オイディプスの微笑
 オレ達は、再び飛べるようになった飛空挺に乗り込み、新たな旅を始めていた。スピラを覆う死の螺旋を断ち切るための旅。
 高みから押し付けられた唯一無二の選択肢を蹴り飛ばしたオレ達は、この世界を救う方法を一から考えなくちゃならなかった。
 でも何か策があるはずなんだ。どうやってなんて聞かれても、今は分からないんだけどさ。

 シンを倒さない限り、ユウナは心の底から笑うことができないから。

「我ながら、どえらい魔物を作り出してしもうた。」
 口ではそういいながら、訓練所の爺さんの目は、愉悦にぎらぎらと光ってやがった。
「最初の一回はタダでええぞ。ん?」
 ほら、よく言うだろ?オレももうちょっと考えてから返事すりゃ良かったって心底反省した。
 タダより高いものは無いってさ。

 爺さんがナントカイーターって呼んでたそのモンスターは、ミヘン街道辺りでやっつけた奴に似てた。けど、あれに比べるとずっと異様な形で、サイズもでかかった。何よりそいつから発散される瘴気だか邪気だかが、ものすごかったんだ。向かい合ってるだけで胸がむかむかしてくるような嫌な感じがした。
 隣にちらりと眼をやると、眉根を寄せてモンスターを睨み上げるユウナの横顔が見えた。アーロンの、太刀を構える音がする。とにかく速攻で勝負だ。ヘイスガを唱え、放つ。ユウナが呪文を唱え、薄絹のようなバリアをまとって物理攻撃に備えた。そしてお次は、アーロンの番。重い斬撃がモンスターの体を切り裂いた、かに見えた。でも、アーマーブレイクはガードされ、たいしたダメージを与えられなかった。
「バハムートを召喚します!」
 ユウナが叫んでロッドを振りかざした。天地を揺るがし雷鳴を轟かせて、常勝の聖獣が降臨する。力強い味方の登場に、オレは内心、楽勝だなって思った。
 だけど、信じられないことが起こった。敵の反撃が繰り出されると、バハムートはたまらず膝を折り、一瞬にして力尽きたんだ。召喚獣の巨体が透けて虚空に溶けていく。オレとアーロンは慌ててユウナの元へ駆け寄った。
 やばいッス。
 背筋に伝う冷や汗の感触が、妙にリアルで気持ち悪かった。
 こちらから再度攻撃をしかけたものの、巨大なモンスターには毛ほどの傷もつけられなかった。
 で、向こうからの攻撃は突然来た。
 そのバカ力といったら、そりゃすさまじいの一言だった。他に言いようもないって感じ。奴の腕が目にも留まらぬ速さで繰り出された瞬間、オレの身体はものすごい衝撃にふっ飛ばされちまった。背中から地面に叩きつけられ、息が止まりそうになる。ホントに止まってたかもしれない。ユウナのことが心配だったけど、もう頭を上げるどころか指一本さえ自分の自由にならなかった。全身がばらばらになりそうな痛みの中、目に映ったのは、ナギ平原の草の緑だった。やけに元気よく生えてやがるなあって、そんなくだらないことを思い浮かべながら、オレの意識は途切れた。

 すんでのところで、オレ達は訓練場から引きずり出され、何とか一命を取り留めた、らしい。リュックがパニくって涙見せたりして、随分大変だったと後でルールーに聞かされた。アーロンが倒れるなんてよっぽどのことだからな。
「リュックがべそかいてるの、見たかったッス。」
って冗談を言ってみたら、お姉様に怖い顔で睨まれた。
「あたしも心臓が止まる思いがしたわ。あまり心配させないでちょうだい。」
 でも彼女はオレに、戦闘不能になっちまったこと、ユウナを守りきれなかったことについては何も言及しなかった。
 ルールーだけじゃない、みんな、目の前に突きつけられた重大な事実を避けて話していた。

 訓練所のモンスター一匹にやられちまった今のオレ達の実力で、シンに太刀打ちできるのか?

 もっと強くなる方法を見つけなきゃ、話にならない…って。



 物資を積み込むとかで、飛空挺は今朝からナギ平原に停泊している。予定が遅れて昼過ぎまでかかるらしい。リュックは、伝説の武器のありかをつきとめるんだって昨日から資料室にこもりきりだし、何をするでもない一日になっちまった。
 まあ、オフ日無しの過密スケジュールなんだから、たまにはこういうのもいいよな。
 せっかくいい天気なんだし、平原に降りてみることにした。
 

 草原を渡る風が、頬をなでていく。適当な高台に寝転がると、真っ青な空が視界に飛び込んできた。背中や手足に当たる青草の感触が気持ちいい。
 こんなに広くて気持ちのいい場所だけど、ここで歴代の大召喚士が究極召喚を使い、シンと戦ったんだって聞いた。ユウナの親父さんは、そしてオヤジは、この地で最後を迎えたんだ。…いや、オヤジはまだ死んだわけじゃないな。
 死んでるよりタチが悪いけど。
  
「くそオヤジ…」
口の中でつぶやいてみるけど、もう前みたいに胸を焼き焦がすような苦い思いは湧いてこない。
 不思議だな。ザナルカンドに居たころ、オヤジはひどく遠い存在だった。「ジェクト」の名は大きすぎて、重すぎて、あいつの息子でいることが苦痛でしょうがなかった。
 今、オヤジはあんな姿になっちまった。それなのに、何だかひどく身近に感じるんだ。

 ぽっかりと浮かんでる雲をぼんやり眺めながら、オレは耳を澄ました。草を踏む音が近づいてくる。軽やかで、それでいてしとやかな足取り。
 頭を反らすと、さかさまのユウナがにっこりと笑っていた。
「ね、おなか空かない?そろそろお昼だし。」
 そういえば、腹減ってきた。返事をしながら後ろで組んだ手を外し、はずみをつけて起き上がる。彼女はちょっと恥ずかしそうな顔をして、後ろ手に持っていた包みを見せた。
「サンドイッチ作って来たんだけど、どうかな?」
 願ってもない話だ。喜んでご馳走になることにした。 


「味、どう?」
 色違いの瞳に、期待と不安を微妙に混ぜた色をのせて、ユウナが尋ねてきた。
「うん、うまいよ。これ。」
 お世辞じゃなく、オレは答えた。玉子サンドの中に殻が入ってたのは、ま、カルシウム補給って事で。
「よかった。料理の腕には、自信がなくって。」
 ほっと表情がゆるんで、白い顔から笑みがこぼれ出る。何故かこっちもつられてほっとしながら、
「野営のとき、ちゃんと作ってただろ?」
 次のサンドイッチに手を伸ばした。
「一人だと、段取りよくできないんだ。従召の頃、修行ばかりしていて、あんまり料理を習わなかったから。」
 それから、彼女は小首をかしげるようにしてから、言葉を継いだ。
「料理上手なお母さんになりたいな、って思って。」
 ふーん、お母さんか。ユウナなら、結婚して子どもができたらきっといいお母さんになるだろうな。 
「料理は場数だって。ユウナなら大丈夫ッス。」
 取りあえず答えながら、目の前の少女が母親になったところを想像しかけたところだった。
「キミは、いいお父さんになれそうだね。」
 オレは、むせた。
 比喩じゃなく、マジに呼吸困難で死にそうになった。喉に詰まったサンドイッチを、ユウナの差し出したお茶で、無理やり流し込む。
 彼女の思考は、見えない羽を持っていて、時々オレの限界を軽く飛び越えるんだ。思う存分、新鮮な空気をむさぼってから
「想像したこともなかったな。オヤジのことキライだったし。」
 そう答えるのが、やっとだった。
「キライだった…って過去形になったね。」
 ユウナが微笑むと、ぱっと花が咲いたみたいに空気が華やぐ。その笑顔に見とれながら、
「もう遅いかもしれないけどな。」
って、ぼんやり考えた。
 独り言のつもりだったけど、しっかり聞こえちゃったらしい。桜色の唇が、もう一度小さな笑みを形作った。
「たくさんの時間がかかったけど、キミとジェクトさんは分かり合えた。どんなことにも遅すぎるって事はないんだよ。きっと。」
 たおやかな外見からは想像もできない強さを秘めた召喚士の少女。彼女の言葉に、オレはただ黙ってうなずいた。



 腹も心も満腹になったところで飛空挺に戻ると、リュックが手を振りながらかけて来た。
「次の行き先が決まったよ!」
 いつだったか古びた剣を拾ったんだけど、その表面に刻み込まれた文字を解読できたらしい。スピラのどこかに眠るものすごい武器を見つけ出すための謎解きをしてたんだ。
「これで、一気にパワーアップだよ。」
 グリーンの瞳に得意げな光をひらめかせて話す従妹の説明を、ユウナは目を輝かせて聞き入った。随分タイプの違う二人だけど、生気が溢れた綺麗な眼をしてるところは、よく似てるな。
「ブリッジへ行こう。もう飛べるんだろ?」
 オレの提案に、リュックはにやりと笑って切り返した。
「もっちろん!キミ達の積み込みが最後だったんだよ。」
 ユウナの頬が紅色に染まる。手厳しいご指摘だよなあ。全く。

 ブリッジへ向かう。新たな旅の目的地へ飛ぶために。
 まだ道は遠いかもしれない。途中で道標を見失うかもしれない。でも諦めさえしなければきっとたどり着けるよな。


 -FIN-

 

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