リーグ戦、第一ステージ。開幕初日から三連勝という華々しい成績を収め、ザナルカンドエイブスの選手達は意気揚々と祝賀会へ繰り出した。 MFのカスパー、KPのタク、DFのヘンルーダは今夜の勝利の功労者を連れ、とあるスポーツバーのVIPルームに陣取っていた。 店のモニターには、今日の勝利試合の録画が繰り返し流れている。自分のシュートが相手ゴールに突き刺さる瞬間を眺め、ティーダは面映そうに青い目を細めた。 「初スタメンにして、チーム入り初ゴールおめでとう。」 「しかも、貴重な先制ゴールときたもんだ。」 今年一番の注目ルーキーは、先輩達の祝福にはにかんだような笑顔を見せた。 「あれは、カスパーさんのアシストあってのシュートっすよ。」 ヘンルーダの手からスパークリングワインが注がれる。泡のはじける快い音と共にバラ色の酒がグラスを満たした。 「あーオレ、未成年ッスけど…」 実を言えば、ティーダは酒が嫌いだった。正確には、大嫌いだったオヤジが旨そうに飲んでいた代物が気に入らないというだけだったが。とにかく今まで飲む機会もなければ、自分から飲もうとしたこともなかった。それに、これからも飲まずに済むならそれに越したことはない。だから、自分なりに一番無難な断り文句を探したのだ。 けれども後輩の返事を真に受けた古株MFは、ごつい手を伸ばすと金髪のかかった額をぺしっとはたいた。 「お前、見かけによらず、頭カッてーのなぁ!?」 額を両手で押さえる少年に、チームの司令塔はにやりと笑ってグラスを勧める。 「年俸を稼ぐようになったら一人前の社会人だろうが。酒ぐらい飲んどけ?」 「これ、このバーのオーナーからのお祝いなの。あなたが飲まなくてどうするのよ。」 エイブスきってのじゃじゃ馬DFもたたみかける。タクはといえば、早速酒の洗礼を受ける後輩を、細面の顔に気の毒げな表情を浮かべて眺めている。若くして”黒髪の鉄壁”の異名をとる彼は、実はアルコールに弱かったのだ。 カスパーが、もう一度顎をしゃくる。青灰色の瞳に、妥協を許す気配は無い。 これから長い付き合いになるチームメイトと余計な波風を立てるのもばかばかしいことだ。 「うっす。」 短い返事をして、目の前の酒を手に取った。 「乾杯!」 四つのグラスが触れ合って、涼やかな音色を奏でる。覚悟を決めると、ティーダは中身を一気に喉に流し込んだ。 二時間後。店のオーナーも加わって、今日の試合のあれこれを肴に座は大いに盛り上がっていた。 「それにしてもお前、よく飲むな。」 水割りをちびちびなめながら、タクがあきれたように金髪の新入りを見やった。 「まだまだ大丈夫っすよ。」 へらっと笑顔が返った。最初の乾杯の後、四人でワインを五本開けた。実際には、タクは戦力外だ。更に水割りをおかわりしている。食べた量も半端ではないが、飲むほうも相当のハイペースだ。 「自分の限界まだ知らないんでしょ?ちょっと手を貸してごらん。」 ヘンルーダが少年の方へ向き直り、彼の手首をつかんだ。 「なーんすか、いきなり。」 緊張感の無い抗議に構わず、脈を測る。これだけ飲んでいるというのにジョギング程度にしか上がっていない。 「ザルだわ、この子。」 赤毛の美女が感嘆するのを、壮年の紳士が昔を懐かしむ笑顔で受けた。 「ジェクトも酒豪だったからねえ。ブリッツの才能といい、血筋なのかな。」 彼らは気づかなかった。その何気ない一言が少年の心の傷をえぐり、その傷口からは鮮血が新たに噴き出したことを。 「…あんな最低野郎と一緒にすんな。」 低く、震える声はくぐもって聞き取れなかったが、その場に居合わせた者達が異変に気付くには充分だった。 普段の彼は父親のことを持ち出される度、マグマのようにたぎる自分の本心を陽気な笑顔に押し込めてきた。言わば抑圧されていたものが酒の力を借りて一気に噴出したのだ。 「伝説が何だってんだ!あのクソオヤジのせいでオレと母さんがどんなに苦労したか知ってんのかよ!?」 やおら椅子を蹴って立ち上がる。グラスが皿の上にひっくり返ってけたたましい旋律を奏でた。 さらに詰め寄ろうとするティーダ。それを制したのは、カスパーの鋭い一喝だった。 「オレに恥かかすな!エイブスの恩人に何て口の利き方だぁ?」 鷲のような眼光を射込まれて、ルーキーはビクンと体を強張らせた。 「すんませんでしたッ!!」 自分の非礼をすぐさま詫び、勢いよく頭を下げる。もう一度ぴょこんと上がった顔を見て、一同はしばし声を失った。 泣いていたのだ。歯を食いしばり、気をつけの姿勢のまま、子どもみたいにぽろぽろと涙をこぼしている。 「ザルの上に泣き上戸。」 ヘンルーダがプッと吹き出し、座の空気は一気に緩んだ。 「恥ずかしいヤツだな。もういいから座れ。」 苦笑まじりの命令に、涙を拭おうともせずに繰り返す。 「…ヒック、…すんません。オレ…オレ…。」 直立不動の体が、不意に膝からくず折れた。ゴツンと嫌な音がした後、彼は床に倒れこんだ。 「あちゃー、病院送りか?」 急性アルコール中毒を心配したタクが、急いで引き起こして脈を確かめる。恐る恐る覗き込んだ三人に、黒髪の若手KPは、つかんだ手をぷらぷらと振って見せた。 「寝てるだけだ。」 伝説の名選手、ジェクトの遺児は、涙の珠を睫毛の端に乗せたまま眠りこけていた。 「やれやれ、今年のルーキーは本当に大物だね。」 嘆息交じりの述解に、選手達は揃ってうなずいた。 「ところでこれ、どうする?」 これとはもちろん、白い跡を頬に幾筋もつけたまま床の上でクークーと寝息を立てている少年のことだ。 「身内に迎えに来てもらうよりしょうがないな。」 彼の後見人は、程なくして現れた。顔を走る大きな傷にサングラス、異国風の紅い上着を着流している。対峙する者を圧倒するその雰囲気に、勝負の世界に生きる者達は内心身構えた。 「未成年に酒を?」 アーロンと名乗る男は、眼光鋭く問いただした。カスパーの説明を聞くだけ聞いた後で、彼は重々しく口を開いた。 「了解した。よく言って聞かせるが、二度目は無いことを皆さんにもお願いしたいものだ。」 内容は依頼だったが口調は脅迫に近かった。 「ご迷惑をおかけした。これで失礼する。」 言いながら、隻眼の韋丈夫は少年の体をひょいと肩に担ぎ上げる。そしてそのまますたすたと歩み去った。蛇に睨まれた蛙のごとく固まっている一同を尻目に。 「何者だ?あいつ。」 ブリッツ選手としては、ティーダは小柄の部類に入る。けれども全身の筋肉を鍛え上げた体は決して軽くない。それをあれ程軽々と持ち上げる腕力の持ち主、しかもあの殺気さえ感じさせる威圧感… うそ寒い想像に首をすくめる男達を一瞥して、ヘンルーダは真紅に縁取られた唇をちろりとなめた。 「でも、ちょっといい男だったわよね。」 あくる日、ティーダは今まで生きてきた中で最低最悪な朝を迎えていた。 「う〜〜〜〜っ!頭痛ぇ…。」 ベッドから転がり落ちるようにして這い出し、水を求めてキッチンに向かう。胸はむかむかするし、頭がガンガン痛む。まるで頭の中で象がダンスしているみたいだ。 「しかも何だって、外側まで痛いんだよ。」 作った覚えの無いたんこぶをくしゃくしゃの金髪の上からさすりながら、少年は毒づいた。 よろよろと心もとない足取りでドアをくぐると、そこにはアーロンの姿があった。 「あれ?いつ来たのさ。」 後見人が失笑を漏らす。けれども今はその意味を考える余裕すらない。冷蔵庫のミネラルウオーターにありつくのが先だ。 「覚えていないのか。あきれたやつだ。」 命の水に喉を鳴らしながら、ティーダは首をひねった。店でしこたま飲んで、それからオヤジの話になって…カッとなってケンカをふっかけてしまった様な気がするけど。その後はさっぱり記憶が飛んでいる。 「酒に飲まれた上、背負われてご帰宅では話にならんな。」 痛烈な皮肉をお見舞いされ、悔しげな目つきを発言の主に向けたところで少年の気力は尽きた。もっともそれ以前に応酬するだけのボキャブラリーなど、今の彼の脳みそには残っていなかったけれど。 冷蔵庫にしなだれかかった小麦色の身体が、ずるずるとへたりこんだ。 「もう二度と酒なんか飲まねーっ…。」 身も世も無くこぼす情けない姿に、漢は苦笑せざるを得なかった。奇しくもそれは、かつて彼の父親が二日酔いのたびに繰り返した台詞とそっくりだったから。 意外なことに、この事件の後もティーダが誘われる機会はそれほど減らなかった。 陽気で、素直で、頑張り屋のルーキーは、大方のチームメイトに可愛がられた。それに一人暮らしということもあって、自然とお声がかりも多かったのだ。 ただし、さすがに本人も懲りたらしく、避けられない乾杯以外は自重するようになった。またお互いにとって幸運なことに、誘うほうも彼にアルコールを勧めることを慎んだ。 カスパー達の経験談が、巷でまことしやかに囁かれたためである。 …ヤツの後見人とは、関わり合いにならないほうが身のためだ。 ザナルカンドエイブスの先達は、以後この不文律をもってティーダと付き合うことになる。 -FIN- |