赤々と燃え盛る炎が、笑いさざめく人々の顔を照らす。島特産の蒸留酒がふるまわれ、歓声があちこちで上がる。夜通しで続くかに思われるお祭り騒ぎ。
 今夜の酒宴は、再びスピラを救い、故郷の地を踏んだユウナを歓迎するため。そして光の恩寵溢れる海から贈られた奇跡を祝うため。 


My only shining Star




「祝いだ。飲め飲め。」
「今まで一体、どこで何してたんだ。」
 酔っ払い達はティーダの席へ入れ替わり立ち代わりやってきてグラスを酒で満たし、版で押したように同じ問いを繰り返す。それは金の髪と空の瞳を持つこの青年が、いかにスピラの人々に鮮烈な印象をもって受け入れられていたかを示すものだった。
 車座の中心でにこやかに杯を受けながら、彼はいささか疲労を感じていた。自分は気がついたら海にいたのだ。空白の時間に潜む謎に至ってはこっちが教えて欲しいくらいだった。
 周囲に見つからないように注意を払いながら、こっそりとため息を噛み殺す。乾杯のペースがこう早くては、口にしたものをゆっくり味わう暇もなければ、感慨に浸る余裕もないというものだった。

 その質問は、いやおうもなくティーダの目の前に信じがたい事実を突きつける。
 自分が知らないうちにいつの間にか過ぎ去っていた、二年という歳月。

 ほろ酔い加減も手伝って上機嫌のワッカが大声で笑っている。つられて吹き出しながら、彼は意識野の片隅で考えていた。
 二年前スピラに放り出された時に比べれば、随分マシか…。シンの存在しない平和な毎日は人々の表情を見違えるほど明るくしたという。 ここビサイドだけを見ても、それは明らかだ。自然のたたずまいは以前と大して違わないように感じるけれども、人々の生活は活気と逞しさを増している。機械の普及の早さも、少なからず彼を驚かせた。

「キミのおかげなんだよ。」
 そう言って微笑んだユウナ。誰よりも大切にしたいと願った人の柔らかく澄み切った眼差しは、どんな言葉よりも自分に真実を届けてくれる。
 波に足を取られながらも、迷いなく、真っ直ぐ駆けてくる足取り。波飛沫の煌きと冴え渡る空の青が作るコントラスト。確かめるように飛び込んできた細い肩の僅かな震え。華奢な身体をこの腕に収めた瞬間、ここに生きて在ることに感謝せずにはいられなかった。
 『お帰り』と見上げた彼女の笑顔を、自分は生涯忘れることはないだろう。

 再会できた嬉しさのあまり彼自身気付く余裕がなかったその事実は、段々と忍び寄り海から還った青年の心を憂鬱にしていた。彼女との間には、いつの間にか二年という隔たりが横たわっていたのだった。
 自分の知らない出来事がユウナを変えた。それを認めるのが、くやしくないといったら嘘になる。彼は膝を抱えながら、天に向って勢いよく爆ぜる火の粉をぼんやりと目で追った。
「どうした。冴えない顔して。」
 無意識のうちにこぼされた嘆息を聞きとがめ、ワッカが彼の背を思い切りよく叩いた。父親となったこの男は、自信に溢れ一段と頼りがいが増したように見える。家族への惜しみない愛情は、自らの育みも促すものなのだろう。兄貴分とも言える骨太な島の男に心配をかけまいと、ティーダは頭をかきながら笑って見せた。
「飲みすぎたみたいッス。少し風に当たってくる。」
 あながち嘘でもない理由だ。乾杯の集中攻撃からしばし身を隠そうと、今宵の主役は、ワッカに後を任せて席を立った。
 あちこちの車座からかかる声に適当に返事をしながら、ティーダはある事に気付いて我知らず苦笑をもらした。憂鬱の原因は、つまるところ知らず知らずのうちに求めている姿が、目の前にいないからだ。
 彼女には彼女の新しい環境がある。新しい仲間がいる。彼女が何処で何をしようと彼女の自由……何気なく思い至った考えは、氷の刃のようにぐさりと胸にささった。一度深みにはまってしまった気分はとことん底なし穴の更に奥底を目指し、浮上する気配のかけらもなかった。
 更に少し歩いて探してみるが、ユウナの姿は無い。
 飲みすぎたことを後悔しながら、ティーダは喧騒から迷い出て村はずれへと歩き出した。
 急に鼻の奥がツンとしたのは、断じて泣きたい気持ちになった訳ではなく、火から離れて冷えたせいだ。そう決め付けると、重い足取りを海へと続く坂道へ向けた。


 天の中ほどに差し掛かる満月は青白い光を優しく地表に投げかけており、石ころだらけの道を歩くのにも魔物を片付けるのにも、さしたる苦労はしなかった。
 久しぶりの愛剣だが、しっくりと手に馴染む確かな重みは、以前と変わらない勝利を彼に約束した。水の力を秘めた切っ先をまるで自分の体の一部のように操り道を開きながら、酔漢は沈んだ気分を抱えたまま浜辺を望む丘へとたどり着いた。

 ここなら誰にはばかることもない。草むらに寝転ぶと、ティーダは星のひしめく夜空に向って特大のため息を吐き出した。





 酒宴に戻ったユウナは、小瓶を胸に抱えたままきょろきょろと辺りを見回した。ルールーに頼んで目的の物を手に入れたのはいいけれど、ティーダの姿はいつのまにか村から消えていた。
「ワッカさん、あの…?」
 先だってまで一緒にいたはずのワッカに、声をかけてみる。
「ああ、あいつなら酔いを醒ましに出てったぞ。」
 彼女がまだいい終わらないうちに、男は杯を置くと村はずれの門を指差した。さすがにお見通しという訳だった。ちょっぴりの面映さを感じながら、小さく礼を言って踵を返す。
「あいつ、ちょっと元気がなかったみたいだから、頼むわ。」
 不器用な優しさを伝える背中越しの声に、ユウナはにっこり笑って振り向くと、大きく頷いた。

 




 不意に星が蔭った。
 彼の鼓動が跳ね上がったのは、視界を遮ったのが雲などではなく、たった今胸に思い浮かべていた人の顔だったから。
 視界いっぱいになって、逆さまの彼女がにっこり笑った。

「こんな所にいたんだ。」
 寝転んだ頭上から覆いかぶさるように覗きこんだまま、ユウナはティーダの首の下へ両手を差し入れた。彼の頭を静かに持ち上げると、その下に膝頭を滑り込ませる。思わず笑みがこぼれてしまったのは、ちらちらと柔らかな跳ねっ毛がくすぐる感触のせいか、それとも彼が先程から見せるリアクションが素直すぎるせいなのか彼女には分からなかった。
 天の星と見まがうような一対の輝きが、膝の上でこちらを見上げている。驚きと嬉しさ、それに困惑と照れくささを隠しきれないでいる澄んだ青い瞳を、ユウナは愛しさをこめて見つめ返した。

 

「こんなにゆっくり星を眺めるのは、久しぶりだな。」
 今夜の空は、格別な美しさを誇って見る者達の胸に迫った。
「何しろ二年ぶりだし。」
 ティーダは付け加えながら、小さく笑った。島特有の湿気を含んだ夜気の中、預けた頭から伝わる彼女の温もりがこの上なく心地いい。
「驚いた?」
「そりゃもう、驚くって。」
 本音を言えば、頭上から悪戯っぽく問いかける本人の変わりようにまず驚いた。彼女の言う「色々」の中身は、とても一晩で語りつくせるものではないだろう。秘密裏にしておきたい出来事もあったに違いない。
 それでも現金なもので、ついさっきまで感じていた得体の知れない心細さは霧散していた。どんなに言葉を尽くすより、今は互いの体温を伝え合うだけで充分だった。右手をそっと天へ伸ばす。星座をたどった指先をほの白い頬に滑らせると、ユウナは色違いの瞳を細め、ふわりと笑んだ。
「会いたかった。探したんだよ。」
 ぽつりと零れたユウナの言葉は、水面(みなも)に落ちた一粒の宝石のように彼の心を波立たせた。
「ごめん。…じゃなくて、ここはありがとうって言うべきなのかな。」
 膝枕から起き上がって向き直ると、ティーダは膝を組みながら背を伸ばしてユウナを真っ直ぐ見つめた。
「自惚れかもしれないけどさ、それって変わらずオレを思っててくれたってことだろ?」
 照れくさげにそういうと、ふと目を伏せる。月から零れ落ちてくる銀砂が、煙るような睫毛の上で跳ねた。
 小さな静寂は、彼の言葉に対する無言の肯定。心地よい沈黙が流れた。遠く聞こえる潮騒、草むらに潜む虫の声が、静かなハーモニーを二人のために奏でている。
「二年も待たせちゃったってことか。やっぱりごめん。なのかな。」
 すまなさそうに首をすくめるティーダに、ユウナは小さくかぶりを振った。
「ううん。」
 短い間の後、そう言って顔を上げた彼女の表情は、とびきりの悪戯を思いついた子どものそれだった。
「謝るだけじゃ、許してあげないよ。」
 青と翠の目をすうっと細めると、身を乗り出す。うっと言葉に詰まって彼のたじろぐ様を、面白がるように覗き込む。次に何を言い出すのかと息を呑んで見つめる青年の手に
「はい、罰ゲーム。」
 と、彼女は村から持ってきた小瓶を手渡した。
 何のことか分からないまま渡された物と審判者を交互に見比べている彼に、花のような笑顔が救いの手を差し伸べた。
「嘘。ルグの根の砂糖漬けだよ。二切れぐらい食べておくと二日酔いを防げるの。」
 酒攻めにあっている彼を心配して、わざわざ調達してくれたのだ。細やかな心遣いに感謝しながら一切れ口に入れたところで、ユウナが罰ゲームだと言った意味をティーダはようやく悟った。
 苦い。ものすごく苦いのだ。 良薬は口に苦しというけれども、これを食べるのと明日の二日酔いと、果たしてどちらがマシだろう。
「うへ〜。」
 慌てて飲み下そうとしたところで、ユウナは水筒に汲んできた水を差し出した。絶妙のタイミングだ。
「はいお水。」
「ありがと。」
 上を向くと、薬を水で一気に流し込む。してやったりという顔をしているユウナと目が合って、不意に笑いに笑いがこみ上げてくる。二人は顔を見合わせると弾けるように笑い出した。手を伸ばせば届きそうな満天の星空に、明るい笑い声がひとしきり響いた。



 思い切り笑った後、ユウナはふと口調を改めた。真剣な表情に、聞くほうも自然と居住まいを正さずにはいられない。
「罰ゲームが終わった所で、さっきの話の続きだよ。」
 月明かりに濡れるオッドアイは、この世のものとも思えない幻想的な光をたたえ、真摯な視線を投げかける。透明な瞳は一片の曇りもなく、全てを真っ直ぐ受け止める。
 


「これからずっと、傍にいてくれるよね?」

 変わり続ける自分の中にある、たったひとつの変わらない気持ち。

キミにたったひとつだけ望むこと。


「約束するッス。」

 今なら、どんな奇跡だって約束できる。たったひとりのために。

「離せって言われても、離さないから。」

 互いが互いを想い続ける。それだけで、ほら

「望む所ッス。」

 星にだって手が届く。

 共に歩こう、キミの隣が在るべき場所。

 不確かな時代の中で、たったひとつの拠り所を、今見つけた。

 



 月は青で世界を満たし、遠く海を銀波で飾る。
 どちらともなく差し伸べられた手が互いの肩を抱き、二つの影はもつれ合ってひとつになった。




 今夜は格別、空が近い。星に手を伸ばしながら、
「本当に二つ三つくらい、手が届いたらいいのにな。」
 そうだろ?と彼は無邪気に笑う。
 微笑み返した彼女は、空を仰ぐ。
 「私はもう、手に入れたからいいんだ。」
 栗色の髪をティーダの肩にもたせかけたまま、星影を浴びながらユウナは呟いた。


 望むものは、
 たった一つの輝ける星は、今、隣で笑ってるから。



FIN

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