自分らしく…そう、自分らしくありたいから、じっと待っているなんてできない。 悩むだけじゃ、待ってるだけじゃ何も始まらない。 DISTANCE 2スピラ各地の海に現れた水柱の調査報告は、ビサイド寺院の僧官たちがおととい完成させた。あとはユウナ自らが赴いて、ことの顛末を報告するだけだった。準備が整った以上、できるだけ早くベベルに向けて出発しなくてはならないのだ。 それまでにこのもやもやを何とかしたい……そう考えてはみるものの、原因が分からなくては改めようもない。だったら直接彼に聞いてみようと、覚悟を固めてユウナは海岸へと赴いた。 木々のトンネルを抜ければ、目の前に紺碧の海。瑠璃を砕いて敷き詰めたように広がり続いている。 浜辺へと続く急な坂道を、半ば駆けるようにユウナは降りていく。石だらけの地面に靴底を滑らせて何度かバランスを崩しながらも、彼女は南国特有の珊瑚砂広がる浜辺へたどり着いた。 波打ち際では、オーラカのメンバーが思い思いの練習メニューをこなしているのが見える。その中にティーダとワッカが立ち話をしているのが目に入った。監督兼コーチとキャプテンとしての打ち合わせだろうか。真剣な様子で話し込んでいる。 割り込むのも気が引けるけれど、こちらだって重要な話なのだ。そう自分に言い聞かせて歩を早めた途端、 「じゃオレ、ひと泳ぎして来るッス!」 こちらの気配を察した途端、まるで逃げるようなタイミング。そそくさと水辺に向って歩いていく。 「おい!まだ話は終わってねーぞ!」 追いかけるワッカの声が、彼女の胸に寒々しくこだました。失望が絶望へと色を変えていくのを感じながら、それでもユウナは陽光に映える金髪を目印に彼の後姿を追いかけた。 「あっ!」 複数の叫び声が上がった。 狙いを誤ったシュートが、ユウナめがけて襲いかかる。 直撃する!誰もがそう思い立ち尽くす中、唯一つ飛び出した人影。 体をひねって砂を一蹴りするが早いか、ティーダは野生動物のような俊敏さで身体を弾ませた。流れ弾に向って横っ飛びに腕を伸ばす。 小さな悲鳴にボールを弾く大きな音が重なった。パンチングを受けて進路を逸らされた青い弾丸は、恐る恐る顔を上げた観衆の眼前を突っ切ると、唸りをあげて蒼天に吸い込まれた。 勢い余って褐色の身体は砂の上を転がった。白い砂の上に柔らかな金糸が舞い散ったかとみまがう一瞬の後、彼は肩口から砂の上を一回転すると跳ね起きざまに体勢を立て直し、うずくまる彼女の元へ駆け寄った。 「ユウナ!大丈夫か!?」 慌てて抱き起こすと、初めて我に返ったようにユウナは小さく身じろぎした。 「う、うん。びっくりしただけ。どこも痛くないから…」 そう言いながら見上げた先には、頬に白い砂を張り付かせたまま覗き込むティーダの顔。手を伸ばせば届く場所で、心配のあまり心なしか目を潤ませて。穏やかな海の青さをそのまま切り取ったような、大好きな色。ユウナの中で張り詰めていた気持ちが、不意に緩んだ。 「やっと、こっちを向いてくれたね。」 語尾は涙に溶けて掠れた。オッドアイに見る見るうち透明な珠が溢れこぼれ出す。ホッとすると同時に涙腺まで緩んでしまったらしい。 頬を流れぽろぽろと落ちる涙を拭いもせずに、腕から伝わる温かさを感じながら、ユウナはただ愛しい人を見上げていた。 「あっ、あの、ユウナ…?」 かけてやるべき言葉がとっさに見つからなくて、ティーダの焦りは頂点に達した。遠巻きに眺めるみんなの視線が、痛い。おたおたする自分を内心叱り付けながら、目の前で泣きじゃくるユウナに一言。 「ごめん。」 色違いの宝石をはめ込んだような瞳が一瞬見開かれ、泣き顔とも笑顔ともとれない表情が零れ落ちる。 不謹慎ながら愛しくてしょうがない。抱きしめたい衝動にかられながらも、彼はこの場を収集する手段を必死に探らなければならなかった。 何故なら背中に殺気が迫っていたから。 「泣かし〜た〜な〜。くぉら。」 地を這うようなワッカの声がした。幼い頃から面倒を見、またガードとしてずっと守ってきた少女を泣かした不埒者に天誅を加えるべく、ずい、と一歩を踏み出す。 「いや、あの、ちょっと…」 見苦しくも言い訳を始めようとする罪人に向って、オレンジ色の髪を怒りに逆立てた青年は、指をぽきぽき鳴らしながら近づいた。 「話せば分かるって。な?まずはユウナに説明してからさ…」 ワッカが問答無用で掴みかかろうとした刹那、ティーダは驚くべき強硬手段に出た。ユウナを両腕に抱き上げると、すっくと立ち上がったのだ。 飛び退ってワッカの逞しい腕に空を切らせておいて、砂を蹴り駆け出す。異国の美姫をさらって行く蛮族もかくやという勢いで、彼は岩陰の向こうへ見えなくなった。 多少の事情を聞かされていたワッカはともかく、残された者達は、ただ呆気にとられて事の推移を見守るばかりだった。 「ティーダさん、キーパーでもいけるんじゃないっすかね?」 オーラカゴールの守護者、キッパが思わず漏らした嘆息交じりの述解に、監督兼コーチは腕を組んだ。 「うんにゃ。ゴールネットの向こうにユウナを立たせときゃ、使えるかもしれんな。」 話の見えないオーラカのメンバー達には適当に説明して誤魔化しておいてから、ワッカは練習を再開させた。 砂浜の向こうに伸びている村への道をちらりと見やると、鼻の脇を掻きながら不機嫌そうに呟く。 「まーったく、青いんだからよ。しっかり守っとけや。」 緑の陰、半ば埋もれるようにして山道に点在する遺跡郡。そのうちの一つにユウナを下ろすと、ティーダはその身体を折り曲げるようにして呼吸を整えた。軽いとはいえ、人間一人を抱えたままの全力疾走はさすがにきつい。 遺跡の上にかしこまった姿勢のまま座りながら、ユウナは彼の体が新鮮な酸素によって瑞々しい活力を取り戻していく様をしばらくぼんやりと眺めていた。 吹き渡る風が頬をなで、囁きのような葉擦れの音を耳に届ける。肌を焦がすような無遠慮な光も木々に遮られてここまでは届かない。地面に注がれた木漏れ日が、砂金を撒き散らしたかのようにキラキラと揺れた。 「どうして私のこと避けてたの?」 ティーダが大きく息をつき背筋を伸ばすのを待って、ユウナはずっと聞きたかった疑問をぶつけてみた。 「避けてたわけじゃ…ああ、その、ごめん。避けるっていうか、その…さあ…」 彼にしては珍しく、歯切れの悪いことこの上ない。しばらく黙ってあっちこっちに視線を泳がせたり、靴の甲についた泥を擦り落としたりしていたけれど、やがて観念したように何かをぼそりと呟いた。 「実はさ…。」 意を決して切り出しながらもティーダは、何処から説明しようかと思考の逡巡を繰り返していた。考えてみれば、吹き出してしまうほど些細なことだ。それが余計に恥ずかしくて落ち込みに拍車をかけた。小さな誤解を早くに解かなかったことがひどく悔やまれる。非があることを分かっていながら逃げ続けた結果、誰よりも大切な人を泣かせてしまったのだ。 彼女は、固唾を呑んで次の言葉を待った。 日焼けした頬に朱を刷いて、金色の睫毛を伏せたまま、ティーダはほんの少しの間立ち尽くした。陽気で楽天的で時折自信家の顔さえ覗かせる常の彼は完全になりを潜めてしまったようだ。ユウナにとっては恋人の意外な一面がいささか新鮮でもあり、その原因が余計気になったのも事実だった。 「 ……が…、……ぃんだ。」 蚊の鳴くような声、おまけに掠れていて聞き取れない。ユウナは彼の顔に耳を寄せた。 「え、何ていったの?」 彼の顔は耳まで真っ赤になった。ユウナの髪が運んできた花の香りに魅せられたのか、それとも自身の告白する内容に忸怩(じくじ)たる想いがあるのか、あるいは両方か。 「ユウナ、この3年の間にちょっと背が伸びたろ?」 唐突な問いに少し戸惑いを覚えながらも、彼女は首を傾げながら答えた。 「えっと、1センチくらいかな。ブーツを新調したから、ヒールのせいで高くなったように見えるかも。」 ユウナの答えに、塊のようなため息と共に白状したその内容はというと… 「…だから…さ、あんまり伸びてないわけ。」 「何が?」 スピラの至宝にも例えられる美しい瞳に困惑の光が浮かぶのを見て、金髪の青年は悄然と肩を落とした。 「…オレの身長。」 彼女がその意味を理解するまでには、もう少し詳しい供述と、さらに少々の時間が必要だった。 「それに気付いたら、何だかユウナの隣に並ぶの…気後れしちゃってさ。」 頭をかきかき説明する彼の話を要約すると身長差が縮まってしまったことに内心ショックを受け、落ち込んでしまったのが今回気まずくなった原因…らしい。 「二十歳までにはオヤジと同じ身長にまで大きくなる計画だったんッスよ…」 彼女はこのときも聡明で、かける言葉の選択を誤らなかった。 そんな些細なことが原因だったのか…と言いかけたのをぐっと飲み込んだのだ。本人にとっては「些細」でないからこそ、こんなことになったのだろうから。 一呼吸おくことで、ちょっぴりの余裕も生まれてくるものだ。 そこで、行き違いの発端になった彼の子どもっぽいプライドを笑ったりなじったりする代わり、小さく息を吸い込んで目の前の恋人を真っ直ぐ見返した。こんなに恐縮している彼って珍しいな…といささか余計なことを考えながら。 そうしておいて、彼女はできるだけ重々しい口調でこう言った。 「夕べ、私がどんな気持ちでいたのか想像できる?」 神妙な顔で黙って頷いた青年の目は、叱られた子犬のそれを連想させた。ユウナは顔がほころびかけるのを慌てて引き締めた。 「隠し事をされるのは、正直言って辛いんだ。」 喜びも、悲しみも全て二人で分かち合いたい。こう考えるのは我侭だろうか。あの日彼の後姿を見送ることしかできなかった自分。彼の溶けていった空の凄絶なまでの美しさを、生涯忘れることはないだろう。 「それに私ね…。」 もう二度とこの手を離さないと誓った。未来永劫に。 消え入らんばかりに恥じ入って肩をすくめているティーダに向って、ユウナはにっこりと笑いかけた。 「キミの顔が、あんまり遠くなっちゃうのはイヤだな。」 あでやかに花咲くようなその笑顔は匂い立つようで、罪人(つみびと)の心の隅々までも明るく照らした。彼はようやく自分が許され、責め苦から解放されたことを知った。大切な人へ、その手をおずおずと伸ばす。 「ユウナ…」 天の主は、もうすぐ天頂にさしかかる頃。木漏れ日の輝きと時折聞こえる小鳥のさえずりだけが、二人の時間を優しく取り巻いていた。 刺すような日差しがこれでもかとばかりに照りつける午後。青い空に悠然と舞うカモメの白が、くっきりと染め抜いたように目に鮮やかだ。 海風が港を吹き渡り、積荷の点検に余念がない船乗り達に一服の涼を運ぶ。 絶好の航海日和。 定期船のタラップを上りながら、ユウナはもう一度村への道を振り返った。 「今日ベベルへ行くって言っておいたんだけどな…。」 延び延びになっていた報告をするため、ルカ経由でベベルへの船旅だ。用を済ませたらすぐにでも帰るつもりだから、またすぐに会える…それでも出発する前にティーダの顔をもう一度見ておきたかったのが、ユウナの正直な気持ちだった。 村を出るときにあちこちを覗いたのだけれど、姿が見当たらなかった。ルールーやワッカに聞けば、遅れないように港へ早く行けと言われるばかり。港で見送ってくれるのかも…と淡い期待を胸に海辺までやってきたけれども、浜辺にも桟橋にも彼はいなかった。 とりあえず仲直りできただけでよしとしよう。小さなため息をつきながら右手の小さな書類かばんを握り直した時だった。 「ユウナ!遅いッスよ!」 彼のことばかり考えるあまりの幻聴だろうか。驚いて顔を上げた先、船の舳先からひょいと顔を覗かせて笑ったのは、なんとティーダだった。 「どうして船に?」 突然のことに驚きを隠せない彼女に、彼はエイブス仕込の見事なウィンクをよこした。 「どうしても何も、オレはユウナのガードだろ?」 一緒に行ってくれるという彼の気持ちが嬉しい反面、あまりに急なことですぐに言葉を返すことができない。それにシンのいなくなったスピラでは、交通整備や警備の強化が進み主要な都市間の交通は安全がほぼ確立できるようになっていたから、それほど危険が伴うわけでもない。 「それほど危険な場所を通らないから大丈夫。それにオーラカ復帰の話も急ぐんでしょう?」 逆に彼の立場を気遣うユウナに、 「ガードが守るのは、身の安全だけじゃないだろ?」 ティーダはひらひらと手を振った。 「ワッカもさ、何だかんだ言ってユウナのこと心配してるんだって。ベベルには魔物も顔負けの奴らばっかり巣食ってるから、行ってこいってさ。」 ほんとは旅の間に仲直りしてこいって言われたんだけど…と、小さな声で前置きしてから、コホンと咳払いを一つ。 「それとももしかしてオレ、クビ?」 両の目に悪戯っぽい笑みを浮かべて、金髪の青年は問いかけた。 「発育不良の上に、素行不良だからな。」 手を頭の後ろで組むと、眩いばかりの天を仰いでぼやく。まだ凹んでいるらしい彼の物言いに彼女は小さく吹き出した。 「キミはこの間生まれ変わったばかりなんだから、焦ることはないよ。」 「何だよそれ。オレは赤ん坊かよ。」 振り向きざまキャラメル色に焼けた頬をぷっと膨らませる彼に、ユウナはくすくす笑いで返した。 「今のスピラには、時間、たくさんあるから。 ね?」 そういうと、大召喚士と呼ばれる至高の乙女は、ガードに向ってぺこりと頭を下げた。 「これからずっと、お願いします…。」 出港の時。碇が巻き上げられ、船は滑るように岸を離れていく。 新しい旅が始まろうとしていた。 例えば地上からは一つの光にしか見えなくても、本当は希望という名の小さな星と連なって回っているかもしれない。 恐がらずに手を差し伸べてみれば、それは本当に簡単なこと。 -FIN- |