The Sacred Heart
寒風吹きすさぶマカラーニャ寺院、最奥部。
奔流のように渦巻く祈りの歌に包まれ、召喚士ユウナと六人のガードは、祈り子と対峙していた。
祈り子は一同に力の源を授ける。螺旋を打ち砕く物語の終焉を予言して。
金縛りから開放され、祈り子の間から駆け出しながら、リュックが身体を弾ませてくるりと振り向いた。
「いつも思うんだけどさ、不思議なトコだよね。祈り子の像があるだけなのに、うわ〜〜って祈りの歌が頭いっぱい響いてさ。宝箱がすぐそこに見えてるのに身体動かないし。」
反応は、二つに分かれた。いや、正確には三つだった。ワッカ、ルールーとキマリは彼女の言葉に同意してうなずいた。ティーダとユウナは、それぞれが夢の続きを見ているような顔つきをして、曖昧な視線を返す。そしてアーロンは横を向いたまま、表情を見せようとはしない。
「長居は無用だ。」
そう言い捨てると、漢は緋色の長衣をひるがえして出口へ向かう。一同は慌てて後に続いた。
時計の針が、真夜中の時を密やかに刻んでいる。
飛空挺の個室でそれぞれが休む中、ティーダは狭いベッドの上で十数回目の寝返りをうった。
明日のバトルのために充分寝ておかなくてはならない。けれども眠りに落ちようとすると決まって、あのたまらない焦燥感が胸を締め付ける。
いつまでもユウナのそばにいてやってね。
次はお前のザナルカンド探しだな。
仲間の言葉がリフレインする。
頭の中にこだまする声を追い払うように、少年はシーツを引き被って体を丸めた。無理やり目をつぶると、案の定まぶたの裏にユウナの姿が浮かび上がる。
瞬きもせずこちらを見つめる色違いの宝玉。追いすがるような視線が有刺の鎖となって彼を縛り上げる。顔を背けることさえかなわない。それでも真実を悟られまいと空しく抗えば、悲しみに歪む少女の表情が彼の精神を更に軋ませる。
そして薔薇色の唇から漏れる言葉は、懇願という名の刃で彼の心を引き裂くのだ。
……キミは、消えないよね?と。
「んあああああっ!」
咆哮を上げて跳ね起きる。
荒い息をつきながら、ティーダは両手で顔を覆った。頭の中がぐちゃぐちゃだ。とても眠るどころではない。
目の前の手のひらを見つめる。いずれ自分は父親をこの手にかけ、スピラの人々と決別するのだ。他に方法がない。それは分かっているはずなのに。それなのにどうしてこんなに胸が苦しくなるのだろう。
スフィアの中で、照れながら息子のことを語る男。その笑顔が脳裏をぐるぐると駆け巡る。
「何だって…んだよ…っく…ち…くしょう…!」
カーテン越しに覗く月が、膝を抱えて呻く少年の影を蒼く縁取った。
焼け付くような喉の渇きを覚え、彼はのろのろとベッドから起き出した。シューズを引っ掛けサービスルームへ向かう。冷たい水をむさぼるように飲んだ後も、すぐに部屋へ帰る気にはなれなかった。どうせ戻っても眠れそうにない。重い足取りは展望室へと向いた。
古に失われたオーバーテクノロジーの結晶ともいうべき飛空挺。天駆ける船のエンジンがかすかな響きを伝える中、少年は階段を一歩ずつ踏みしめた。
明かりの落とされた展望室は静寂に満たされていた。ふと、先客がいることに気付く。大きなはめ込みガラスにもたれ、月明かりに身を浸す人影。休息を取らないでいることを咎められる前に、先制して声をかける。
「アーロン!何してんだよ、こんなとこで。」
隻眼の韋丈夫は酒瓶を掲げ、窓の外へと顎をしゃくった。
「ジェクトと、酒をな。」
後輩ガードは黙って窓辺へ近づく。遥か水平線に、翼を広げ傲然と飛翔するシンの姿が見えた。
「ちぇっ。相変わらず、態度でけーよな。」
舌打ちする彼を見やって、漢はふん、と鼻で笑った。
ティーダが向かいに腰を下ろす。ニッと悪戯っぽく笑うと、ジェクトのために注がれた酒をちゃっかり飲み干して空の杯を突き出した。
「お前は酒癖が悪いからな。」
言いながらも、アーロンは酒瓶を傾けてやった。
「あれが最初で最後だったろ?」
ザナルカンドエイブスにチーム入りして程ない頃の一件だ。昔の失敗談を蒸し返されて、ばつの悪いのを隠すように少年は口をとがらせた。
「最後とは限らんだろう。」
笑みを含んだ揶揄に、
「…オレの物語も、もうすぐ終わるから。」
他人事のようにつぶやく彼の声は、窓ガラスに跳ね返ってひどくうつろに響いた。
酒宴はしばらく無言のまま続いた。
酔いのためにほのかに上気した顔を伝説のガードへ向けると、ティーダは口を開いた。
「なあ、アーロン。」
「何だ。」
「死ぬのが怖いと思ったことある?」
漢は酒瓶を置くと、素っ気なく答えた。
「愚問だな。今更昔話を聞いても仕方なかろう。」
「そっか。…そうだよな。」
予期したとおりの返答に、彼は自嘲と共に視線を逸らした。あらぬ方向をわざと向いたのは、不覚にも鼻の奥がツンとしたから。
舞い降りた沈黙に耐えかねるようにかぶりを振る。ほの暗い明かりに透け銀糸のように淡く輝く髪が、力なく揺れた。
「全部終わったら、オレ…消えるんだってさ。」
口元へ酒を運ぶ手が一瞬動きを止めた。静かな声が問いかける。
「怖いのか。」
「怖くないって言ったら、多分ウソだろうな。」
窓枠に片方の足を投げ出し、ザナルカンドから来た若者は手を頭の後ろで組んだ。
「それに、ユウナとの約束を守れないのが引っかかってる。…ずっと。なんて言った手前。」
新しく日が昇れば、自分にも変わらない朝がやってくると信じていた。…あの時までは。
「でも、ユウナは強いからさ。」
小さなため息をつきながら、自分に言い聞かせるようにひとりごちる。夜鏡が、行き場のない感情にさいなまれる少年の横顔をぼんやりと映し出した。
「あんたにも見えてんだろ。祈り子。」
ふと蒼い瞳を向けられて、アーロンは片目をすがめた。
「ああ。」
死人である彼には、夢の螺旋に囚われ続ける哀れな同胞が見えていた。そして、この若者に告げられる予言の一部始終をも。
「オレ、もともと夢なんだってさ。それってさあ…。」
半ば意味もなく、ティーダは語り続けた。まるで何かしゃべっていないと、自分の存在が今すぐ消えて無くなってしまうとでもいうように。
分かっている。
自分でも分かっているのだ。もう戻れないことは。
でも、一度堰を切った感情は、とめどなく溢れてもう止まらなかった。
「死ぬことすら出来ずに消えちまうなんてさあ、何か笑っちゃうよな。ふざけんなってん…だ……よ。」
語尾はかすれて声にならなかった。
シューズの甲に水滴がいくつも弾けるのを見下ろしたまま、少年は肩を震わせた。
かすかに漏れる小さな嗚咽を、蒼くたゆたう静寂が押し包む。
やがて彼は右手の甲で目の辺りをごしごし拭うと、勢いよく顔を上げた。泣きはらした眼が男の顔を見つめ返す。限りなく純粋なその瞳は、バラ色の雲に縁取られた冬晴れの空を思わせた。
「泣いてる場合じゃないよな。」
気恥ずかしさに、頬が熱くなる。と同時に、涙と一緒に何かが洗い流されたような清々しさも感じていた。
「泣いて気が済むのなら、泣けばいい。」
友との約束を果たすため、ずっと見守り続けてきた少年。あきれるくらい真っ直ぐな感情を受け止めるたびに、その魂の瑞々しさに感嘆させられる。
「だが、お前は選ばねばならん。」
漢の言葉はあくまで静かだった。すうっと細めた眼の光が鋭いものに変化する。
「決着をつけるか、全てを見捨てて逃げるか。」
「…誰が逃げるって?」
視線を射込まれたエースの瞳に強い光が戻った。ひょいと片眉を跳ね上げると腕を組む。
「んなこと今更出来るかっつーの!試合放棄なんてエースの面目丸つぶれだからな。」
アーロンは口元を僅かに歪め、お得意のガッツポーズを決める少年に向かって人差し指でちょいちょいと手招きした。
身を乗り出した彼の柔らかなくせ毛に、おもむろに手を置く。それからくしゃくしゃとかき回すようにして撫でた。かつて幼い日の彼が悔し涙を流すたびにそうしてやったように。
「何だよ。子ども扱いすんなよ。」
照れくさげに口答えしながらもしばらくされるがままになっていたティーダは、窓の外に視線を移すとその唇を引き結んだ。
「オヤジも、いい加減楽にしてやらなくちゃな。」
十年前の物語を知る男は酒瓶を取りながら少年の横顔を見つめた。ついで月明かりの夜空にかつての友の姿を追う。
男達は再びお互いの杯に酒を酌み交わし、高く掲げた。
翌朝。眠い眼をこすりながら廊下を歩くティーダの脇に、軽やかな足音が近づいた。ユウナの明るい声が響く。
「おはよう。」
あくびを噛み殺しながら挨拶を返す金髪のガード。その顔をまじまじと覗き込み、召喚士の少女はにこやかに笑いかけた。
「何だか、今日のキミは昨日までと違う顔してるね。」
咲き誇った野の花のような笑顔につい見とれ、
「ああ…眠そうな顔してる?昨日夜更かししすぎたかな。」
返事が言い訳めいたものになってしまう。
「ううん…そうじゃなくて、久しぶりにキミと眼が合った気がして。」
少女の言葉に、胸を突かれるような衝撃を覚える。彼女と向き合うのが怖くて無意識のうちに避けていたのかもしれない。
一体何から逃げていたのだろう。ユウナはいつだって自分に強さを与えてくれるというのに。
天窓から差し込む朝日の眩しさにかこつけて、少年は目頭を拳で押さえた。
皆の所へと並んで歩きながら、少女はぽつりぽつりと呟く。
「キミは、無限の可能性を信じて、道は一つだと思い込んでいた私に未来をくれた。」
歩みを止め、お互いの視線を絡めあう。水をたたえたような彼女の瞳は、何故だか泣きたくなるくらい優しく澄み切って見えた。
「今度は、私が信じる番だね。」
ティーダは精一杯の笑顔を返しながら想う。
もう迷わない。ユウナを、彼女が愛してやまないこのスピラごと守って見せる。
例え何が起ころうとも、守り抜いて見せる。
-FIN-
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