吐く息が白い。キーンと冷えた空気が、肺を洗い眠気の残る体に沁みていく。
 ばら色に染まった雲に向かって両手を突き出し、大きく伸びをした。



four-leaves





 昨日はルールーにたるんでるだのガードの自覚が足りないだの酷い言われようだったからさ。今朝は早起きしてやる気をアピールしてみた。
 ……。
 さすがにちょっと早過ぎたな。

 次第に明るくなっていく空。西の方角には溶け残った夜が透けて見えた。

「おはよう、早いね」
 急に声がしたから、びっくりした。振り向いた目の前に立っていたのはユウナだった。
「おはよ。ユウナこそ早起きだな」
 言いながらついあくびが出そうになって慌てて噛み殺したのを、彼女は見ててくすっと笑った。
「そうだ。いいもの見せてあげる。昨日の朝もらったの」
 早起きの理由は明かさないまま、そう言ってユウナは帯に手を差し入れた。取り出されたのは小さな紙包み。オレは生返事をしながら、手の中を覗き込んだ。

 ―――ユウナ様、シンをやっつけてね。
 差し出された小さな手。旅のお守りだと言ってそれを渡した幼い女の子は、きらきら光る目で召喚士を見上げてた。
 スピラ中の期待を一身に背負ってユウナは旅を続ける。この世界のことを少しずつ覚えていくうち、ようやく分かりかけてきたんだ。旅がどんなに大変かも召喚士とガードの負った使命がどんなに大きいかも。
 ブリッツのファンがお気に入りの選手に『今夜シュートを決めてくれ』ってねだるのとは訳が違う。文字通り命がけの旅なんだ。
 街道を歩いていると、道行く人は必ずといっていいほど声をかけてくる。ナギ節の悲願をユウナに託す。みんな家族や仲間をシンに奪われ、今もおびえながら暮らしてる人ばかりだ。

 大切そうに包まれた紙の間から、薄緑色をした、小指の先くらいのハート型が覗く。白く柔らかな手触りをした紙片は、小さな葉だけでなく、決して小さくはない人々の想いや希望をもくるんでいるんだろう。
 華奢な指先が真ん中をそっと押さえると、くっついてる葉が開いて四つ葉の形になった。
 優しい目をして手の中の宝物を覗き込むユウナには悪いけど、オレがかけた言葉は、お世辞にもタチの良いものとはいえなかった。
 自分でも分かってた。でも口が止まらなかった。大体持ってるだけで願いがかなうなんて、そんなお手軽な方法があるんなら誰も苦労しない。勝負の世界でお守りだのジンクスだのって話は割とメジャーだけど、結局は本人の実力の問題だ。

「それ持ってて、何かいいことあったッスか?」
「えっと…」
 彼女が何か言いかけるところへ、オレは更に口を挟んだ。
 クローバーはともかく、四という数字がオレはあんまり好きじゃなかった。小さな頃、近所に住んでた一人暮らしのお婆さんが『"し"って音が死につながる』って毛嫌いしてて、いつの間にかそれに感化されてたのかもしれない。年寄りの迷信って言われればそれまでだけど、娘の命日のことをまことしやかに繰り返されて子供心に怖かったのを覚えてる。
「昨日ってさ、アクシデントばっかでろくな日じゃなかったような気がするんだけど」
 ちょっとしたからかいのつもりだったけど、実はふてくされてただけかもしれない。
 だって、散々だったんだ。魔物は強いしワッカとルールーはケンカしだすしアイテムは底をつきかけるし。
「ユウナが倒れちゃったときは、こっちまで生きた心地がしなかったぞ」
 思い出すのも嫌なくらいヒヤヒヤな気分を味わった。少しの油断やミスが死につながる。スピラでは、あまりにも簡単に死がやって来る。
「でも、みんな無事だったからよかったよ」
 ぶーたれたオレをなだめるユウナは、ちょっと困ったみたいに笑ってた。緑と青の、水に濡れた宝石みたいな目がこっちを見つめてる。訳もなくドキドキするのは、どうしてだろう。
「さっさと抜ける予定だったのに、引き返さなくちゃいけなくなった」
「あのまま無理して進んだら、危なかったかもしれないよ。しっかり休んだし、今日はもう大丈夫」
「そうだといいけどな…」
 これ以上情けない言葉を重ねないためには、黙り込むしかなかった。四葉のお守りだなんて、気休めで何の役にも立たない…なんて言葉がふっと頭をかすめたけど、さすがにそれは飲み込んで。
 あーあ、何後ろ向きになってんだろ、オレ。すっげえかっこ悪いよな。
 ガードがこんなんじゃ始まらない。それは自分でも分かってる。でも、死と隣り合わせの現実に時々押しつぶされそうになる。
 ザナルカンドで安穏と暮らしてきた自分の生ぬるい常識は、ここじゃ全く通用しない。
 旅を続け進むうちに、相手にしなくちゃいけない魔物もどんどん強くなる。ユウナが危ない目にあうこともしょっちゅうだ。
 ガードになりたての新米だけど、ユウナを守りたいっていう気持ちは誰にも負けないつもりだ。でも、……いや、だから余計に、かもしれない。焦りばっかりが空回りしている感じだった。
 笑って旅したいって、ユウナはそう言った。召喚士として、スピラの希望として、みんなのために笑っていたいって。
 だからこっちも笑っていよう、弱音は吐けない、そう思ってたのに。
 ルールーにいつも小言みたいに聞かされる『ガードの力が及ばなければ召喚士が命を落とす」って言葉を、妙に重く思い出す。首の辺りにのしかかってくるのを振り払うように、両手を頭の後ろで組んで空を仰いだ。
 明けきった空は澄み渡り、輝きを増していく太陽が金色の矢を放っていた。

「ね、これキミにあげるよ」
 そう声をかけられて、振り向いた。
「せっかくだからユウナが持ってろよ」
「ううん」
 ユウナが首を横に振ると、つやつやした髪からふわりと花の香りがした。あったかくて優しい香りに鼻をくすぐられると、何だか落ち着かないけど悪くない気分だった。
「わたしはもう、いいことあったから…」
 控えめに付け加えたその声は嬉しさに弾んでて、何があったのか聞きたくてたまらなくなった。

「何があったッスか?」

「えーと、秘密」

「それってずるいぞ!」

 思わず詰め寄ったら、鈴を転がすような笑い声が上がった。両手で口許を覆ったその仕草は、上品で可愛いって思った。しばらくためらうように黙った後、上目遣いにちらりと見上げてユウナは白状した。
「キミとこうしてゆっくりお話できたし」
 両手の指をもじもじと組みながら面映そうに続けた彼女の頬は熟れきった桃みたいな色をしてて、何故だかこっちまで体温が上がった気がした。初めてのような、でも懐かしいような感覚は、落ち込んでた気持ちまで引き上げてくれたようだった。
「それって四葉のおかげなのか?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないね」
 ユウナがそう言うと、何だか本当にそんな気がしてくるのが不思議だった。
「ガードになってくれてありがとう。キミと旅ができて嬉しい」
 ユウナは真っ直ぐ視線を合わせ、そう言ってにっこり笑った。その途端、オレの中の焦りもスーッと溶けて、どこかへ消えてしまった。
 それと同時に、眼の奥が熱くなって少し慌てる羽目になった。どうしてこの人は、今欲しくてたまらない言葉をこんなに惜しみなくくれるんだろう。まるで全部分かっているみたいに。
「今日も一日頑張ろうね。よろしくお願いします」
 丁寧なお辞儀に、オレは弾かれたようにぺこりと頭を下げた。ユウナのおかげで、忘れかけてたことを思い出せた。見逃してた何でもないことが、本当はすごく幸せなことだったんだ。ついてないって思い込んでいたことも、ちょっと見方を変えるだけですっごくイイコトに思えてくる。
 ちっぽけな葉っぱが、自分で道を切り開くためのちっぽけな勇気をくれる。でも、本当は…。
 幸運を呼び込んでるのは四葉なんかじゃなくて、手にした小さなおまじないを信じて進むユウナの笑顔そのものだと思う。

「おっし!今日も気合入れていくッスよ!」
 自分自身に言い聞かせるように、オレは拳を握り締めた。微笑むユウナの肩越しに日が昇る。今度はまぶしい太陽にちゃんと顔を向けられた気がした。


◆◆◆




4という数字にちなんでお送りしてみました。(なんて単純な)
塞翁が馬とか禍福はあざなえる縄の如しとか、そういうの好きです。同じ事象でも気の持ちようでいかようにも変わる、常にポジティブシンキングでいきたい…と、これは自分のささやかな願望であり目標です。
頑張れ新米ガード君(笑)



  [Back]