眠らない街は、熱狂と退廃を糧として夜毎の物語を紡ぐ。 ここザナルカンドで押しも押されぬ人気を誇る歌姫レン。彼女のステージを共に創造するバックバンドのメンバー達は、今宵とあるクラブでグラスを傾けていた。 Chant for Zanarkand「あさってのミニステージと握手会、今度は無事にできるんだろうな。」 酒臭いため息と共に吐き出されたリーダーの不安に、メンバーは一様に肩をすくめた。決定権はすでに自分達の手中には無いのだ。 「知るかよ。中央政府のお偉いさんに聞いてくれ。」 憮然としてベーシストのロスカが返した。ベベルが繰り出す長距離砲の脅威にさらされるたび、都市全体に頻繁に戒厳令が出されるようになっていた。文化的催しを積極的に奨励していたザナルカンド中央政府だったが、建前を維持し続けることが最早できなくなりつつあった。 「それを言うならベベルの奴らに、だろうが。」 そこまで言ったシューインは、ポケットに手を突っ込むと煙草を取り出した。一本抜き出しくわえたところで、ロスカが揶揄の言葉をかけた。 「お前、喉に悪いとか言ってやめたんじゃなかったのかよ。」 「俺は鍵盤屋なの。指さえ動けばいいんだよ。」 煙草の先にぽっちりと赤い火が灯る。苦い煙が胸を満たした。 レンにたしなめられたのをきっかけに、自分でも驚くほどすっぱりとやめたはずだった。けれども真綿で首を絞められるような閉塞状況の中、毎日イライラばかりがつのっていく。何故だか分からないけれども無性に吸いたい気分だったのだ。 「この前みたいにドタキャン食らうのもイヤだけど、ゲネプロ無しでぶっつけ本番なのがそもそも信じられないよな。」 紫煙を吐き出しながらぼやくキーボーディストに、 「いっつもアドリブで突っ走るお前に、ゲネプロはいっそ無駄だろ。」 リーダーのギタリストは思わず吹き出しながら、そう返した。 「ま、レンとお前で好きにやれよ。俺達が合わせてやるからさ。」 誰がリーダーなのか分からなくなるような発言をしておいて、彼は空のグラスに酒を注ぎ足した。 カウンターの上に掲げられたスフィアスクリーンが、まるで他人事のように戦地の映像を垂れ流し続けている。 戦局は火を追うごとに悪くなっていた。北海に展開する艦隊は健闘しているものの、ガガゼトの中腹に設けた最終防衛ラインが瓦解するのは時間の問題だった。 「最高評議会は、徹底抗戦を決めたらしいぜ。」 「この期に及んでまだやる気かよ。エボン=ジュの独裁にも困ったもんだよな。」 「ヤツの娘は、早々とザナルカンドを脱出したそうじゃないか。」 …戦いなど望んだ覚えは一度だって無い。或いは難しいこと、面倒なことを全て他人任せにしたのがそもそもの間違いだったのかもしれないけれど。 バンドメンバーの話を上の空で聞き流しながら、2本目を灰皿に押し付けた所だった。 「我らが歌姫も、そろそろ召集…」 ドラム担当のお調子者を、シューインはぎろりとねめつけた。瑠璃の瞳は蒼く燃え盛る炎をまとっている。冗談では済まされないような眼光を射込まれて、発言者は慌てて口をつぐんだ。 「…お先。」 絵に描いたような不機嫌を顔に貼り付けたまま、キーボーディストはゆらりと立ち上がった。後には静まり返った酒の席がただ残された。 見上げた窓には、明かりが灯っていた。 「遅かったね。」 にこやかに迎えてくれたレンに、彼は曖昧な笑みを返した。 少し酔った風のシューインに近付いた彼女は、微かな違和感に気付いた。 「…吸ったでしょ。」 「ロスカ達と一緒だったから、匂いが移ったんだろ。」 とぼける恋人の目の前に回りこんだ歌姫の愁眉は、僅かに吊上がっている。そそくさとバスルームへ逃げようとした彼の退路を阻み、彼女は素早く手を伸ばした。 抜けるように白い両腕が彼の首に絡み付いた。金の髪をかき抱くように引き寄せ、キスを仕掛ける。 春の嵐のように激しい時間が二人を支配した。 恋人の唇を思う様むさぼった歌姫は、煙るような睫毛を僅かに震わせた。余韻を楽しむかのような数秒間の後潤んだ目許をふと引き締め、頭一つ分高い所にある額を指で突付く。 「ほら、やっぱり吸ってたね。」 まるで子どもの悪戯を咎める母親のような調子だ。叱られ役専門の彼が照れくささを隠すためにわざと不機嫌な顔を作ってみせるのも、お決まりのパターン。 「そんなことより、新しい曲の歌詞は?」 「今日はそれどころじゃなかったの。評議会に出向いたから。」 さらりと言ってのけた彼女に、今度はシューインが形の良い眉を跳ね上げる番だった。 「一人で行ったのか!?どうして俺に言わなかったんだよ!」 「ごめん。でももう決めたんだ。これ以上自分だけ安全な所に隠れているわけにはいかないよ。」 神秘的な光をたたえた鳶色の瞳は今、召喚士としての悲壮な決意を宿していた。美しい恋人が持つ、何者にも冒しがたい意志の強さ。彼がそれを苦悩と共に受け止めたのは、これが最初のことだった。 例え最も近しい存在の自分にも、覆すことはかなわない。 それならば自分の取るべき道は一つ。 「俺も一緒に行く。」 口を開きかけたレンの肩に手をかけ、シューインは厳かに宣言した。こちらを見上げる潤んだ瞳に、小さな微笑を返す。 「俺がいる限り、レンには指一本触れさせはしない。」 艶やかなストレートヘアを撫でながら、青年は誓いを囁いた。 ―――レンの傍にいられないのなら、俺は生きる意味も価値も失ってしまうから。 頬へ添えた掌から伝わる、密やかな熱情。一つに解け合う互いの温もりを甘く受け止めながら、レンは愛する人の手に自分のそれを重ねた。 ―――確かに君は剣士としても超一流。でもこの手には剣よりもピアノこそふさわしい。 そこまで考えた彼女は、不意に自嘲の念に駆られた。そんな感傷は欺瞞に過ぎない。彼に剣を選ばせたのは他ならない自分なのだから。 どこか甘美な疼きをともなって、苦い思いが女の胸を締め付けた。 このまま緩慢な死を待つよりも、今は持てる力の全てをもって運命に立ち向かおうと決めたのだ。 「ね、セッションしない?」 レンはそう提案すると、ステップを踏むような足取りでピアノに近付く。蓋を開けながら、彼を小さく手招きする。 「OK、まずはどの辺りから?」 「そうだな…バラードを歌い上げたい気分。」 「いきなりそう来ますか。」 「その後は、とびきりご機嫌なビートをちょうだい。」 矢継ぎ早のリクエストに、彼は鮮やかなウインクで返事すると鍵盤に両手を置いた。 本人言う所の指鳴らしと称して4オクターブを見事なアルペジオで駆け抜けた後、彼はおもむろに演奏を始めた。 真珠の輝きを放つ幾百もの音が乱舞し、歌姫の心を解き放つ。 得体の知れない不安を振り払うかのように、彼女は顔を上げた。 聞くもの全てを魅了せずにおかない美声が愛する者の奏でる旋律に乗って、溢れる想いを天へと運ぶ。 君がいれば、何も恐くない。 例えそこに死が待ち受けていたとしても。 寄り添う恋人達をあざ笑うかのように、運命の歯車は軋りを上げて回り始める。 -FIN- |