アルテミスの悪戯
「ぅわわわーーっ!」 指先の上で跳ねたキャッチは、チリンと涼やかな音を立てて、排水溝の奥へと消えた。 慌てて左耳に手をやると、小さな金属が指に触れた。よかったぁ…ピアスはちゃんと残ってた。そっと外して手のひらに乗せる。 ザナルカンドエイブスのシンボルマーク、オレの勝利のお守り。 「何だ何だ。朝っぱらから素っ頓狂な声出しやがって。」 頭ぼさぼさのワッカが、洗面所に現れた。 「ピアスのキャッチ、落としちゃったんッスよ。」 どこかに引っかかっていないかともう一度覗いてみる。でも真っ暗な穴の中には、希望の光なんか到底なさそうだった。 「外さなきゃ無くならんのによ。オレ外したことねえぞ。」 そんな無茶な。 「たまには手入れしないとピアス穴、腐るぞ。」 バシャバシャ音を立てて顔を洗ってるワッカに言ってやると、こう返された。 「鍛え方が足りんのだ。」 ちぇっ、アーロンみたいなこと言ってやがる。大体耳なんてどうやって鍛えるんだっつーの。 とにかく代わりのキャッチを探さなきゃ。朝食のとき、リュックにでも聞いてみよう。 「だーめだぁ。どれもサイズ合わないよ。」 リュックが首を横に振った。ユウナは自分の手持ちを全部出してくれて、ルールーにも聞いてくれたんだけど、結果は全滅。 よっぽどがっかりした顔をしちゃってたのか、ユウナはオレを励ますような調子で言った。 「ほら、今日はルカへ行くから元気出して。大きなお店へ行けば、きっとぴったりのものが見つかるから。」 テーブルの上で鈍い光を放っているピアスを、白くて細い指先が大事そうにつまみ上げる。 「これは、失くしたら大変だね。」 そう言って自分のアクセサリーケースに一緒に入れてくれた。ケースをしまう彼女の懐の辺りについ見とれてしまう男の性が、自分でもちょっと情けなく思えた。 ルカはいつ来ても活気があって賑やかだ。先代のオオアカ屋に用があるとかで、リュックはアーロンを引っ張っていった。ほかの面々も何故かそれぞれの用事のために消えてしまい、オレはユウナと二人で行動することになった。 どうやら、みんなに気を使ってもらった…みたいなんだ。何か笑っちゃうよな。隣を歩くユウナも同じことを考えていたらしく、くすくす笑いながらこう言った。 「これって、デートみたいだね。」 何だかめちゃくちゃ気恥ずかしかった。 「みたいじゃなくて、そのものだと思うんスけど。」 そう口に出しちゃうと、気恥ずかしさ倍増。でもこんなのも悪くない。真っ青な空の下、華やかに彩られた店先を覗き込みながら、二人して歩いて行く。 「あ、アクセサリー屋さん、見つけたよ!」 ユウナのはしゃいだ声に顔を向けると、大きな構えの店が目に入った。 店内には、きらきらした小さなアイテムが所狭しと並べられていた。あちこちで女の子の笑い声がさざめいている。光と色の洪水に、目がちかちかしてきた。この中から目的のものを見つけるのは、随分大変そうだな。ユウナに言われるままに、サイズの合いそうなのを手当たり次第に拾い出す。 「見つからないね。お店の人に聞いたほうが早いかな?」 あれこれと手に取って調べていたユウナが、小さなため息をついた。 「ちょっと待っててね。」 そういうと、彼女は向こうにいる年配の店員のほうへと小走りに駆けて行った。こういう場所に男一人で取り残されると、何だか居心地が悪い。店内を見回すと、カップルがちらほら、あとは女の子達ばっかりだ。 やばいッス。今、出てきた店員と目が合っちまった。頼むからこっち来ないでくれよ。 「何かお探しですか?彼女へのプレゼント?」 オレのささやかな願いも空しく、営業用スマイルを貼り付けた店員が目の前に立ちふさがった。 逃げ口上を探しかけたんだけど、やめた。そっちの棚で淡く輝いてる小さな石に、何でだか知らないけどすごく興味がわいたんだ。 「ぴったりなのが見つかってよかったね。」 ユウナの笑顔は、いつ見てもかわいいよな。…っていうのは置いといて。 何とかキャッチを手に入れ、オレのピアスはめでたく左耳に戻った。 「ユウナのおかげで助かったよ。」 このカフェのお勧めだとかいうお茶が運ばれてきた。彼女はカップを手に取り、一口こくんと飲み下した。 「きっと素敵な思い出が詰まっているんだろうな、…って思ったから。」 「オレの勝利のお守りッス。これをつけて出た試合で、チーム入り初のシュートを決めたんだ。」 色違いの宝石みたいな瞳の中にオレが小さく映っている。ユウナはしばらく黙り込んだ後、珍しくためらいを含んだ声で続けた。 「大事な人からもらったもの?」 「残念でした。」 オレは正直に答えた。 「オフィシャルグッズの売り上げを伸ばしたいオーナーからのもらいもん。ペンダントとセットでさ。オレは広告塔ってわけ。」 ブレスには、まあ、何ていうか…色々あるけど。 「ユウナこそ、つけてるアクセ、男からのプレゼントだったりして。」 ちょっと意地悪だったかな?ユウナは、きれいな柳眉をしかめ、オレを睨みつけてきた。 「そんなの!もらったことなんかないよ…」 抗議するみたいな瞳で見つめられると、胸の奥がチクッとした。良心の呵責ってやつ。と同時にちょっとホッとしてる自分に気づいて、何だかおかしかった。 「じゃあさ。オレが一番乗り。」 紙包みをポケットから取り出すと、ユウナの目の前に置く。視線での問いかけにオレは頷いた。 パッケージの口を丁寧に開けている手つきを眺めながら、ふと我に返った。馬鹿だな。何でオレが緊張してるんだろ。 「わぁ…綺麗。」 中から出てきた華奢な作りのブレスレットを手のひらに乗せ、彼女は目を細めた。 「これは、ムーンストーンだね。」 細いシルバーチェーンから雫のように下がっている乳白色の小さな石。…やっぱりそうだ。月の光を固めたみたいな優しいイメージが、ユウナの笑顔と重なるんだ。 「これを、私に?」 「もちろんッス。」 照れくさくて、頭を掻いた。でも喜んでもらえて嬉しいというのが本音。それに自分で言うのも何だけど、似合ってる…って思ったから。 「ありがとう。ずっと大切にするね。」 ずっと…そう、オレが傍に居られなくなった時は…縁起でもない台詞が口をついて出そうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。あんな予言なんて信じられるかってんだ。冗談きついッスよ。 「どうかした?」 心配げに曇るユウナの顔が目に入って、慌てて笑い顔を作った。 「ホントは指輪にしようと思ったんだけど、サイズ分かんなくってさ。だから、今度プレゼントする時までに大きさを教えてもらうってことで。」 ぷわっと赤くなったユウナは、うつむいてもじもじと指を組んだ。上目遣いにちらっとオレの方を見て、こっくりうなずいた。 翌朝、集合の時に部屋の前でリュックと出くわした。 背中をつつかれて振り返ると、ニヤニヤ笑いを浮かべて立ってたんだ。 「思い切ったねー。」 何のことか分からないでいるオレに、ぬぬっと顔を近づけてくる。 「結婚まで考えてるとは驚いたよぉ。」 「はぁ!?誰がッスか?」 指を突きつけられてのけぞり加減になりながら、思わず大声で聞き返す。リュックは翠の目をしばたたいた。 「指輪あげる約束したんでしょ?」 「ああ、そのことか。でも何でそこまで話が飛躍するわけ?」 いよいよ訳が分からない。彼女は顎に拳を当てて、たっぷり五秒間何かを考えた後、おもむろにレクチャーを始めた。 「あのさ、指輪って女性の防具でもあるよね。」 「ああ。」 「男性から女性に指輪を贈るのは、”一生かけてあなたを守る”って意味になンの。」 「………」 あのときのユウナの動揺ぶりの意味が、やっと分かった。だいぶスピラに馴染んできたつもりだったけど、久々のカルチャーショックだった。いや、そんな感慨に浸ってる場合じゃない。 思わずしゃがんで頭を抱えたトコへ、とどめの一撃が天から降って来た。 「だからスピラでは、指輪イコールプロポーズなの。」 「マジかよ…」 とにかく考えをまとめなきゃ。 「いっそのことぉ、それでもいいんじゃない?」 顔を上げて頬杖をつくと、螺旋模様の瞳と目が合った。あーあ。誘惑を仕掛けるメフィストフェレスみたいに笑ってるよ。 「からかってるのか、味方してンのか、どっちッスか!?」 叫んだトコへ 「もう仕度すんだ?みんな外で待ってるよ!」 角の向こうから、ユウナがひょっこり顔を出した。リュックと一緒に慌てて駆け出す。 「昨日は、ども。」 ユウナと並んで急ぎながら、例の会話のアフターフォローをしようとして思い直した。後からごちゃごちゃ付け足しても言い訳めいてるだけだ。それに最後、いやシンを倒した後もずっとユウナを守りたいという気持ちに嘘はなかったから。 栗色の髪に縁取られた白い横顔が、こちらを向いてはにかんだように微笑みかけてくる。今日もそれぞれの物語は続く。 ユウナが心の底から笑って生きていける世界を、ってオレは覚悟を決めたんだ。 -FIN- |