Heartful Snow

 両腕を天井に向け大きく伸びをしながら、リュックはふと壁の暦に目を留めた。
 
 今しがた、 ミーティングが一応のお開きとなったところだ。一応というのは堅い話に区切りをつけるという意味で、たいていの場合彼らはその場所に居残って雑談に花を咲かせることが多かったのだ。
 椅子を立ち、ステップを踏むような独特の足取りで傍へ寄る。

 暖かみを感じさせる木目の壁には、明るい色調で刷られた大きな暦が飾られている。この暦は亜人種を含め様々な地方の歳時記が数字の下にびっしりと書かれているもので、アルベド族の経営する旅行公司ではほぼ例外なく目にする事ができる。必ずしもエボンの教えにそぐわない伝承もあるため寺院は認めていないようだが、様々な種族が利用する宿には必要なものだった。
 情報の価値を知り、未知の物を柔軟に受け入れるのが得意なアルベド族の合理性がこんなところにも現れていたといえるだろう。

「こうしてみると、なあんにもない日ってないもんなんだね。」
 少しおどけた感想をもらしながら、アルベドの少女は数字を指でたどった。

 エボンの包囲網をかいくぐりながら、召喚士ユウナの一行は、シンを倒すための新たな力を得るため、古の武器を求める毎日を送っていた。ここはジョゼ海岸に程近い旅行公司。宿に泊まれた日は、夕食とミーティングを済ませた後ささやかな自由時間を過ごすのが常だった。
 召喚士とガードとしての旅。生死をかけて魔物に挑み非日常に身を置く彼らにとって、こうした日常との接点は、戦いに明け暮れて疲弊した心身を休める何よりの機会となっていた。
「ええと、今日は…ハイペロの安息日?」
 柔らかに束ねた金髪を少し傾げながら読み上げたリュックに、
「いかにものん気そうだな。何する日だろ?」
 ガード仲間の一人、ティーダは陽気に笑いながら応じた。
「何にもしない日よ。その日はシパーフも休息日で、幻光河は一日渡れないそうよ。」
 艶のよいアルトが二人の疑問を払拭した。三度目の旅ということも手伝って、ルールーは仲間の中でも特に物知りだ。
 うんうんと首を縦に振って感心しつつ暦に視線を戻したリュックは、エメラルド色の瞳を輝かせた。
「それから…今日は聖夜だってさ。」
 その言葉に、奇しくも二人が反応を見せた。
 一人はスピラをこよなく愛する召喚士。父ブラスカから聞いたスピラ北部の伝承話を思い出し、読みかけていた本から顔を上げて壁の暦に目を向ける。
 もう一人は、ザナルカンドでの聖夜を知る少年。懐かしさとも寂しさともつかない色を、ほんの一瞬眼元に滲ませた。
「ロマンチックな響きだね。どこの風習かなあ。」
 無邪気な感想の後、少女は物知りの黒魔道士に水を向けた。
「確か、北方のお祭りだったんじゃないかしら。」
 ルールーの言葉を受けてユウナは頷き、幼い頃伝え聞いた物語を披露した。
「父さんから聞いたことがあるよ。聖夜のお話――」

シンがスピラに現れるよりずっと前のこと。雪深い貧しい北の山村を、ある時寒波が襲った。厳しい寒さのために命を落としそうになった子どもを、村を訪れた聖人が奇跡を起こして救った。村人はその奇跡を称えてモミの木を飾り、祝ったという。

「モミの木は暖炉の薪や暖かな家となって村人を寒さから守ってくれるだけじゃなく、厳しい寒さの中でも緑を失わない姿が、強い生命力の象徴とされているんだって。だから今でも大切に扱われ、聖夜には必ず幼木の雪をはらって飾り付けをするんだ…って。」

 ユウナの柔らかな声音が、温かさをともなってガード達の耳に優しく響く。ある者は頬杖をつきながら、ある者は酒盃を傾けながら、ある者は背筋を伸ばしたまま目を細め、しばしの間聞き入った。
 冬の奇跡を伝えるおとぎ話。語り終えたユウナは、一人、金色の前髪に表情を隠しているガードに向ってためらいがちに話しかけた。
「ザナルカンドにも、聖夜ってあった?」
 少年の話すザナルカンドは先だって訪れた遺跡とは別の地として、仲間に受け入れられていた。特異な服装もさることながら、スピラでの常識に囚われない、自由で斬新な考え方で周りを驚かせてきた天衣無縫な少年。彼がザナルカンドから来たというのは仲間内で既定の事実となりつつあった。最初は「シンの毒気」で片付けていたワッカでさえ。
 
 ユウナが躊躇したのには、理由があった。聖夜の名を聞いた彼の横顔がほんの少しだけ歪むのを見逃してはいなかったのだ。華やかな機械仕掛けの都で、自分達スピラの住人とは違う時を生きてきた彼。
話すことで、彼の感じる孤独が少しでも和らげば。そう思う反面、思い出話をさせることで逆に彼の郷愁を誘い、傷つけてしまったら――そんな迷いが彼女の舌に重くまとわりついていた。

 そんな少女の逡巡を見透かしたかのように、ティーダは顔を上げた途端、いつもの屈託ない笑みに戻って陽気な声で返した。
「オレの知ってる聖夜は、大事な人と過ごすといいことがあるって、そういう日で…それから聖夜に雪が降ると望みがかなうとも言われてたな。」
 彼の軽い調子に、リュックが茶々を入れる。
「へええ。大事な人とォ?」
「家族とか友達とか…オレは毎年大勢で、朝まで遊んでたッスよ!」
 とってつけたような説明に、スパイラルアイズが三日月形を描いた。
「だぁれもそんなこと聞いてないって。」
 別にやましい所がある訳でもないのに、ユウナの手前だと、ティーダにとってこういう話はどうも形勢が思わしくない。エースの窮地を救ったのは、苦笑して見守っていたユウナ本人だった。
「ザナルカンドにも、雪って降るんだ?」
 まだニヤニヤ笑っているリュックの頭を指で小突きながら、ティーダは出された助け舟に喜んで飛び乗った。
「んー、めったに降らなかったけどな。海が近いせいかもしんない。時々降ると、そりゃもう大騒ぎで…」
 そこまで言ったティーダは、ふと何かを思いついたように両手を胸の前で打ち合わせた。
「オレ、いいこと思いついたッス。ちょっと外へ出よう。」
 言いかける先にもう早速立ち上がっている彼に、ユウナも慌てて席を立つ。リュックはティーダに手招きされると、首を振って答えた。
「あたし寒いからここにいる。二人で行っておいでよ。」
 そういってちらりとユウナを見やる。気を利かせたつもりだったのだけれども
「リュックも行こうよ。ね?」
 にこやかに微笑む従姉妹に内心ため息をつき、それから思い直す。

 ――変に二人きりの世界作ったりしないで仲間の中で自然に振舞ってるのが、この二人らしいといえば、らしいけどね。――と。

 
建物の外に出た途端、冷たい空気が肌を刺した。ほんのりと潮の香を含んで、海辺の湿った空気は身体にまとわりつくようだ。
 小さなくしゃみをして身を震わせるリュック。ティーダは足元に落ちていた小石を拾い上げると、二人の少女から5メートルほど離れて立った。
「ちょっと危ないかもしれないから、頭の上に気をつけろよ!」
 そういうと、彼は握っていた小石を鋭いモーションで真上に放り上げた。小石の吸い込まれた漆黒の闇に向って再び素早く右手をかざし、呪文の詠唱を始める。たちまちピシピシと空気の軋む音と共に雪と氷の精霊が寄り集まり、騒がしく飛び交った。
「ブリザド!」
 詠唱が終わると同時に、伸ばされた手から小さな氷の粒が白く噴き上がった。

 冷気の魔法を空に向けて放つティーダ。呆気にとられて空を見上げたままのユウナは、空からふわふわと落ちてくる白い結晶に驚いて声を上げた。
「雪?」
 空を見上げて目をこらしたリュックも、両手を広げてぴょんぴょんと飛び上がった。
「うわあ、すっごーい!」
 小さく白い粒は、ひらりひらりと舞いながら三人の肩に、受けた掌に落ち、ただ一瞬のきらめきを残して消え去った。

「この方法じゃ、これが限界だな。」
 もう少し派手に降らせたかったんだけどな…と頭の後ろで腕を組み、空を見上げながらぼやくティーダだったけれども
「でも、確かに降ったね。聖夜の雪。」
 ユウナの声は胸いっぱいの嬉しさに弾んでいた。 
「ルールーだったら、もっと沢山降らせられるかな!?」
 はしゃいで意気込むリュックに、彼はしかめっ面を作り、両手の人差し指を頭の上に立てて見せた。
「その前に、魔法をムダ使いするなって大目玉ッスよ。」
 夜空に三人の笑い声がはじけた。

「望み、かなうといいね。」
「…そうだな。」
  闇の中でなお、道標のごとく淡く浮かび上がる金髪に見惚れながら、ユウナはそっとティーダに寄り添う。自分の指先を大きな掌に絡ませると、彼は小さく振り返って微笑んだ。繋いだ指先を包み込むように握り返される。
小さな接点から流れ込んでくる、大きな温もり。

 望んではいけないと思ってきた。召喚士の自分が犠牲になることでスピラを救うことができるなら、それだけでいいと思っていた。
 けれども旅を続け世界を深く知るほど、今まで信じてきたものがいかに脆く虚飾に満ちたものであったか思い知らされた。唯一の希望としてすがってきた究極召喚さえ、今のスピラにはもう存在しない。
 今こそ自分の意志で、自分の望みをかなえたい。
 「永遠の継続」そして「変わらぬ真実」。うわべこそ美しいがその実、腐臭に満ちた螺旋の中心。それを打ち破ろうとする者にとって、固定観念や既成概念など邪魔なだけ。
 それに気付かせてくれたのは、彼。

 常に新しい風を受け、そして真っ先に駆け出すのだ。




「あら、雪?」
 窓の外を眺めていたルールーが、ふと呟いた。
「まさか、見間違いだろう?」
 ワッカは一笑に付した。確かに窓の外は黒々とうねる海岸線が朧に見えるだけで、空には雪はおろか雲もない。
 黒髪の美女は幼なじみの男に意味ありげな一瞥をくれると、もう一度窓から空を見上げた。
「そうね。でもどんなに信じられないことでも…。」
――あの子達ならあきらめないで、きっとかなえるでしょうね。―― 








◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 
今宵小さな奇跡を

 生きとし生けるもの全ての上に

 空から舞い降りるひとひらの

 聖夜の奇跡を

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 -FIN-

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