時折わずかに揺れる灯明の光だけが、時間の流れを教えるようだった。書架の影が、ぼんやりと照らされた石造りの床を黒く切り取り、磨き上げられた無機質の表面に幾筋も伸びている。
 薄暗い廟の空気はひんやりと冷たく、僅かに埃っぽい匂いを混じらせていた。



永遠の一瞬




 少女の青い袴が、自らの動きによってふわりとなびく。明るく清楚なその姿から、大召喚士といういかめしい肩書きを想像するのは難しい。うら若い来訪者は踵を返し、数冊の書物を胸の前で抱えて歩き出した。
 聖ベベル宮の地下には、封印を施された廟が数多く存在する。その中で、この場所は最近になって発見されたものだ。
 ここに葬られているのは、死者ではなかった。何層にも分かれた広いフロアそれぞれには、膨大な量の書物が整然と並んでいる。
 巨大な書庫には、これまで寺院によって発禁処分となった書籍が収められていた。蔵書の数は、そのままスピラの長い歴史を表している。寺院によって欺かれ、歪められてきた長い長い歴史。
 思想、科学、歴史…その内容はあらゆる分野にわたり、かつての寺院の権勢と支配力を誇示している。真理を希求し記したこれらの著作は、多くの民の目には触れることなく、闇から闇へと葬り去られてきたのだった。

   花から花へと飛び移る蝶のように、少女は書架の間を縫って巡った。楚々として控えめな、それでいて軽やかな靴音が石の床に反響する。時々立ち止まっては、資料を取り出し机へ運ぶ。
 このような場所があること自体には、少しの落胆を感じる。けれども開明的な思想や科学理論が学術的資料として残されていたことに彼女は感謝していた。古いスフィアの研究に加え、ここの資料を読み解くことで、スピラの過去の真実がより明かされるに違いない。存在を隠されてきた数々の技術は、人々の生活をより豊かにする可能性を広げるだろう。
 彼女は、わくわくしながら一番上の本に手を伸ばした。丁寧に装丁された表紙は、どっしりと落ち着いた色合いの皮。知識の泉へ続く扉が、探求者を招き入れた。





「・・・ウナ。ユウナ!」

 不意に降ってきた声。我に返り、ページを繰る手を止める。
「お昼とっくに過ぎてるッスよ」
 優しいテノールには、苦笑の微粒子が混じっていた。見上げると、そこには心配とも呆れともつかない表情をした恋人の姿があった。
 書架に片肘を預け立っていたティーダは、ブリッツのトレーニングによって鍛えられた体躯を、軽快な動作で机へと運んだ。
 颯爽とした歩みに見惚れながら、ユウナはちらりと考えた。また少し背が伸びただろうか。二年の間、違う時間の流れにいた彼の身体は、未だ成長途上のようだ。
「読むのに夢中で、時間忘れてたんだろ?」
 図星だった。日焼けした顔に覗き込まれ、首を縮めながら頷く。
 思った通りの反応だとばかりに、青年は人差し指で彼女の額を小突いた。弾みで首を反らせたユウナの視線が彼のそれと合うと、どちらからともなく小さな笑みが漏れた。
 澱んだ書庫の空気に、金色の波動が広がり溶けていく。

「熱心なのもいいけど、ペース考えろって」
 からかい気味に釘をさした彼は、言い終わると、ふと唇を引き結んだ。まっすぐに見つめてくる青い瞳は、彼女の没頭ぶりを案じて気遣わしげだ。光の具合で深い海の色に見える一対の宝石を見つめ返しながら、ユウナはもう一度頷いた。
 ここ半年ほどの間で、繊細な面立ちの中にもより大人びた精悍さが際立つようになった。小麦色の滑らかな頬から喉元へと視線でたどるうち、彼女は心臓がスキップを始めるのを自覚して、胸元を左の手でそっと押さえた。
 想いを互いに通わせるようになった今でも、いまだ慣れることがない。彼の何気ない仕草に、こんなにもドキドキしてしまう。
 目を伏せて黙り込んでしまった恋人の胸の内をなんと推し量ったか、ティーダが表情を緩めて、ひょいとユウナの手元を覗き込んだ。

「今日は、何読んでるッスか?」
 軽い問いに応えて、白い指がページを繰った。
「生命の進化と歴史について書かれている本みたい」
「みたい?」
「うん、専門的な言葉が多くて少し難しいし、シンのことも書いてあって…」
 もう一枚めくると、挟み込まれた付箋紙が現れた。発禁となった理由が書き付けてある。

シンは人の罪そのものである。全ての人間が完全に罪を償うことこそ肝要である。シンを召喚獣、まして動物と同列に置いて論ずるのはいかがなものか。
これはエボンへの冒涜であり、そもそもシンを研究の対象とすること自体、言語道断である。

「ふーん、寺院がシンの研究を邪魔してた訳だ。」
 視線を走らせたティーダは、眉間にしわを作った。
「確かにシンは特別だったかもしれないけどさ、みんなが何とか倒そうって千年も頑張ってた裏でこれかよ。変な話だよな。」
 荘厳な装飾を施された天井に向かって盛大なため息を吐いてから、青年が肩をすくめた。
 同意を求められたユウナは、微笑みながら小さく相槌を打った。彼の口から、シンの存在を過去形で語られるのを聞けるのが何より嬉しかった。奇跡よりも永遠よりも、ただひとつ望んだものが目の前にある。最愛の人と一緒なら、この先どんな現実だって希望へと変えていける気がした。
「大丈夫。スピラは、これからきっと色々変わっていくよ。ね?」
 今度はティーダの頷く番だった。かけがえのない人と、手を取り合って創る未来。それは生まれたての朝のように、光の予感に満ちていた。

 次のページからは新しい章が始まっており、整然と並んだ細かい活字とともに幾つかの図式が載っていた。

全ての生物は連綿と続く生命の営みを受け継いでいる。最初の生命が誕生したのはおよそ38億年前と推定されている、とすれば、今誕生した人間はもちろん0歳であるが、生命としては既に約38億年分を生きているといえる。

 目に留まった文章を、ユウナが読み上げた。世界で一番好もしく美しい声に心地よく耳を傾けていた彼が、ふと思いついたようにつぶやく。
「ってことは、オレは38億と17歳、ユウナは38億と19歳ってことか?だとしたら、たいした歳の差って訳じゃないな」
「やっぱり、気にしてたんだ」
「んなことは……」
 左右不揃いの瞳がじっと見つめると、ティーダはそれ以上言葉を継ぐことができなくなった。金の髪をがしがしかき回し、それから降参したといった風に両手を肩まで挙げた。
「たかが2年、だよな」
 ふう、と一つ短い吐息。両手を下ろす音に重なったそれをユウナは聞き逃さなかった。どこか口惜しげな顔をしている彼にかける言葉を、急いで捜した。
「そうだね。2年なんて、たいした長さじゃないよ」
 何気なく続けた言葉に潜む万感の思い。海よりも広く深く、陽よりも明るく熱く、闇よりも暗く優しく。喜びも悲しみも苦しみも、美しいもの醜いもの全てをごちゃまぜにして渦巻く感情。
 不安と闘いながら、希望という名の未来をただひたすらに信じた日々。
「キミのいない2年は、夢中だったからあっという間だったよ。今ではいい…思い出」
 さらりと気負いなく言い切るつもりだったのに、ユウナの意思に反して語尾は震えかすれた。溢れんばかりの思い出が一気に脳裏を駆け巡り、目の前が霞んだ。
「ユウナ…」
 差し伸べられた腕は、温かだった。肩を包んでくれる確かな熱が、狂おしいばかりに押し寄せる想いの奔流から、一瞬のうちに救い上げてくれる。
 抱きとめられた胸は、日向の匂いがした。重なる鼓動が、共に生きる命の証をもって、限りない安心感を与えてくれる。
 ユウナは、温かな気持ちに心を満たされるまま、仰向いた。彼が口を開きかけるのを見て取って、素早く人差し指を押し当てる。そして、”ごめん”と続けようとしたであろう恋人の言葉を押し留めた。

 謝らないで欲しいんだ。そのかわり、もう二度と離さないで。

 星よりも強い光を宿した瞳を見つめたまま、彼女が静かに首を振った。
「だって、キミは今ここにいる」
 ティーダは、はにかんだように笑い、形の良い唇をわずかに開けた。
「もう、一人にはしないから」
 触れたままの指に、優しい吐息と共に温かな震えが伝わってくる。彼の静かな決意がユウナの中で無限大に膨らみ、全身を熱く満たした。
「うん…」
 褐色の指先が、白い手の甲に重なり包み込んだ。

 永遠なんて要らない。命の限り生きて大切なただ一人を、ユウナを守るだけ。

 指先を絡ませたまま、ひざまずき、誓いのキスを贈る。触れ合わせた唇に精一杯の愛しさをこめて。


 灯明に照らされて床に伸びた影が、ひとつになった。



 星の一生に比べれば、なんてちっぽけで儚い命。
 泣き、笑い、そして愛し合い。力の限り、生命を謳う。小さな幸せを当たり前に重ねられる毎日こそ、何にもまして尊い奇跡。
 38億年の営みを受け継ぎ、次の世代へと命を贈る。
 いと小さき人々の歩みは、やがて時代という名の譜に刻まれて星の記憶になる。






[Fin]
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読んでくださってありがとうございます。




Wieder2006の開催、おめでとうございます。滑り込みですが何とか提出しました。
ギャース!去年の作品といい、なんでこうも辛気臭い場所にいるんだうちの二人は!



Special thanks! Wieder 2006
*Sunny Park* written by Doremi*

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