clear sky,clear wind幻光河に程近い小さな村に、屈強なガード二人を従えた召喚士が立ち寄った。この集落でも召喚士は大変な歓迎ぶりで、一行をひと目見ようと、田畑の仕事を放り出してまで村人が集まる騒ぎになった。 シンの襲来による直接の被害はここ十年来受けていないものの、シンへの恐怖は辺境の小さな村民にとっても最大の関心事だった。そしてもちろんのこと、ナギ節への希望もスピラ全土の民と同じく強かった。 つかの間とはいえ、世界に平穏が訪れるナギ節は何ものにも代えがたい尊い時代。それをもたらすことができるのは、唯一召喚士のみなのだ。 少しも偉ぶらず常に穏やかな笑顔をたたえている壮年の召喚士は、名をブラスカと言う。このとき村人と語らった約束を果たし、後に大召喚士となった人物だ。 皆の期待を一身に集める召喚士とガードは、ここでも必然的に長いこと群集に囲まれる羽目になった。 二人のガードは、いつもながらのこの状況を、半ばお勉めとして甘受しているように見えた。 長い黒髪をまとめ後ろにたらした青年は、生真面目を絵に描いたような様子で、主のお人好しぶりに辛抱強く付き添っている。アーロンと呼ばれるこの年若いガードは、常に警戒を怠らず召喚士を守ろうと張り詰めているのが見て取れる。 傷だらけの皮膚を誇示するかのように晒した髭面の男にいたっては、完全に飽きた様子であくびを連発している。この男はジェクト。外見の豪放さに違わず言うことも青年とは対照的だ。 見事なまでに性格の合わないガード達の間に召喚士の笑顔が入ると、何故か不思議としっくり調和が取れるのだった。 一通りが済んで潮のように人波が引くと、三人は村の生活を見て回った。 遠く新緑に輝く山々の一部は、シンによって無残に形を変えたままだ。 大きく切り欠いた爪跡と、そこからぽっかりと覗いた青空の一部が、奇妙なコントラストを成していた。 田畑で立ち働く人々の姿。川辺で野菜を洗う女達の間から、時折どっと笑い声が上がる。 その脇では子ども達が膝まで水に浸かって、魚を追いかけている。 のどかな景色に目を細めていた一行は、川べりのとある風景に目を奪われた。 棹の間近まで走り寄って叫んだジェクトの目は、さながら子どものように輝いていた。 「おもしれえ。何なんだこりゃあ。」 川原の両端に二本の棹が立ち、その両端に渡された紐には色とりどりの魚を模した布が結び付けられていた。 新緑に彩られた川面を涼しい風が吹き渡るたびに、まるで本物の魚が一斉に空を泳ぐようだった。 「鯉のぼりといって、この辺りに伝わる風習らしいね。鯉という魚が滝を昇ることにあやかって、子どもの健やかな成長を願ったおまじないだそうだよ。」 村の脇を流れる清流は、田畑を潤し、そこに住む人々の暮らしを支えながら幻光河へと流れ込む。川の恵みを受けて命を育む土地にふさわしい風習といえた。 親の素朴な願いを乗せ、鯉のぼりは大空に鱗を光らせている。 「ふうん。どっちにしてもこいつは珍しい眺めだな。記念撮影、記念撮影。」 「貴様、この旅は遊びじゃないと何度言ったら覚えるんだ?」 ごそごそとスフィアを取り出すジェクトに、アーロンは不機嫌を隠さない。真面目すぎる性格が裏目に出て、相棒の野放図さがいちいちカンにさわって仕方ないのだ。 「大事な目的があるってんだろ?耳にタコができらぁ。」 堅苦しい小言ばかりの青年をあざ笑うがごとく応ずるのが、この男の常だった。 けれどこの日、振り向いた髭面に、いつものふてぶてしい笑いは無かった。 「分かってんだ、シンはぶっ倒す。ってことは、帰る方法も無くなる・・。」 ひとつひとつ区切るように、まるで自分に言い聞かせるように搾り出す言葉は、どこか寂しげに響いた。 「ガキに、これを見せられねえこともな。だから余計にだ。」 初夏の乾いた風が、さらさらと頬を撫でていく。 銀の光を散りばめた水面を眩しげに見つめながら、異邦人はぼそりと付け加えた。 「ちったあ俺様にも覚悟決める時間をよこせや。」 旅を続けるうち否応なしに突きつけられる事実。シンの脅威という悲惨な現実。 スピラの悲願をブラスカの覚悟を知るたびに想いが強くなる。 友を見捨てては帰れない。 仮にそれを試みても、帰る術は無い。 故郷へ帰る夢は夜ごと風前の灯火のごとくやせ細る。 帰れないのならば、せめてここで自分が生きた証を。 「ああ、やめだやめだ。湿っぽいのは性に合わねえ。」 男は頭をぶるんと振った。 かけるべき言葉が見つからなくて、黒髪の青年は言いよどんだ。 脳裏には、故郷に置いて来た一人息子の姿が浮かんでいるに違いない。泣き虫だという彼の息子は、父親の帰りを待っているだろうに。 「ジェクト・・・。」 「今が楽しけりゃ、それでいーんだよ。な。」 あっさりと言い放って、男はいつもの人を食ったような笑いを取り戻した。 見事な肩透かしを食らわされた青年が眉を吊り上げる。どんな雑言を吐きかけてやろうかと目まぐるしく思案したところへ、穏やかな声がのんびりと割って入った。 「まさに、『皐月の鯉の吹流し』といったところだね。」 「何だそりゃあ。」 片方は声に出して、聞き慣れない言葉の意味を主に尋ねた。年若いもう片方は無言で顔を向けることで、不満をどうにかおさめた。 「あそこになびいている鯉のぼりは、腹の中は空っぽだろう。そこから根に持たずさっぱりしていることを言うんだよ。」 この素行不良もはなはだしい落第ガードの場合、脳みそが空っぽの間違いではないか。 ・・・と青年が意地悪く考えてしまったのは、無理からぬことだった。 それでも、思いがけず男の深い思いに触れた気がして戸惑いをも感じていた。人の親としての感情は、アーロンの短い人生経験からは想像に頼るしかなかったが。 「ほーぉ。」 ジェクトは腕組みをしたまま、感心しているのだかそうでないのだか分からない相槌を打った。 鯉のぼりたちが元気に泳ぐのは、雲ひとつ見つけることの出来ない完璧なまでの青空。 この青空が、災厄に覆われることのない日。それを自らの手で作り出すのだ。 ◆◆◆◆ 幻光河手前の脇道を辿り、小さな森を踏み分けた先。 川原では、掲げられた鯉のぼりの群れが、空を気持ちよさそうに泳いでいた。 色とりどりに染め上げられた布製のオブジェが、くっきりと目に鮮やかだ。 「うっわ、すっげぇ。」 見つけるなり、ティーダははしゃいだ声を上げて転がるように駆け出した。 しなやかに波打つ金色の髪が、自らの作り出した風にふわりとなびいた。 「ユウナ、来てみろよ。おもしろいッスよ!」 大きく手を振り招く少年の瞳は、無邪気な輝きに溢れている。 シンに触れて突然スピラに来てしまったという彼は、その曇りない青の目で見るもの全てを素直に受け止める。慣習に囚われない自由さを持ったその反応は、ユウナをはじめ皆の心に新鮮な風を送りこむこともしばしばだった。ときには逆にスピラの常識を問い直すきっかけになることもあった。 小さく手を振り返して歩みを早めようとしたユウナは、ふと気になって振り向いた。傍らを歩くガードの長が、不自然に顔を背けたように思えたからだ。 「どうかしたんですか、アーロンさん。」 「いや・・。」 彼はサングラスを押し上げながら呟いた。渋い風貌もあいまってどこか近寄りがたい雰囲気さえ漂わす伝説のガードは、どうやら笑いをこらえているらしかった。 引き歪めた口をそのまま閉ざしかけたところで、漢は片方残った目を親友の忘れ形見に向けた。 「あれの反応が、あれの父親と全く同じだと思ってな。」 「ジェクトさんと?」 小首を傾げながら尋ねた娘は、彼が無言で頷くのを見ると小さな声をたてて笑った。 その笑顔は、咲きかけの蕾が開くのを見るようだった。 「ユウナ!」 ガードの少年は、絶景に心躍らせるまま再び少女を誘った。 彼女の名を呼ぶ声は、新緑にも似た爽やかさを伴って少女の耳へ届き、透き通るように美しい彼女の肌をほのかに火照らせた。 バラ色に上気した頬を、栗色の髪を撫でるように、透明な初夏の風がさらりと吹きすぎた。 駆け出した華奢な後ろ姿を見送って、紅一点のガードが呟く。 「無邪気なものね。」 呆れたという風の微粒子を含みながらも、黒衣に身を包んだ美女の眼差しは優しい。 召喚士という重責を担う少女が年相応の娘らしい顔を見せることは、ルールーにとっても嬉しいことではあった。 年長のガード達はしばし新緑の風を楽しみ、川辺で楽しげに笑い合う二人を遠目に見守った。 スピラの悲痛な覚悟と決意を背負う旅路での、つかの間の平穏なひととき。 黄金にも勝る珠玉の時間が、召喚士とガードの心をより深く結びつける。 無言のまま少年少女を見つめていたアーロンは、天を仰いだ。 その表情は、サングラスに阻まれてうかがい知ることはできない。 息を呑むほどに広大な蒼穹は、十年前と変わらない色をしてそこに在った。 ―――――強く健やかであれ。 変わらぬ願いを乗せた鯉のぼりもまた、透明な風の波間を力強く泳いでいた。 -FIN- --------------------- 久しぶりに10旅途中のおはなしになりました。幻光河手前の辺りですね。 というよりむしろオヤジーズが主役。 元はといえば3周年アンケのティユウ+アーロンを書き始めたはずだったんですが、欲張って季節ネタを絡めたら収拾の付かないことに。 何かよく分からない話でごめんなさい。(脱兎) [Back] |