グラインダーや溶接の派手な音に混じって、アルベド語での賑やかな応酬が広間で繰り返されている。
 ここはジョゼ寺院。祈り子の力を失ってなお雷のエネルギーが渦巻く地だ。
 エボンへの信仰心溢れる人々の往来に代わり、現在ではマキナ派と呼ばれるアルベド族一派の拠点となっている。

 

光風霽月こうふうせいげつ



 愛すべき喧騒を聞きながら、マキナ派の若きリーダーは奥の部屋で客人を待っていた。長い足を持て余すように行儀悪く座ったその姿は、どこか所在無げだ。
 今や名実共にナンバー1と謳われるスフィアハンター、カモメ団からやってくるはずの使者は、いまだ到着せずにいた。
「遅いですね、リュックさん。」
 入ってきた事務担当の女性に声をかけられて、彼の視線は壁の数字をひとなでした。デジタル時計は約束の時刻を40分ほど過ぎているのを告げている。
 今したのと同じ動作を先程から何度繰り返したか分からないほどになっていたことは、例え右腕ともいえるこの古くからの仲間にさえ内緒だ。
 マキナ派と彼らとの橋渡しは、いつの間にかリュックが専任するようになっていた。彼女自身の手腕は文句のつけようがないし、幼馴染のよしみもある。何の不服もない。ただ…

――これがいわゆるビミョー…ってやつか。

 彼女の口癖を借りてひとりごちてみる。あくまで心の中で、である。
 何にでも高い能力を発揮するこの器用な男も、こと恋愛に関してはマキナを扱うようにはいかなかった。何かと騒がしすぎる外野にも一因があったかもしれない。彼女と自分の仲を「応援」してくれる敏腕ハンター達とモヒカン頭から湯気を立てる彼女の血縁者。様々な思惑が交錯する中、二人の仲は一進一退を繰り返しているのが正直な所だ。
「ああ?…そういえばそうだな。」
 泰然を装うギップルの返事は、その演出に失敗した。ちょっぴり上ずったのが、聞いたほうにも言った本人にも丸分かりだったのだ。
「迎えに行ったらどうですか?」
「カモメ団の持ってくる話は、いつもろくでもないからな。そこまでサービスするこたない。」
 なおも言い張る彼の仕草には、やせ我慢が透けて見える。長い指が机に広げた新しい図面をたどっているものの、身が入っていないのは明らかだ。
「もうそこまで来ていると思いますけど。」
 重ねて勧められ、ギップルは大きく息を吐くと緩慢に立ち上がった。
「しょーがねえな。やっこらせ…っと!」
 一度決めれば、彼の動作は速かった。翼を生やしたかのような足取りで勢いよく部屋を出て行く。仲間は思わず吹き出しかけたのを慌ててこらえたが、幸いなことにリーダーの耳には届かなかった。

 磨き上げられた石畳にリズミカルな靴音が響き、広間の活気に混じっていく。
 封印を施されたかのように久しく呼ばないままだった幼馴染の名。それを口にした瞬間の、彼女の顔といったら見ものだった。
 驚きと喜びをない交ぜにした笑顔は、自分の決断が間違っていなかったことを確信させた。けれども戒めを解かれた時間が一気に二人を押し流し、戻れない場所へと運んでしまったことをも自覚しないわけにはいかなかった。
「上等じゃねえかよ。」
 迷うことはない。本来の自分を出し切らないことには道が開けないことを、彼は奥底の本能で感じ取っていた。元来直情径行で豪胆な男の頬に、不敵な笑みが戻る。
 伸ばした手に力を込めて押し開ける。荘厳な文様を施された大扉が、軋みを上げて開いた。

 建物を出たところだった。
「魔物だー!!」
 誰かの叫ぶ声が聞こえた。橋の向こう、街道の入り口だ。武器の装填状態を確かめながら、ギップルは地を蹴って駆け出した。

「どうした!」
 人だかりをかき分けるようにして前に出た彼が見たものは、グレータードレイクを相手に構えたリュックの姿だった。動きにいつものキレが見られないうえ、シーフの得意とする両手攻撃を繰り出そうともしない。目まぐるしい動きで魔物の攻撃をかわしながらも、反撃の転機がつかめないまま茂みのほうへじりじりと追い詰められていく。
 照準を合わせていた一人が舌打ちをして銃を下ろした。
「この間合いじゃ援護射撃は無理だ。」
 ドレイクの凶暴な爪が深々とえぐったその場所を、彼女は間髪の差で横っ飛びに転がって逃れた。
「ったく!」
 ギップルは銃を構え直すと長身を躍らせた。 モンスターの注意を引き付けざま叫ぶ。
「リュック!伏せろ!」
 地面に身を伏せた彼女の背後に、爆発音が響いた。
「まだだよ!」
 振り向きざま身を起こした彼女が叫ぶ。敵に致命傷を与えるには、弱点の氷属性攻撃が有効だ。黒魔法を使えるドレスにチェンジするか、それとも…。彼女が素早く考えをめぐらしたその時だった。
「ほらよ!」
 魔物とリュックとの間に割り込むようにして立ちはだかった青年は、氷の魔石を投げつけた。たちまち敵を氷塊が閉じ込め、魔物が持つかりそめの生命力を根こそぎ奪っていく。
「もいっちょ!」
 勝敗は既に決したかに見えたところへ、駄目押しの一つが投げ込まれた。きらめく氷片とともに巨大な氷の柱が天へ向かって伸びた。

「お前なあ、何ひとりで魔物と遊んでるんだよ!」
 駆け寄って声を荒げたギップルに、リュックは負けじと大きな声を張り上げた。
「だって!この子助けるためにしょうがなかったんだもん!」
 虚をつかれて口をいったん閉ざした青年は、そこで初めて少女の胸に抱かれた茶色の毛玉に気がついた。よく見ると縞模様のついたその毛玉はもぞもぞと動き、ぴょこりと小さな耳を覗かせた。ついで磨き上げられたトパーズのような目が現れる。
 腕自慢のシーフがいつもの瞬発力を発揮できなかったわけが、やっと彼にも飲み込めた。
「こいつをかばってたのか…。」
 魔物の牙から難を逃れた小さな生き物は、命の恩人に礼をするかのように甘え声で鳴いた。ギップルが人差し指で喉元を撫でてやると、目を細め喉を鳴らす。ふわふわの尻尾がひょこりと垂れて少女の腕をくすぐった。
「ケガは無いみたいだね。」
 子猫を抱き直して確かめたリュックは、笑顔になった。
「お前こそ大丈夫かよ。」
「あんな魔物片手でちょちょいのちょいだってば〜。ひとりでダイジョ…」
 頭を掻いていた青年は、不機嫌そうに彼女の言葉を遮った。
「あのなあお前、大事な女のピンチをオレにぼさっと眺めてろってか?」
「失礼な。別にピンチでも何でも…あれ?」

 今なんて言ったの…?
 言われた言葉の意味を反芻しながら恐る恐る見上げた先には、少し怒った風にも見えるギップルの真顔。

「あんま心配させんな。」

 おでこを突付かれて、リュックの頬は急に熱を持った。
 いつも冗談ばかりが飛び出す口から急にこういうセリフが出てくるから、困ってしまう。
 
「魔石の無駄遣い、ありがと。」
 嬉しいのに素直になれなくて、ひねくれた物言いになるのは何故だろう。苛立ちを心の隅に感じながら、リュックは精一杯の笑顔を作って言った。
「華麗な助太刀と呼んでくれ。」
 さして気に障った様子もなく、ギップルは彼女の言葉を受け流した。さっきの真顔はどこへやら、たちまちいつもの余裕ぶりを取り戻している。
「一体いくつ仕込んでるわけ?」
「他にも爪切りから電動ノコまで、お望みとあらば何でも。」
 それからにやりと笑って、
「内緒なんだけどな。実はここにも…。」
 自分の眼帯を指差す。
「えっっウソ!?」
「ウソ。昔、石化光線を仕込もうとしたけど、やっぱやめといた。」
 もとから大きな瞳をまん丸にさせたその顔を、してやったりとばかりに覗き込む。
「…もうっ!冗談ばっかりなんだから!」
 からかわれたと知って頬を膨らませたリュックは、声を上げて笑っている目の前の男を睨みつけた。一つしかない瞳が至近距離で笑っている。
 いつもこうだ。捕まえたと思ってもするりとかわされる。どこまで本気でどこまでが冗談なのか分からない。
 彼の目にはむしろ残ったほうに何か仕込まれているのではないかと、彼女は時々疑わしくなることがある。エメラルドのように澄み切った、強い意志の光を秘めた眼差し。未来へ伸びる螺旋を湛えたそれに出会うたび、自分の心が否応なく魅了されるのを感じていたから。







 打ち合わせを終えた後、リュックは用事があると言い置いて、ぶらりと建物の外へ出かけてみた。ミーティングの間中一緒にいた子猫も、そろそろ大人しくしているのに飽きたのだろう。ちゃっかりとお供についてきている。
 幼い頃から一族の中心的存在だった彼女は、知り合いの数も多い。行く先々で呼び止められて立ち話をする族長の娘の傍を離れ、茶トラの毛並みをした同伴者は、いつの間にか姿が見えなくなっていた。

 しばらく探したけれども見つからない。気まぐれな生き物の行方を捜すのを一旦諦めたリュックは、寺院の裏手へ向かった。小さな庭園風にしつらえてあるその場所は、温かな日差しの差し込む最近お気に入りのスポットなのだ。
「あれ?」
 そこには小さな先客がいた。猫は一番快適な場所を知っている、と何処かで聞いたことがある。緑の絨毯が広がる場所でふわふわの毛並みを日に当てながら、気持ちよさそうに丸くなっている。そっと歩み寄ると子猫は薄目を開けた。
「いいねえ、お前は悩みなんかなさそうで。」
 傍らに座って、その背をなでてやる。しっとりと柔らかな毛を通して伝わる暖かみが心地いい。
「嬉しい…って、ありがとうって素直に言うだけのことが、意外に難しいんだ、これが。」
 ため息混じりのぼやきを理解しているのかいないのか、
「にゃあ。」
  一声だけの返事で片付けた小さな賢者は、再び眠そうな目をつぶった。





 急に入った仕事を片付けたギップルは、広間にいる仲間に尋ねた。
「リュックはどうした?」
「さあ。さっき外を歩いていたよ。」
 迎えが来ると言っていたから、その辺りで時間でもつぶしているのだろうか。彼女を探すともなくうろうろするうち、彼はふと思いついて、自分がいつも昼寝する場所へと足を向ける。
 予感は当たった。緑濃い木立をかき分けた向こう、柔らかな草のベッドに二匹…ではなく一人と一匹が寝そべっている。
 無邪気というよりは無防備な少女の昼寝姿を覗き込んで、ギップルは苦笑した。くるくると良く動く印象的な瞳も、今はけむるような睫毛の向こうに隠れている。少しだけあどけなく見える寝顔に、落ちかかった木漏れ日がきらきらと揺れた。
「そこは俺の専用スペースなんだがなぁ。」
 見下ろす視線に気付きもせず、気持ちよさそうに寝息をたてているリュック。彼女のみぞおちを占拠していた子猫が片目を開けた。言いがかりをつけた男を、さも心外だという調子でちらりと見上げ、返事代わりに悠々とあくびをして見せた。

 ぽかぽかと暖かな陽だまりに包まれ、仲良く夢の園を散歩している彼女達。心和む光景に愛しさがこみ上げる反面、出し抜かれたようで少し悔しくもある。
「…俺も混ざろっ。」
 言うなりギップルは草の上へごろりと横になった。見上げた空の先、この地方にしては上機嫌の太陽が輝いている。

「絶好の昼寝日和だ。」

 
 彼のつぶやきが子猫のひげをそっと震わせ、穏やかな午後の大気に溶けていく。
 木々の息吹、葉の間からきらめいてこぼれる日差し。ここは光と緑の集う場所。
 森から渡る透明なそよ風が、つかの間の休息を楽しむ二人と一匹を優しく包んだ。

 



-FIN-


-----------------
光風霽月(こうふうせいげつ)
雨の後の晴天に吹く風や霽(は)れた空の月のように、さっぱりしてわだかまりのない気持ち

タイトル・挿絵::::粉
文      ::::どれみ

KARUさんへのプレゼントとして粉さんとコラボしたものです。

[BACK]


お気に召したら、ぽちっと一押しをお願いします WEB CLAP