Once upon a time








「ちょっといいかな。」
 夕食後のミーティングも終わり、皆は三々五々自分の部屋に戻っていった。立ち上がろうと腰を浮かせたティーダを、ためらいがちな声が呼び止める。振り向けば、そこにはユウナが立っていた。
「あのね、ジェクトさんのスフィアを、見せてもらえないかなと思って…」
 青と翠の瞳がじっとこちらを見つめている。
「父さんの声が、聞きたくて…」
 伏せた睫毛が、色違いの宝玉に被さる様子に見とれながら、彼はふと、反逆者の汚名を着せられた彼女の心中を思いやった。
―――やっぱり、相当キツいよな。

  スピラの人たちが、そしてユウナが絶対だと信じてきたエボンの教えは、まやかしだった。しかも寺院の本当の姿を知った彼女は、反逆者として追われる立場にある。
 いくら気丈に振舞っていても、召喚士の少女の神経が疲弊しているのは明らかで。ティーダにとって悩みのタネのうちの一つだった。

 ベベルからの脱出に成功し、改めて旅を続ける覚悟を決め、一行はここナギ平原にやって来た。明日は、いよいよザナルカンドを目指すべく、ガガゼトへと足を踏み入れることになる。
 逃避行の疲れを休め、これからの険しい道に備えるために、リンの経営する旅行公司は何よりの隠れ家だった。

「ああ、それならここにあるッス。」
 後ろのベルトポケットから半球型のスフィアをつかみ出した。
「いつも、持ち歩いてるんだ…?」
 ユウナの無邪気な質問に、少し慌てる。
「あー、たまたまッスよ。偶然。」
 荷物の整理をサボってて…とかなんとかごにょごにょとつぶやく。動揺を悟られまいと作られた笑顔に、彼女はくすりと笑ってそれを受け取った。滑らかな曲線で囲まれた物体は、深い青をたたえて掌の上で光っている。
 
「じや、また明日。」
 軽く伸びをして、おやすみの挨拶をしかけたティーダを、ユウナは引き止めた。
「えっと…、一緒に見ようよ。」

 自分がさんざん嫌ってきた父親の本心が込められたスフィア。メッセージを再生するのは、正直言うと面映ゆい。
 ティーダはちらりと目をやった。食堂にはまだ酒を飲んでいるアーロンが残っていた。けれども他ならぬユウナの誘いを断る理由はなかった。どちらかの部屋へ引っ込むことも考えたけれど、仲間達にばれたら何を言われるか分からない。二秒ほど迷ってから彼は口を開いた。
「…昼間はいい天気だったから、今夜はきっと晴れてるよな。」



 

 ドアを開けると、銀の粒を撒き散らしたような見事な星空が眼前に広がった。手を伸ばせば届くのではないかと錯覚できるほど、小さな輝きの一つ一つが競うように瞬いている。闇は地面に突き立てられたシンの爪跡を覆い隠し、豊かな大地の輪郭を黒々と浮かび上がらせている。今夜は月がないために、その光は一層その輝きを増して二人を押し包むようだった。

「足元が暗いから、気をつけて。」
 暗闇の中そっと差し出された白い手を、ティーダはごく自然に握って歩き出した。すぐ傍の遺跡に並んで腰掛ける。
 最北端に位置し、大陸的な気候もあってナギ平原の夜は冷える。けれども寒々と吹き渡る風さえも、今の二人にとっては肩を寄せ合う口実を作ってくれる親切な事象に過ぎなかった。

 闇の中にほの明るい光が灯る。小さな映像に、少女は声もなく見入った。
 見送る者もない、閑散としたグレートブリッジ。二人のガードと共にひっそりと旅立つ父親の顔は、自分の思い出の中と同じように柔和な笑みに彩られている。
「父さん、笑ってるね…。」
 スフィアの中の会話シーンに、目を細めながら、ユウナはつぶやいた。

 裏切られ、傷ついてなお世界を救おうと自分を奮い立たせる召喚士の少女。ティーダは胸にこみ上げるものを抑えきれなくなって、そっと腕を伸ばした。
  華奢な肩に手を置くと、グローブの上からでもはっきりと分かるほど冷え切っている。
 少年は、自分の体温を少女に分け与えながら提案した。
「そろそろ戻ろうか。」
 肩に回された腕のぬくもりに名残を惜しみつつ、彼女は小さく頷いた。



 温かい飲み物を求めて食堂に入ると、そこには酒瓶を傾けるアーロンの姿があった。
 連れだって現れた二人に気付いた隻眼の韋丈夫は、唇の端を僅かに引き歪めた。ユウナの胸に抱きとめられたスフィアは淡い光を跳ね返し、漢のある記憶を掘り起こしたのだ。
「ベベルでの撮影分には、実はまだ続きがあったんだが…上書きされた部分があってな。」
 おもむろに口を開く。 
「聞きたいか?」
 ユウナは色違いの瞳を輝かせたが、ティーダは内心身構えた。この男がこういう物言いをするときは、たいてい良くない話が待っていることを、経験上知っていたのだ。
「酔ってんのかよ、おっさん。」
 すごむ少年に委細構わず、アーロンは低い声で語りだした。




 ブラスカの一行はベベルを出てマカラーニャに向かった。水晶のきらめきを持つ木々が朝日を弾き返し、輝きを放っている。しばらく口をつぐんで歩いていたジェクトは、やおら先程の話題を持ち出した。
「しっかしよお、ブラスカ。あんなかわいい娘を置いて旅に出るなんざ、おめえも物好きだな。」
 無責任な揶揄にアーロンが目をむく。口を開きかける彼を小さく手で制し、ブラスカはにっこり笑いかけた。
「かわいく思うから、シンのいない世界を娘に贈りたいんだよ。」
 決意を秘めた召喚士の言葉。その重さを量りかねた異邦人は生返事をしながら耳の後ろをぱりぱりと掻いた。
「ま、シンをぶち倒して、さっさと旅を終わらせりゃいいこったな。」
 一人で勝手に納得し、ふむふむと口の中でつぶやいている。

「それにしても、ユウナちゃんは将来美人になるぜ?俺様の目に狂いはねえからな。」
 どこまでも脈絡のない相方の発言にこめかみを押さえつつ、その内容には同意したいアーロンだった。
 白皙の肌に、愛らしい笑みをたたえた薔薇色の唇。エメラルドとラピスラズリを思わせる左右色違いの瞳は、ぱっちりと輝いて生気に溢れている。幼さを残しながらも、その姿は美少女と呼んで差し支えない。幻の異国から来たという男の話に熱心に耳を傾け、若いガードに笑いかける仕種は、旅立つ者達を勇気づけた。
 あの笑顔を守らなければ…。黒髪のガードは使命の重さに思いを馳せた。
 一方のガードといえば、この世界に無知なことも手伝って、今ひとつ緊張感がない。もっともこの男の辞書には緊張だの、恐縮だのといった言葉は存在していないかもしれないが。

 ニヤニヤしながら歩いていたジェクトは、急に右手の拳を左掌に打ちつけた。何か思いついたらしい。ブラスカに向かって大声で話し始める。
「俺様にも7つのガキがいるんだけどよぉ。これが男のクセにすぐピーピー泣きやがって、どうしようもねえヤツなんだけども…。」
 苦々しく聞いているうちに、黒髪をたらした青年は、おやと思った。
 口では散々こき下ろしておきながら、その眼差しは大切なものを包み込むような温かさに満ちている。
 ―――こんな奴でも、一応人の親なんだな…。
 郷里の息子に思いを馳せる男の心情は若いアーロンの胸にも迫って響いた。無知で粗野で、やたらカンに触ることを言う男だけれど、その境遇は少々気の毒ではある。
 と思った矢先だった。
「んで、どうだ?ユウナちゃん、ウチのガキの嫁に貰ってやろうか?」
 一瞬でも、このとんでもない莫迦に同情した自分が情けない。若いガードがいきり立って叫ぼうとしたとき、
「ははは…君と親類になるのは、今のところ遠慮しておくよ。」
 召喚士はにこにこ顔を崩さないまま、見事に切り返した。さすがブラスカ様!と、アーロンは心の中で拍手喝さいを送る。
「何でぇ、そりゃどういう意味だよ。」
 一本取られて渋面をさらすジェクトに、相方は撮影用のスフィアを向けた―――



「―――という話なんだが。」
 ユウナは、口に手を当てて笑いをこらえている。
「んで、オレにどーいうリアクションを求めてる訳ッスか?」
 おかしな物でも飲み込んでしまったかのような顔で、ティーダは腕を組んだ。
「さて、もう遅い、寝るぞ。」
「あ、まてコラ。逃げるなおっさん!」
 言うことだけ言ってさっさと席を立ったガードの長は、ふん、と鼻を鳴らした。
「牽制だ。」
 二の句が告げない青少年を残して、彼は悠然と食堂を出て行った。





 廊下を二人で歩きながら、ユウナはちらりとティーダを見上げた。金髪のガードは表情の選択に困った様子で少女を見返す。
 「私、ジェクトさんがお義父さんになってくれたら、嬉しいけどな。」
「ユッ…!?」
 突然の爆弾発言に、ティーダはきっかり3秒石化した。天井を見上げながら大きく息を吸い込むと、混乱したままの頭で必死に考える。ユウナの意図が、今ひとつ掴めない。
 …ジョークとして笑っておくのが無難だよな。
 言われた瞬間に笑って受け流せばよかったものを、妙な間が空いてしまったことを悔やみながら、彼は務めてなんでもないような振りをして答えた。
「ユウナの親父さんなら、どこへ出ても恥ずかしくないから、うらやましいッス。」
 もじもじ指を組んでいたユウナは、自分の部屋の前まで来ていたことに気がついてそそくさとドアを開けた。
「今夜はありがとう。お休みなさい。」
「ああ、お休み。」
 ティーダは蒼い瞳を細めた。軽く手を上げるとゆったりと踵を返す。その姿がドアの前から完全に消えてしまうまで、彼女は見送り続けた。

 

 一人になってしまうと、ユウナの胸に急に恥ずかしさがこみ上げてきた。何も知らない子どもでもあるまいし、あんな言葉を口にして変に思われただろうか。
 最近、自分で自分の気持ちが分からない。
 手元の灯りをともし、少女は小さなため息をつく。暗闇に浮かび上がるぼんやりと頼りなげな光は、彼女の中に芽生えた不可思議な感情そのものに重なって映った。

 空のように冴え冴えと澄み渡り、海のように深い色をたたえた双眸を思い浮かべるたび、訳もなく胸が苦しくなる。
 まるで大きな波にさらわれて、溺れてしまったかのように。

 それでいて、彼を求める自分の心が、日に日に欲張りになっていくような気がする。



 ――― も・っ・と   か・れ・と   ふ・れ・あ・い・た・い  






 ベッドに身を投げ出すと、糊のきいたシーツがふわりとユウナを受け止めた。見上げればカーテンの隙間から忍び込む星々の輝き。

「ティーダ……」
 声に出してつぶやくだけで、何故だか涙が出そうになる。
 降るような星空の下で彼の熱を受け止めた名残を愛しむかのように、ユウナは自分の肩をそっと抱いた。



 -FIN-




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