Endless Story
コバルト色を染め抜いた空に、日輪は金の光を弾いて高い。
港での用事を済ませたユウナは、その足で浜辺へ向かった。時計の針は、そろそろ午後の練習が終わる頃を指している。今日は昼からの便で着いた荷の中に、数日来待ち構えていた物を首尾よく探し当てることが出来た。大きな木箱に納められキーリカを経由して彼女の元へやってきたのは、ルカの書店に頼んであった三冊の本だ。
ここは住み心地に申し分のあろうはずもないが、買い物に限っては都市に比べればどうしても若干の不自由を感じることもある。それでも物や人の行き来が増えて、この港への定期便も日に三度と随分便利になった。
島の素朴な人々は、押し寄せる豊かさの波を上手にあしらいながら、昔ながらの質素な暮らしぶりを守っている。日の昇りきらぬうちに漁師は小船で漁に出かけ、村から聞こえる手織りの音も、伝統を頑なに守って変わることがない。このひなびた空気も多少の不便ささえも、美しい海と豊かな緑に彩られた南海の楽園ビサイドの良いところと、ユウナは捉えている。
長く待てば、それだけ期待や楽しみも増す。蝋引きの紙で丁寧に包まれた一抱えを胸に抱いて、彼女は足取りも軽く、オーラカの練習場となっている海辺へ足を運んだ。
珊瑚礁の海と、浜辺の白い砂によって鍛えられたチーム、ビサイド・オーラカは、ざっくばらんな雰囲気と爽快な試合運びが魅力のチームである。そのオーラカが最近強力なルーキーを得た。二年余り前のエボンカップ時に迎え入れた助っ人が、正式に選手としてチーム入りした格好だ。
「ユウナ!」
彼が目ざとくこちらを見つけ、伸び上がるようにして手を振った。誰よりも島の自然と太陽との両方から恵みを受け継いだかに見える青年は、数奇な運命を経て、再びビサイドの浜辺に立つに至った。
紺碧の海、湧き上がる雲の白さ。
手を振る彼の笑顔が眩しい。
彼のいる現実が、実感となって胸をいっぱいにする。ユウナも手を振り返し、愛しいエースの名を呼んだ。
「ティーダ!」
虹の滝をくぐる小道にさしかかったところで、とうとうと落ちる清流の帯をティーダが指差した。
「喉乾いたな。水、飲みに寄っていい?」
彼は冷たい水飛沫を頬に感じて、喉の渇きを急に思い出したのだった。村に帰るまで我慢できないこともないが、一度真水が恋しくなると、いてもたってもいられない。
「水筒が小さすぎて足りなかった?」
顔を曇らせたユウナに、ティーダは慌てて手を振った。彼女は、自分に落ち度を感じてごめんねと続けかねないが、そもそも彼女の責任ではないのだ。用意してくれたボトルは一人分なら十分な大きさだったし、詰めてあった彼女お手製のスポーツドリンクだって味も機能も申し分なかった。ただ、強いて言うなら、味のよいことが今回は裏目に出たかもしれない。
説明のとっかかりを探して、彼は、がしがしと頭をかいた。
「ワッカがさぁ、自分の水筒忘れたんだ。今日は慌てて家出たとか何とかで。美味いからって何度もせびるし、一口だけだって言ってるのにがぶ飲みするし。だいたい動きもしないで大声で怒鳴るだけの癖に、選手の命綱を横取りしてるんだから、ちょっとは遠慮しろっつーの」
生理的な苛立ちも手伝って、ティーダは調子の良い兄貴分への憤懣をひとしきりぶちまけた。聞いているほうはといえば、笑いをこらえるのに一苦労だ。容赦なくこき下ろすのは、身内に対する気安さの裏返しでもある。
あの日、島の海辺に現れた彼を村に連れて来たのはワッカだった。以来、過酷な旅路の中で築き上げた信頼関係は、突然の別れに始まった二年余の空白を挟んでなお一層深さを増し、歯に衣着せぬ間柄として続いている。ユウナには、それが嬉しくてならない。
大好きな島で、大好きな人達と。静かで穏やかな生活に、ささやかな幸せを実感する。夢のような日々が現実になったのは、一番かけがえのない人がそばにいてくれるおかげ。
またこんな風に笑いあえる日が来るなんて。胸を温める想いを噛み締めながら、ユウナは声をあげて笑った。
「美味しいから…って、もともとはルールーに教わったレシピなのに。でも、評判がいいなら、今度はみんなの分も差し入れしてみようかな」
「あいつら甘やかさないでいいッスよ、味を占めるから」
「厳しいね」
ユウナの素朴な感想に、ティーダは澄まして答えた。もちろん自分のことは棚に上げてである。自慢の彼女が優しい心の持ち主であることは十二分に承知しているが、他の男どもに無闇に情けをかけてやる義理はこれっぽっちも無い。
「ハングリー精神も、プレイヤーの必須アイテム」
いささか意地悪な動機で断じて、彼はにっと笑った。
そして、さしあたりの問題をまた思い出し、難しい顔になって滝壺を覗き込む。
流れ落ちる水は、手を伸ばすには遠すぎて、思いつきを実行に移せそうもなかった。
一緒に思案顔だったユウナは、近くに清水の湧く場所を思い出して膝を打った。久しくそこを訪れていないが、雨の恵みが絶え間ないこの島のことだから、今も枯れてはいないだろう。
「水を飲むなら、いい場所を知ってるよ。来て」
彼女の手招きに従って、ティーダも背の高い茂みに覆われた岩の割れ目を下った。
「こっち。誰にも内緒だよ」
崩れて傾いだ遺跡の作る窪みに足をかけながら下りると、半ば苔むした小さなフロアにたどり着いた。半分崩れ落ちた壁の向こうは、生い茂る緑が広がっている。緑のてっぺんは、ちょうど天窓のようになっていて、切り取られた空が覗いていた。降り注ぐ日光で床は気持ちよく乾いている。部屋の隅には岩肌が迫り、その隙間からは水が湧き出て幾筋も流れ落ちていた。
風が谷を渡るたび、湧き水の作る涼が二人を包む。
ティーダが岩の窪みに両手を浸し、湧き水を両手にすくって口に運んだ。清涼な癒しが喉を駈け下り、渇いた体内をたちまち潤していく。喉が乾いていたことを差し引いても、水の味は格別だった。彼は思う様喉を鳴らして貪った。
「うまい!」
口の端を手の甲で拭いながら、彼は晴れやかな顔を上げた。
「でしょ。ここの湧き水は、ビサイドの中でも多分一番美味しいと思う」
ユウナも、清水を両手に受け、味を確かめるように口に含む。冷たい水は、昔と寸分違わぬ美味しさを保っているようだった。
「ビサイドに来たばかりの頃、ルールーに教えてもらった場所なの。女の子同士の秘密でね…ふふ、ワッカさん達には…あと、キマリにも内緒だったんだよ」
ユウナは懐かしそうに辺りを見回して笑った。
「ここで、おままごとをしたり、おやつを食べたり、本を読んだり…読書に熱中しているルールーの膝を枕にしてるうちに、お昼寝しちゃったこともあったな」
彼女の幸せな思い出話に相槌を打ちながら、小さかった頃のあどけない二人を想像して、ティーダは思わず口許が緩むのを感じていた。
常にユウナの側を離れなかっただろうキマリにさえ内緒だった場所。そこに自分が立っていることに妙な優越感を感じるのは、いささか大人気ないだろうか。
昔ここでままごとをして遊んでいた幼い少女は、今、咲き誇る花のように美しい姿で同じ場所に立っている。
秘密を打ち明けながら悪戯っぽく微笑む彼女に、彼も破顔した。
花椰子の作る影が風に揺れる。葉を透かして差し込む光が、床に複雑な文様を描き出した。
砕いた色石を敷き詰めた床の上に、二人は腰を下ろしていた。
岩肌を流れ落ちる水の音に時折小鳥のさえずりが混じり、開放的な広間は軽やかな音楽で満たされている。谷を吹く風は、緑と水に磨かれて、ひんやりと心地よい。
モザイク床に足を投げ出し、頬を撫でる風の涼しさをしばらく無言で楽しんでいたティーダは、隣のユウナに向かっておもむろに問いかけた。
「なあ、ユウナ。突然なんだけど、お願い聞いてもらえないッスか?」
ユウナが向き直ると、いつの間にか彼は正座の形に膝を揃え、身を乗り出すようにしてじっとこちらを見つめている。
「ど、どうしたの?改まって」
尋ねたユウナに、ティーダは期待に満ちた目を向けた。行儀良く座って待つ様子が、どことなく、主人の号令を今や遅しと待っている大型犬を連想させる。
「ここでルールーに膝枕してもらったって言ってたろ。そん時みたいに、ユウナの膝をオレに貸してくれない?」
彼の望みは、驚くほど他愛の無いものだったが、ユウナの思考はそれを唐突で思いがけないものとして捉えた。姉妹同然の子ども同士と、男女の間でとは、その意味合いも当然異なってくる。彼女は我知らず火照る頬を両手で押えた。
「……えっと」
ためらいが邪魔をして、彼女の返答は意思表示を含まない曖昧なものになった。
「ダメ?ユウナがイヤなら、今日はやめとく」
あっさりと言を翻した彼の笑顔は、けれどもどことなく残念そうな色を混じらせていた。
さらっと口にされた『お願い』の中身は、膝の上に相手の頭を乗せるという、行為としてはしごく単純でありふれたものだ。何も難しいことではない。きっと、世の恋人達の間では普通のことに違いない。
「イヤなんかじゃないよ」
要は自分の気持ちひとつなのだ。ましてや彼とならば、ダメでも、イヤでもない。けれども妙に構えてしまう。意識すまいとすればするほど、うまくいかない。
急に熱を出したみたいに真っ赤になって、ユウナはそのまま固まってしまった。その華奢な肩を、ティーダはいたわる様にぽんぽんと叩いた。
「無理すんなって。また今度にでも」
苦笑交じりで出た言葉は、偽りの無い本音だ。別に断ることもなく実力行使に出たって構わなかった。ユウナは困った顔をしながらも多分許してくれただろう。けれども、彼はあえて彼女に図って判断をゆだねた。
無理強いをしたくないという理由をつけて、その実、自分自身も迷っていたのかもしれない。図々しい下心が無いとは、正直なところ口が裂けても言えない。二年余りのうちに、ユウナはまた更に綺麗になっていた。花のようなたおやかさはそのままに、成熟した女性の色香を身につけた彼女。その全てが彼の男を惹きつけてやまなかった。
再会を固い抱擁で喜び合った仲とはいえ、自分は彼女の優しさに甘えすぎているのではないかという気持ちもどこかにあった。
ただ、宣言した通り、あきらめたわけではない。今回がダメならまた今度。焦ることも急ぐこともない。時間はたくさんあるのだから。
「…無理なんかじゃ」
ユウナは、口ごもりながら床のモザイク模様に視線を落とした。
彼の望みをかなえることに決してやぶさかではないのに、引き下がられてしまったら、どうしていいか分からなくなってしまう。照れくささだけが増して、体感温度が更に二度ぐらい上がった気がした。
無意識に床を彷徨わせた手が、油紙に包まれた本に触れた。滑らかな手触りと重みに、心がすっと落ち着き、脳裏にある考えが湧いた。
「うん、いいかもね」
一人頷いたユウナは、包みを手に取って解きにかかった。隣で自分の膝に頬杖をついていたティーダは、彼女の手元をひょいと覗き込む。
「それが、今朝言ってた新しい本?」
「そうなの、ここでしばらく読んでもいいかな」
もちろんッスよ、と白い歯を見せた彼に、彼女は続けた。まだ靄のように漂っていた逡巡を振り払うように。
「その間、膝を貸してあげる。どうぞ」
それとなくオーバースカートの裾を膝に引き上げ、ユウナが促す。何気ない風を装った彼女の頬は、気恥ずかしさの残滓を残してまだほんのりと紅い。ティーダは蒼天を写し取ったような瞳を丸く見開いた後、ほどなく笑み崩れた。
「んじゃ、お邪魔しまーす」
神妙な台詞を軽い調子で呟いて、彼はころんと寝転がった。青い布地に包まれた腿の上に、そっと頭を横たえると、レースのキャミソールとボトムとの間から覗く白い肌が間近に映る。
頬に感じる、生気に溢れた弾力と熱。鼻腔をふんわりとくすぐる、ユウナの匂い。
言いようの無い心地よさと、体の芯から湧き上がる充足感に、知らず陶然と吐息が漏れる。が、至福の境地に独り浸る時間は、ものの数秒と続かなかった。
「あ、こっち向いたらダメ!」
切羽詰った声と一緒にユウナの両手が降ってきて、頬を挟んだ。そのまま上向かされた先には、焦った様子の彼女がこちらを見下ろしている。下腹部を見つめられると恥ずかしいというのが、ダメ出しの理由らしい。しぶしぶ反対側を向いたティーダだったが、今度はふと思いついた悪戯の誘惑に耐え切れなくなってしまった。
頭をほんの僅か起こし、ユウナの足を覆っているスカートの端をひょいとつまんでめくる。二つ並んで現れた膝頭から、ふくらはぎにかけて続く稜線のすらりと伸びやかな様は、否応なく彼の心をかき乱した。
「…ちょ、ちょっと…、きゃっ!」
直に頬を押し付けられて、ユウナは思わず小さな悲鳴を上げた。彼が頬擦りするたびに、ふわふわと跳ねる彼の金髪も肌を撫でる。触れられた部分から広がる熱感と我慢できないようなくすぐったさが、不可思議な情動を連れて来る。
訳もなく叫びだしてしまいたくなるような焦燥は、喜びの感情に酷く似ていた。とはいえ、彼の所業をただ嬉しいと認めてしまうのは、何だか悔しい。
「悪戯するなら、もう貸してあげません!」
彼女はできるだけいかめしい顔を作って言い渡した。
「…はーい」
どざくさまぎれに、可愛らしい膝小僧にちゃっかりと口付けたのは、罪状に書き加えられただろうか。彼は首をすくめると、大人しく上を向いた。
天窓のように開いた破れ目から差す木漏れ日がまぶたをくすぐる。けれどももっと眩しいのは、ちょっと怒ったような顔して覗き込んでいるユウナの、海の青と若葉の緑を象った瞳。
焦がれるほど恋しい存在が、こんなに近い。一対の美しい輝きに見つめられだけでもう、自分の内から湧き出す愛しさを止めることが出来ない。不謹慎だと咎め立てされても、溢れた想いが制御を離れて、勝手に笑顔の形になる。
ユウナは目許をほんのりと染めたまま困った顔をしていたが、やがて、はにかみがちに微笑んだ。前髪をすき、額を滑る優しい指先は、ほんの少し火照りを含んで温かだ。
「…ずっと見つめられると恥ずかしいから、目をつぶっていて」
瞳を閉じると、再びそっと触れた柔らかな手のひらが、むずかる幼子をあやすように目蓋を撫でていく。目をつぶることで鋭敏になった聴覚をユウナの密やかな息遣いが満たし、委ねた身から伝わる快さとあいまって、彼の意識をさらっていく。
ティーダはユウナに全てを預けたまま、いつしか眠りに誘われていた。夢見心地のまま、かけがえのない人の名を呼ぶ。
「ユウナ」
彼の声は密やかだが確かに波動となって、森を微かにさざめかせた。そして。
「なあに、ティーダ」
世界で一番大切な人の声が、彼の胸に響く。天を奔り海を貫く一条の光となって、太陽に命を吹き込む。
───愛してる。
酔夢の扉をくぐってしまったティーダの囁きは、ユウナの耳には届かない。けれども彼女は何よりも、膝に感じる生命の証こそを、彼のくれる約束と感じていた。
葉擦れのかそけき調べと小鳥の歌、流れ落ちる清らな水音に包まれて、静穏な時が流れていく。
ふとページを繰る手を止め、彼女は視線を落とした。
「眠ったの?」
問いに返る答えはなかった。朗らかな笑い声を上げ、彼女を困らせて悪びれる様子もない小憎らしい唇は、今は軽く引き結ばれたまま。鍛えられた胸筋が上下するのに合わせ、健やかな呼吸音だけが繰り返される。
眠るその顔が幸せそうに見えるのは、自惚れなんかではない。自分感じている幸せと同じくらい、彼もきっと。
幸せの重みをしみじみと味わいながら、ふと、ついさっきまでの心持ちを思い返し、吹き出しそうになる。
膝枕ひとつで、あんなに恥ずかしがって大騒ぎした自分が滑稽で、可笑しくて。
きっとこれから先も、二人で歩いていく道は初めて尽くしに違いない。笑ったり、泣いたり、時には怒ったり喧嘩したりしながら、ひとつひとつ一緒に乗り越えていく。だから。
ユウナは彼の肩を包むように抱き、穏やかな寝顔にそっと呟いた。
───もう二度と、この手を離さないよ。
輝く空と海の間で再会した二人の、未来へと続く物語。
-FIN-
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おめでとう!ティユウ再会6周年!
今年はピンクを合言葉に、ティユウはじめて物語”膝枕”編をお送りしました。
(ほんとは初めてどころか、出会った翌日くらいにユウナん膝枕してますけど(汗))
恋人になりたての初々しい二人を描きたかったのですが、約一名アドリブをかましまくるバカが…
スカートめくりとか、あり得ねえ!(大笑)
素敵な作品の集まるお祭り会場に、こんなのが混じるのを想像すると穴掘って隠れたい気分ですが、もし少しでも楽しんでいただけたら、うれしいです。
Thanks to
Wieder2009
Presented by Doremi*
Sunny Park*
お気に召したら、ぽちっと一押しをお願いします
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