IT'S TIME TO LOVE
 生あくびを噛み殺しながら、太陽の名を冠した青年は調べかけの書物を胸の上に乗せた。
 カウチに寝そべったまま天井を見上げると、エボンの宇宙観を示した極彩色の天井画が視界に飛び込んでくる。その豪奢を極めた装飾は、新たな部屋の主の可憐さに比べて、いかにも不釣合いに見える。かつてスピラの最高権力者であった総老師の執務室なのだから当然といえば当然なのだけれど。
 大きなはめ込みガラスの窓に目をやれば、夜鏡にかわいい恋人の姿。重厚な樫造りのデスクに座り、一心不乱にペンを走らせている。
 銀の微粒子に埋もれながら、爪のような細い月が頼りなげに光る夜。
 二人きりで過ごす夜のひと時という申し分の無いシチュエーションのはずなのに、彼の表情は冴えなかった。じっと字を追い続けるのもそろそろ苦痛になっていたし、それより何より…
 デスクに鎮座して二人の語らいを邪魔し続けている不届きな障害物。青年に言わせると「嫌がらせしているようにしか見えない」書類の山だ。
 大召喚士をこの地に留まらせようと次から次へ策を弄する老師どもの顔を思い出しかけ、彼は頭を振って忌々しい影を追い払った。


「眠いッス〜…」
 いつもは陽光のかけらを閉じ込めたように輝く瞳も、今はぼんやりと力が無い。顔をちらりと上げたユウナの視線が、ティーダのそれと合った。少し拗ねたような口調といい、緩慢に身を起こす仕草といい、暇を持て余した彼の心情が見事に体現されていた。
 彼女は白い拳を口元に当て、小さく吹き出した。くすりと微笑んだ表情は野に咲く可憐な花を思わせて、見るものの胸にも花開くように映る。
 ひとしきり笑った後、海と大地の色を受け継いだ瞳が、ふと曇った。
「ごめんね。もっと早く終わらせるつもりだったのに。」 
 ティーダは慌てて頭を振った。恋人のすまなさそうな表情に動揺と落胆を押し隠しながら。スタンドの明かりに照らされた彼の金髪は、その一本一本が光を含んでいるかのようにほのかに輝いて揺れた。

「ユウナのせいじゃないって。こんなつまんない仕事を押し付けるあいつらの気が知れないって言いたいだけで…。」
 語尾が小さくなっていくぼやきに苦笑で同意しながら、書類をめくる白い手が再び動き出す。
「大体あんまり身を粉にして働いてると、ホントに磨り減っちゃうッスよ?」
 がんばり屋の大召喚士に、彼は気遣わしげな視線を向けた。ユウナ自身の希望もあって、ガードとして共にベベル入りしたけれども、こんなことならルールーに来てもらった方がよかったかもしれない。
 人には得手不得手というものがある。体を動かすことに関しては天才的でも、彼に退屈と戦う能力は備わらなかったらしい。少しでもユウナの調べ物を手伝おうと書物のページをめくって努力はしたのだけれど、成果が出る前に早々とリタイヤ。ネコの手と比較したら、ネコが気を悪くするだろう。
 かくして、デスクワークに根を詰める恋人の横で、無為な時間を過ごしているというわけだった。

 「ふふ、私は大丈夫だよ。」

 ユウナの「大丈夫」は危なっかしいからな…


 抜けるような青空。偽りの誓い。虚空へと舞う白いドレス姿。
 屈辱の光景がフラッシュバックする。

 

 ティーダは胸の内でこっそりとため息をついた。周りに心配をかけまいと無理に笑ってしまう癖は、昔とあまり変わらないんじゃないだろうか。
 何にでも一生懸命で、手を抜くことを知らなくて。世界の悲しみを自分の痛みとして抱え込んでしまう。そんな生真面目さを愛しく思うのと同時に、一抹のもどかしさを感じるのも、また事実。
 
 
 今度は外にこぼれ出てしまった小さな嘆息を聞きつけて、ユウナは小さく首を傾げる。
「え、なあに?」
 いぶかしむようにこちらを見つめる色違いの宝石。無垢な視線に訳も無くそわそわしながら、
「いや、何でもないッス。」
 説得力の無い決まり文句を口にした。

「せっかく一緒にいられるのに、ゆっくりできなくてごめんね。」
 何気なく続けられた言葉に、青年は目を伏せた。黙ったまま背を起こし、カウチにあぐらをかく。ユウナには、ほんの数秒の沈黙がひどく長く感じられた。
「何でそこで謝るわけ?」
 その口調は軽かったけれど、目の奥は笑っていなかった。思いも寄らない切り返しに、彼女は小さく身じろいだ。無造作に積んであった本に肘が触れ、一番上の絵本が床に滑り落ちた。

   バサリッ

 その音は、不必要なほど大きく響いて彼女の動揺をより誘った。

 落ちたそれを慌てて拾い上げる。しゃがみこんだ背中越しに、自分を呼ぶ声がした。
「おいで。」
 ティーダが小さく腕を伸ばしている。彼の元へ運ぶ足取りがぎこちない。
 傍らへ近づいた途端、膝の上に抱きかかえられて、ユウナは小さな悲鳴を上げた。胸に抱えていた絵本を、取り落としそうになる。
「そんな顔すんなって。」
 優しく響いた言葉と共に、日に焼けた長い人差し指が白い額をつつく。青年は腕の中の大切な人にくしゃりと笑みかけた。神妙な面持ちのままの恋人にささやく。

  
「…オレにだけは、わがまま聞かせて欲しいんだ。」 
 掠れた声を耳元に感じて、頬が熱くなる。
「頑張り屋なのは分かってる。でも…オレにまで遠慮すんなよ。」

 遠慮、してるかな…大切な人に迷惑をかけたくないって思うのは、おかしいかな…もじもじと下を向く彼女に、ティーダはずばりと指摘した。
「恥ずかしがり屋の上に、甘え下手だよな。ユウナって。」
 からかいを含んだ調子でこう続ける。
「ま、そんなところも含めて可愛いんだけどな。」
 ついさっきまでと、まるであべこべのことを言って笑っている。上目遣いにちょっと睨んでみるけれど、彼が動じる様子はかけらもない。 小さな子どもをあやすように、その大きな手で栗色の髪を撫でた。
「あえて言葉にしなくちゃいけないこともあるから、この機会に言ってみたッス。」
 太陽の笑顔につられるように、笑顔のつぼみが花開いた。


 夜は静かに、天鵞絨(ビロード)の帳で恋人たちを世界から隠す。


「ユウナ。愛してる…。」

 うん、私も。

アイシテル―――

 いつも君に向かって溢れてる想い。
 でも、コトバにしたこと、カタチにしたこと、あったかな…













 ベベルは水の都だ。寺院内の中庭にも、滝や流水階段(カスケード)が配置されて典雅な空間が広がっている。

 水面に映りこんだ白い雲が波紋を受けて粉々に砕け、白銀の光が無数に散った。カスケードのすぐ脇で小さなうねりが湧き上がる。
 今朝も東の空に雄姿を誇示している天の王。その寵愛を受けて色づいたしなやかな身体が池の水面に向かって浮かび上がった。
 伸びやかな四肢を、金の糸を思わせる柔らかな跳ね毛をゆったりと水に広げ、仰向けになってたゆたう。光と水に育まれた朝の空気を胸いっぱいに吸い込んで、ティーダは恩寵降り注ぐ眩しい空を見上げた。

「あーっ、ティーダさん!何度言ったら分かるんです!?」
 甲高い警告に、彼は首をすくめた。声の主は分かっている。シェリンダだ。巡回僧だった彼女は、今はベベル宮の奥を一切取り仕切っている。旅をしていた時からよく知った仲で、現在でもここへ来るたびに何かと気を使ってくれる。女官長にしては随分と軽快な服装が、彼女の人となりを端的に表している。
「ここは遊泳禁止の場所だって言いましたよね?」
 聞こえないふりをして水の中へ潜ってしまった彼に、石造りの柵から身を乗り出してたたみかける。もっとも禁止せずとも、こんなところで泳ぐ物好きは、彼以外に誰もいなかったが。
「ユウナ様がお呼びなんですよ!?」
 二度ほど叫ぶと、魚のように水に舞っていた影が勢いよく浮上した。
「ほんとッスか?」
 柵のふちに手をかけて水から上がったティーダは、小さく身震いして水滴を跳ね飛ばした。見ればすっかり女官長の貫禄を身につけた彼女が、恐い顔をして腕を組んでいる。
「ほんとです。ところでここの滝は何メートルあるか知ってるんですか?落ちてくる水に当たったらただじゃすみませんってば。」
 ついでに始まった説教に、陽気な青年は頭をかいた。水を含んで蜂蜜色に光る髪が水滴をしたたらせる。
「浄罪の水路に比べたらかわいいもんッスよ。」
 いささか私怨を紛れ込ませた冗談を残して、彼はそそくさと大召喚士の待つ場所へと向かった。

 
 シェリンダに教えられた通り、僧官専用通路を抜け、機械仕掛けの巨大な螺旋階段を登って行く。扉をくぐった瞬間、ティーダは飛び込んできた鮮やかなコントラストに目を細めた。紅の絨毯が敷き詰められた清流の通路が碧空に向かって伸びている。
 長い階段を登りきったその先には、聖なる塔と呼ばれる空間が広がっている。数々の儀式が行われてきた厳粛な場所だ。
 磨き上げられた石畳の上に佇んでいた救世の乙女は、ゆっくりと振り向いた。吹き渡る風が頬をなで、艶やかな栗毛をそよがせた。その立ち姿はたおやかで、それでいて凛とした美しさを見る者に与えずにはおかない。

「ここは風が気持ちいいね。」
 内からの輝きが溢れているような笑み。見惚れながら、ティーダは彼女の元へ歩み寄った。
「眺めはいいけど、だだっ広くて昼寝には向かないッスね。」
 不謹慎な言い草だけれども、ユウナはにっこりと頷いた。こけおどしの権威に束縛されない、その自由な感性が世界を目覚めさせたのだから。

「ここがスピラで一番高い建物なのか。」
 エボンの総本山、聖ベベル宮。中でも最上階に位置する聖なる塔は、昔からスピラにおける至高の場所とされてきた。
 金髪をくしゃりとかきあげ、そびえ立つ柱の上に広がる空をティーダは眩しげに眺めた。ゆうべ繰った絵本。そこで目にした細密画を思い出しながらつぶやく。
「最低の思い出しかない場所だけどな。」

 ―――あの時ほど、自分の無力を呪った瞬間はなかった。そして気付いた。ユウナを他の誰にも渡したくはないと。
 
 冗談めかした口調と裏腹に、その瞳に雷光が走る。彼が垣間見せる鮮烈な輝きに軽い陶酔感を覚えて、彼女は歌うように語った。
「だから思ったの。キミと一緒に新しい思い出を作りたいって。」

 ―――共にある幸せを、ただ一瞬のきらめきを、一つ一つ集めたい。そして君の瞳と同じ色をしたこの空に綴りたいと。

 その先の想いを伝える言葉が見つからなくて、ふと口をつぐむ。そよ風が、二人の間をくすぐってよぎった。

「これは私のわがままかもしれない。でもキミは聞きたいって言ってくれたから…。」
 幾ばくかの沈黙の後、一つ一つを確かめるようにして言葉を選んでいく。なかなか核心に触れられない彼女に、ティーダは先を急がせるようなことはしなかった。ただ黙って微笑みかけ、小さく頷く。
「言葉にならなくても伝わる気持ちってたくさんあるけど…。」
 うつむき加減の顔は耳まで真っ赤に色づいている。所在無げに両の指を組んでは解く。
「それでも言葉にして伝えなくちゃいけないことってあるでしょう?……ああもう、何言ってるんだろう、私…」

 小さな深呼吸のあと、ユウナは背筋を伸ばしてティーダに向き直った。二人の視線が透明な空に絡み合う。

「愛してる。ずっと傍にいて欲しいの。」
 
 ばら色の唇はコトバを紡ぎ、想いはカタチを得た。



 言い終わった彼女の肩から、ほっと力が抜けた。目を見開いて余韻をかみしめていた彼の表情が次第に笑み崩れていく。
 一瞬の間を置いて、ティーダはユウナの背と膝に腕を回し、軽々と抱き上げた。
「ちょ、ちょっと?」
 何が起こったのか分からないまま身を縮める彼女にお構いなく、彼は歓声を上げながら駆け出した。猫を思わせる俊敏な動作で、壮麗な彫刻を施された祭壇に跳び上がる。

「オレも誓うよ。」
 眼前にどこまでも広がる空と海の青は、はるか未来へ続く道。逞しい腕に最愛の人を抱きとめたまま、ティーダは静かに告げた。
「もう、二度とこの手を離したりしない。」
 力強い宣誓に、ユウナの胸は温かく満たされていった。見つめあい、微笑み交わす。両の手で彼の首をかき抱いて、唇を重ねる。


 空に一番近いキス。

 共にある幸せを、また一つ刻んで。
 今日も天は巡る。
 
 


    −FIN−
 

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