as if in a dream
  〜ゆめとうつつ・いまだあけぬそらのさき〜











 夢を見たのは、久しぶりだったような気がする。















 肩を揺すられる感触に、ティーダの意識は眠りから引きずり出された。重い瞼を無理矢理こじ開ける。 暗がりにぼんやり灯る明かりを背に、濃い影の中ユウナが眉根を寄せているのが見て取れた。
「大丈夫?うなされてたみたいだったけど。」
 彼女が点けたのだろう、ベッドサイドに置かれたランプは、部屋に満ちた闇に光の輪染みを作っている。
 身体がひどく重い。夢の続きのように自由の利かない四肢が、まるで自分のものではない感覚すらした。
「何でもない。」
 きっと今自分はひどい顔をしているだろう。ユウナにこれ以上心配をかけたくないものの、何故だか笑うのさえ億劫だ。気遣わしげな視線から逃げるようにして、ティーダは顔を背けた。
 明け方だろうか。薄いカーテン越しに見える空の色は、未だ闇が濃い。


 身を乗り出し伸ばした自分の手は、届かなかった。
 ゴミ屑みたいなイルミネーションをちりばめた闇の中へ、あいつは吸い込まれて見えなくなった。


 脈絡もなく現れては消える記憶の断片に、訳もなく苛立ちがつのる。霞がかかったようにぼやけた意識のまま、胸につかえた何かを吐き出すかのように、呟く。
 
 切っ先から伝わった肉を断つ感触が、今でも掌に残ったままのようで。
 言ってやりたいことが山ほどあったのに、最後まで自分勝手なヤツだった。
 
 枕に顔を半分押し付けたまま、ティーダは自嘲をこぼした。
「夢が、夢見てうなされるなんて、笑っちゃうよな。」


 半ばシーツに埋もれた男の肩に、不意に恋人の白い腕が伸びた。ユウナは肩を掴んだ掌に渾身の力を込めて強引に仰向かせると、覆いかぶさるようにのしかかった。





「…いででででっっ!!」
 いきなり頬をつねり上げられて、ティーダは悲鳴じみた声を上げた。
「何すんだよっ…。」
 じんじんと痛みの残る頬をさすりながら恨みがましい目を向けると、鼻先にほっそりと白い人差し指が突きつけられた。
「夢じゃない証拠を見せてあげたんだよ。感謝して欲しいな。」
 ほっそりと流れる形良い眉は怒りの形に吊り上がっている。ユウナは彼の口ごたえをぴしゃりと遮った。
「少しは手加減しろっての…。」
 尋常でない剣幕に意表をつかれ、完全に彼女のペースだ。真上からきっと睨みつけられて、抗議の声は語尾が消えてなくなった。
 さらさらと流れ落ちる栗色の髪が、日焼けした青年の顔に濃い蔭りを落とす。



「夢なんかじゃない。キミは、キミだよ。」
 一つ一つ、確かめるようにユウナは言葉を継ぐ。噛み締めた唇の間から漏れる言葉の重みは、彼の不在だった歳月の重さをそのまま表していた。
「…悪かったッス。」
 神妙な面持ちになったティーダの顔を見て、ユウナは表情を和らげた。乗り出していた身をシーツの上に落ち着けると、改めて彼の傍へ膝を寄せた。

「…親父の夢を見た。」
 掠れた小さな声はユウナの耳を打った。
「……助けられなかった。」
 天井を見上げたまま、彼は続けた。空を思わす双眸が悔恨の淵に沈む。しばらく黙って見つめていた彼女は、吐息に似た声を漏らした。
「…嬉しいな。」
「何が?」
「キミが素直に、弱音吐いてくれて。」
 オッドアイから注がれる視線は、優しく包み込むように温かく、そしてくすぐったい。ティーダは照れくさげに頭を掻いた。
「全部一人で抱え込んで、何でもないって言い張るキミを見ているのは、辛かった。」
「手厳しいな。」
 降ってくる声は、妙なる音楽にも似て耳に心地いい。そして僅かな痛みをともなって、胸の奥底に沈んでいく。
「こんなに好きにさせておいて、2年も放っておいた代償は高くつくよ?」
「一生かけて償うってことで、どうッスか。」
 言葉は軽くとも、それは二人にとって厳然たる誓いだった。
 身をかがめたユウナが、首筋にしがみつくようにして恋人の頬に自分のそれを寄せた。
「キミは、ここにいる。これから先もずっと。」
 肩に感じるユウナのぬくもりと重み。何一つ確かなもののないこの世界で、自分が生きている証がここにある。
「オレは、ここにいる…。」
 天井に向かって頼りなげに差し伸べられた掌が、おずおずと彼女の滑らかな背に触れる。
「ここに…。ユウナの傍に…いるから。」
 華奢な稜線を腕の中にきつく抱きしめながら、かつて「夢」だった青年は繰り返す。
 まるで何かをこらえるように閉じ合わされた瞼が、水に浮かぶ青い宝石を覆い隠す。陽の色にけむる睫毛の端から、一筋の光が伝ってシーツに吸い込まれた。


 思い続ける限り、人はその胸に大切な誰かを生かすことが出来る。だとしたら、ティーダがユウナに至高の輝きを与えるように、彼女との約束だけが彼をスピラに繋ぎ止める唯一の絆かもしれない。
 それで構わない。弱く儚い生き物達の生がいつか尽きる日が来ても、誓いが破られることは無いだろうから。








「これ言ったら、キミは怒るかな。」 
 その笑顔はまるで太陽みたいに一片の曇りもなく見えるけれど。楽天的で豪快に見えてその実人一倍繊細な心の持ち主であることは、誰よりも彼女が一番よく知っていた。
「今度は何スか?」
 いささか警戒を含んだ声音に、意味深な笑顔が返された。
「怒らないって約束する?」
 ユウナは顔の前で小指を立てて見せる。仕方無しに、ティーダは自分の小指を絡めて約束のおまじないに付き合った。
 満足げに指を離し、彼女はことさらに勿体ぶって咳払いする真似までした。
「不器用なのも意地っ張りなのも、絶対ジェクトさん譲りだよね。」
 勝ち誇ったような笑みが彼の顔を覗き込む。オッドアイに映る表情は、まるで苦い薬を飲まされた子どものようだった。
「……当たってるだけに、悔しいッス。」


 ひとしきり他愛のない話で笑いあった後、膝を抱え直した彼女は静かに言った。
「ジェクトさん、異界で謝っていたの。」
 隣に寝転ぶ青年は、自分の肘枕に頭を預けたまま恋人の細面を見上げた。

 大切な仲間が目の前で消える。身を裂かれるような喪失の痛みをユウナは逃げずに受け入れた。繰り返し湧き上がる悔恨の涙に、仕方がなかったと自らの心をねじ伏せながら。
 自らの消滅を予感しながら敢えて螺旋の終わりを望み、彼女に痛みを強いた者もまた繰り返す。他に方法はなかったと。

「そう、仕方なかった。でももう、誰も失いたくない。」
 激するでも、悲壮ぶるでもなく、それだけにユウナの言葉は一層彼の胸に重かった。改めて誓いの念が湧き上がる。


「親父、異界で元気にやってるのか。」
「うん。父さんも、アーロンさんも一緒みたい。」
 ユウナは吹き出しそうになりながら答えた。異界の住人とはすなわち死者なのだから、ティーダの問いはいささか的外れだ。ただ彼の言いたいことはよく分かったし、何より彼女には確信があった。
 異界の深遠で最後の戦いに臨む自分たちを励ますその声は、とても大きく、温かく、そして力強さに満ちていたから。

 未だ明けぬ空の先、目には見えなくとも確かに光は近付いている。
「夜明けには、まだ早いな。」
 独り言のように呟くと、ティーダはシーツの端を持ち上げた。その隙間に、少し恥ずかしげにユウナは身を滑らせた。
「ふふ、あったかい。」
 いつもなら彼の胸に収まるのが定位置なのだけれど。
 身を横たえ寄り添った彼女は、淡く光に浮かぶ金髪の間に手を差し入れる。陽に焼けた滑らかな額に自分の頬を押し付けた。
 まるで幼子を寝かしつけるかのように、腕に納めた艶やかな頭髪を何度もなでる。


 少しひんやりと、控えめな熱を持ったユウナの肌。優しい腕に抱かれ守られていることが、ひどく快かった。
 指先から、ゆるりと意識がほぐれていく。彼女の密やかな息遣いを、直に伝わる穏やかな胸の鼓動を道標に、いつしか彼は心地よい眠りに落ちていった。




 


 これは失われたものへの愛惜に過ぎない。
 むせ返るような潮風の中、いつもここでシュートの練習をした。手すりの向こうに広がる思い出の海は、眩しく光っている。
 頭を一振りして、ティーダはため息をついた。
 夢だと分かっていても、故郷ザナルカンドの風景はちくりと胸の奥を刺す。けれどももう、痛みを感じる自分を取り繕う必要もない。夢の都は滅んでも、自分が覚えている限りその存在は真実だ。
 それだけで充分だ。自分には、帰るところがあるのだから。

「なんでぇ、シケたツラしやがって。」
 はっと顔を上げる。相変わらずニヤニヤ笑いながら偉そうにふんぞり返っているジェクト。せめて一矢報いようと口を開きかけて、不意に気がついた。
 見上げていたはずの目線は、対等の高さになっている。
 父親が縮んだはずもない、自分が大きくなったのだ。見下ろされるばかりだった身長差はいつの間に消え失せたろう。
「しっかり背筋伸ばしやがれ。ユウナちゃんを守るんだろ?」
 何と返事をしたかは覚えていない。けれどもひとつだけ分かったことがある。

 かけがえのない人を守ろうとする時、人は誰よりも強くなれる。









 今なら、あの男と同じものが見えるかもしれない。
 暁の向こう、父ジェクトが掴んだ至高の空を。


  -FIN-



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甘さ…が足りないでしょうか。やっぱり(びくびく)
でも泣き虫ティーダと抱っこするユウナが書けたからいいや。(自己満足女)

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