夏 ニ  ク
 夏の強い日差しが西に傾き、ごく薄い黄昏の色を空に加えている。

 悠久の時を越えて流れる幻光河は、変わりなく訪問者達を迎え入れた。銀の波間にそよぐ幻光花。紫色の花弁は立ち昇る淡い光に霞んで、この世ならぬ情景を作り出す。その美しい様は以前に訪れた時から少しも損なわれていない。

 ただ、人口の激増を除いては。




 スフィアに関するとっておきの情報があるとかで、ユウナ、リュック、パイン、そしてティーダの四人は、ここ幻光河のほとりに呼び出された。
「ういうい、差し上げられると思うんですよ。貴重なスフィアです。多分。」
 相変わらず早口でまくし立てるトーブリの言葉は、その内容にどこか含みを感じさせた。要領を得ないユウナ達は顔を見合わせた。パインの柳眉はもう既に警戒するがごとく吊上がっている。リュックの腰ほどにしか届かないペルペル族の男は、それ以上の質問を封じるようにパタパタとせわしげに手を上下させ。
「ライブイベントの最後を打ち上げ花火で飾るんです。ええ、日が沈んだらすぐ。だから楽しみに待っていてくださいね。」
 一同を見上げて言いたいことだけ言ってしまうと、敏腕プロデューサーはくるりと背を向けた。ちょこまかと走り、あっと言う間にユウナ達の視界から消える。

「今のがトーブリさんだよ。賑やかな人でしょ?」
 驚きを顔に貼り付けたまま、若者は素直に頷いた。
 トーブリの名は、雷平原でのライブのことをユウナから聞いた時知った。イベントプロモーターとして名高い彼の拠点がここ幻光河だとも聞いていた。しかし河のほとりの賑わいは、彼の想像の範疇を超えていた。あっちにも、こっちにも人がひしめき、あちこちから笑いさざめく声が上がっている。

 短くも激しい時代の流れは、果たすことのかなわなかった約束に今一度命を吹き込む。
「今日は一緒に見られそうだね。夜の幻光河。」
 たった二年前の旅では、胸に思い描くことさえできなかった小さな望み。ユウナはさらりと言うと、もう一度微笑んだ。
「…ああ、そうだな。」
 胸に渦巻く思いが言葉にならなくて、それだけを答える。唇を引き結んだ横顔が物思いに沈んだ。
 シンを倒したら、もう一度みんなで一緒に…初めてここにたどり着いた時、召喚士の運命を知らなかった自分はそう口にした。残酷に聞こえたろうその提案に、彼女は黙って微笑んでいた。
 あの時は、ごめん。――そう謝ろうとして、ティーダは言葉を飲み込む。複雑な胸中をまるで見透かしたかのように、桜色の唇が開いた。
「せっかくキミに未来をもらったんだもの。欲張りに生きるって決めたんだ。」
 伸び上がるようにして空色の双眸を覗き込む。それから首をかしげ悪戯っぽく問いかけた。
「約束に、有効期限って無かったよね?」
「待たせた分、花火も付けるッス。」
 とぼけた返事に安心しながら、ぷっと吹き出すユウナ。つられたティーダも白い歯を見せて笑った。



「それにしても…。」
 女剣士は、皮手袋に包まれた指先を己の顎に当てて考え込んだ。同じ腕で豪剣を振るうとはとても思えないほど、その仕草はどことなく優雅だ。
「トーブリの目的が分からないな。一体何のつもりなんだ。」
「うわー、打ち上げ花火だって。ね、ね、見て行こうよ。」
 きゃいきゃいはしゃぐリュックの声が、パインの思考をぶった切った。目の前に楽しいことがあれば、それを見逃すなどニギヤカ担当の矜持が許さないのだ。

 対照的な二人を見比べていたユウナは、くるりと振り返るとティーダに笑いかけた。
「行こ。」
 幻光河の変わりように面食らっていたものの、極上の笑顔を向けられた彼の気分はころりと上向いた。さすがに空白の歳月を感じることにも慣れてきたのもある。それにもともと華やかな喧騒に包まれた都市で育ち、お祭り騒ぎは大好きなのだ。

 河岸に設置された大きなステージには、もう人だかりがしていた。眺めのよさそうな場所を探して歩く。
「もう、ガンガン踊っちゃうもんね〜〜!」
「こんなミッションなら大歓迎だな。」
「ホント、楽しみだね。」
 こういう時、賑やか担当と陽気なエースが意気投合するのは早い。自称「元召喚士」も当然のように加わっている。トリオを組んでいた頃の名残でパインはブレーキ役を担うはずだったが、本人の言を借りれば、『ユウナとリュック二人でさえ大変だったのに、三人となったらとても面倒を見切れない』そうだ。もっとも最近では、彼女自身抑止力として機能しているかどうかは怪しい。

 ざわめく会場に突如、華やかなイントロが響き渡り、観客から大きなどよめきが上がった。ライブの始まりだ。
 薄紫に染まる夕闇をバックに、一組目の演奏者達がライトの中浮かび上がった。





 イベントが佳境を迎えた頃。
 ステージから溢れてくる演奏に夢中になっていたユウナに、ゆらりと忍び寄る影があった。人込みを泳ぐように近付いたのは人ならぬハイペロ族の一人だ。不意をつかれ飛び上がった彼女に頓着する風も無く、トーブリの部下はのんびりと告げた。
「ユウナさ〜ん?親方が呼んでる〜よ?」


「大変なんです、もう。非常事態ですユウナさん、助けて下さい!」
 特設ステージ脇、関係者控え室用に建てられたテントの中で、トーブリはユウナを待っていた。一同を迎え入れるやいなや、無意味に走り回りかん高い声で叫んだ。
「トリを飾るアーティストが、急に出演できなくなっちゃったんですよ。それでですね、ものは相談なんですけど」
「帰るぞ、ユウナ。」
 皆まで言わせず回れ右したパインに、彼は青くなり、短い手をばたつかせた。
「最初から出演依頼が目的だったんじゃないのか?」
 背中越しの言葉に一瞬詰まったのは、彼に思い当たる節があったのか。
「後生ですよユウナさん。一曲だけお願いできませんか?」
 今度はユウナに向き直り、トーブリはぺこぺことせわしなく頭を下げた。そこへリュックが、
「歌姫ユウナのギャラは安くないよー?」
 のん気な茶々を入れる。
 恩人の窮状を気の毒に思いながらも、ユウナは迷っていた。雷平原でのライブといい、彼には何かと世話になっている。考え込んだその背中を押したのは、ぽんと出たティーダの一言だ。
「ユウナの歌?オレ聞きたい!」

 ある者はすがるように、ある者は冷ややかに、そして残りの者はさもおもしろげに。三対の目が金髪の青年をひと撫でし、ついで名指しを受けた人物に移る。注目を一身に浴びたユウナは一つ深呼吸をして、それから元気よく右手を上げた。
「…決めました。ユウナ、歌います!」
 期待に輝く空色の眼差しを誇らしげに受け止めながら、現代に甦ったスピラの歌姫はにっこりと笑った。
「そのかわり、みんなには特等席で聞いてもらうよ?」





 熱気は膨れ上がり、盛り上がりは最高潮に達していた。
 新たに流れてきたダンサブルなリズムと音に身を任せていた観客は、三人のバックダンサーを従えステージに現れた人物を見て、一瞬我が目を疑った。まばゆい光の中、軽やかなダンスステップを踏んで現れたのは大召喚士ユウナその人。スピラに生きるものなら彼女の名を知らないものはいないだろう。
 陽気なビートが渦巻き、驚きに包まれた会場を飲み込んでいく。

 絹の髪が、藤色の衣装に包まれたしなやかな肢体がスポットを受けて活き活きと輝く。ステージを所狭しと踊り、歌う。男性一人、女性二人のバックダンサー達も華麗なダンスで聴衆を煽る。実はそれぞれがてんで勝手な動きだったが、気付いた者は少なく、気にした者は皆無に等しかった。
 ライブイベントの最後を飾るにふさわしいご機嫌なナンバー。演奏が終わると同時に大音響が轟き、ステージの前方で花火が吹き上がる。間髪をおかず照明の落とされた野外ステージの上、ぽーんと大きな花火が空に咲いた。

 観客達はライブの余韻に酔いしれながら、次々に開く夜空の芸術を満足げに見上げた。




 下手舞台袖へ駆け下りたパインが、ふとステージを振り返る。汗の浮いた額に落ちた前髪を指で撫で付けた後、前を歩くリュックに声をかけてみる。
「ユウナ達とはぐれた。あの二人、上手から降りたみたいだ。」
「ま、細かいことは気にしない。後は二人でゆっくりさせてあげようよ。」
 先輩ハンターの返事はのん気だった。入った控え室の椅子に陣取り、行儀悪くステージ衣装の胸元を扇いで風を入れている。さらに水の入ったボトルをハイペロの一人から受け取ると、美味しそうに喉を鳴らし始めた。
「あの二人には甘いんだな。」
 微苦笑をもらした彼女に、リュックはさも心外と言った顔を向けた。
「あたしはいつだってユウナんの味方だよ?」
 胸が千切れるくらいに痛いのを我慢して、彼女はずっとずっと探してた。辛いことがあっても、いつでもみんなの前では笑って見せながら。アイツに繋がる道を、諦めないでずっとずっと。

 やっと会えたんだ。だから。

「ユウナん、あんなに頑張ったんだもん。まだまだもっと幸せにならなくちゃ嘘だよ。」
 目じりに光ったのは汗だろうか、それとも涙だろうか。いつになく真剣な顔で言葉を続けるリュックに、パインは小さく、そうだな。と頷いた。今度は掛け値なしに温かい笑顔を向ける。
「あんたのこと、またちょっぴり見直した。」
「尊敬ポイント、うーんと上がった?」
「…ちょっぴりだって言ったろう?」

 



 ステージを支える大きな柱の脇、河岸の土手に並んで腰掛け、空を見上げる人影。河岸の喧騒もここまでは届かない。時折打ち上がる花火の音が途切れると、穏やかな静寂がしばし戻る。ひたひたと川岸に打ち寄せる水の音が二人を優しく包んだ。
「どうだった?」
 悪戯っぽい顔をしてユウナが問いかけた。
「途中でマイク向けられて、焦ったッス。」
「ちょっとアドリブが過ぎたかな。でも楽しんでたよね?」
 あえて否定しない恋人に含み笑いをもらすと、彼女は賑やかな夜空に向かって満足そうに深呼吸した。

 夜の幻光河は、星屑をちりばめたように淡く光り、一枚の幻想画を描き出す。川面を渡る風が、幻光花のたおやかな姿を震わせ、火照った肌に涼を運ぶ。
 膝を抱え直したユウナの背に、力強く温かな腕がそっとまわされた。

 高く打ち上げられた夜の花が、光を散らし次々と咲き誇る。
 空を見上げる精悍な横顔。花火が空に開くたび、その髪が、瞳がとりどりの色に照らされ染まる。
 ユウナの視線に気付いたのか、穏やかな双眸がふと、こちらを向いた。
「…何?」
「何でもない。」
 花火でなく彼を見つめ続けていたことに初めて気がついたユウナは、空を見上げるふりをして視線をそらした。

 うかつに触れたら、たちどころに壊れて消えてしまいそうな。そんな小さな感情に今また気付く。一瞬ごとに想い深まる胸の内を全て言葉で伝えようとすれば、もどかしさに耐えきれず気がふれてしまうかもしれない。

「…何だよ。」
 それ以上は追求せず、彼はくっくっと笑った。自分も、うまく言葉に出来ないことを数え上げたら、きっときりがない。
 



 必然の沈黙は互いの体温をより強く感じさせて、水辺の肌に心地よい。
 夜を彩る花々は、なおも水面と空とに咲き競う。二人の胸に夏の思い出を焼き付けるかのように、ひときわ大きな花火が天蓋を華やかに飾った。








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ヒカル様より「夏らしい爽やかなティユウ」のお題をいただき、書いてみました。
ティユウ作品として、ここでひとまずエンドマークを結びます。
すっかりどこかへ消えうせた「貴重なスフィア」の真相については、後日談にて解明されています。多分。(汗笑)

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