、味見そのものよりも『ユウナがあんまり美味しそうに食べているから』という理由で欲しくなるのだそうだ。
いずれにしろ、自分が美味しいと感じるものを大好きな人も美味しいと思ってくれたら嬉しい。だからユウナは、いつものようにコップを差し出した。
ところが今日は、いつもと少々勝手が違っていた。
*
「口移しなら喜んで」
ティーダは、言いながらテーブル越しに身を乗り出した。距離の近さに、ユウナの頬はぽっと紅を灯した。
「冗談はそこまでっす」
ぴしゃりと言い渡したものの、早鐘を打ち出した心臓はちっとも静まらない。そんなに熱っぽい瞳で見つめてくるなんて反則だ。彼にしたら不機嫌の種がまだくすぶりを続けているのかもしれないが、こんな所でそんな意地悪を言われても困る。
顔と顔の間にグラスを割り込ませるようにして、彼女は恋人の鼻先にストローを突き出した。すると、
「…はーい」
さすがに場所をわきまえたのか、ティーダはあっさりと引き下がって大人しくストローをくわえた。…かに見えたが、その右手はちゃっかりとユウナの手をグラスごと捕まえていて。
「今は間接で我慢しとく」
形のよい唇が、ストローから離れた途端に意味深な言葉を紡ぐ。
ご馳走様とばかりに自らの口元をなめて、彼は陶然と目を細めた。おかげでせっかく静まりかけた彼女の心臓は、また勢いよく踊る羽目になったのだった。
*
カフェを出ると、ティーダはユウナに尋ねた。
「さて、これからどうしよっか。ユウナはどこ行きたい?」
初めてこの街を歩いた時も、彼と一緒だった。カフェで見かけたという目撃者の話を頼りに、アーロンを探しに出かけた。ビサイドのひなびた景色とも、スピラの中心都市ベベルとも全く違う闊達な空気。都会の持つ独特のエネルギーに圧倒されている自分を、彼はいかにも物慣れた様子で、同じく初めて歩くはずの場所をエスコートしてくれたのだった。
行き先の明確に決まらないまま散策する二人の足は、いつしか山の手に向かっていた。
思えば、あれが初デートだった…かも。
あの時彼は、半歩先を、こちらの歩調に合わせながらゆっくり歩いてくれていた。でもわたしはといえば、彼の着ている鮮やかな色のパーカーや、陽の光を受けてきらきら輝く金の髪を目印に、人込みの中をはぐれないようについて歩くのが精一杯だった。
今なら、何の気負いも無く隣に並んで歩くことが出来る。
…手、繋ぎたいな。
ユウナはそんなことを面映く思いながら、彼に答えた。
「どこでもいいよ」
キミと一緒なら、どこでも。
*
「どこでもいいなんて言ってると、オレ部屋に直行するよ?」
彼がとびきりの笑顔でさらりと言ってのけた言葉は、内緒ごとのニュアンスを含んでいて、ユウナを急にどぎまぎさせた。
「却下です!」
ぴしゃりと言い渡したものの、恥じらいのために首筋から頬に熱の集まるのが分かる。明け透けな望みを隠そうともしないそのストレートさは、時に彼女を惑乱させる。
火照りのおさまらない頬を両手で押さえ、ユウナは上目遣いに意地悪な恋人を睨んだ。
自分だって本音を言えば、一緒にいられるなら流行のスポットでもシーツにくるまっていても、どっちでも構わないけれど、二人で過ごせる時間は飛ぶように過ぎてしまって短いから。
連れてって欲しいところが、たくさんあるの。キミと一緒に見たいこと、聞きたいこと、たくさん。
そんな彼女の無言の訴えを聞き届けたのか、からかって悪戯心を満足させたのか、ティーダは街を一望できる名所を挙げた。
「んじゃ手始めに、北の見晴台へ行こう。新しい屋台が出てるってさ」
言葉に尽くせないほどの思い出が詰まった、大切な場所でもあるそこは、最近では様々な移動販売店が集まることで特に人気のデートスポットになっている。
提案した彼が、手を差し出してにこりと笑う。ユウナがその手に指先を絡めると、大きな掌が彼女の手を包んだ。
手に手をとって、二人は遊歩道を再び歩き出した。
一緒に笑顔の練習をしたあの日から、スピラはたくさん変わってきた。
場所も、人も。
わたしのガード、そして今はスピラ中から愛されるエースのキミ。
変わりながらずっと続いてる想い。
時が移っても変わらない、わたしの大切な、キミ。
-fin-
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EB09交流掲示板にて公開したものです。FF10でのユウナ一人称、ひらがな表記の『わたし』は、彼女らしい柔らかさが出ていて凄く好きです。なのでX-2での表記にちょっぴりがっかりした覚えが。(笑)ちなみにマイパソは、『おれ』と打つと『オレ』への変換がデフォです。
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