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ANNEX


 今朝のキーリカ港は、市の立つ日とあって、日も昇らぬうちからとても賑やかだった。
 通路にも水路に浮かんだ船にも所狭しと商品が積み上げられ、陽気な喧騒に混じって売り子が威勢のいい声を張り上げている。
 中央都市部と南の島々を結ぶ交通の要所らしく、島の特産物はもちろんスピラ中の物が並んでいる。
 珊瑚礁に囲まれたこの島の港湾は、大きな船を迎え出るかのように伸びる長い桟橋と、そこから枝分かれして高床式の建物をつなぐ道とで成り立っている。嵐に備えて築かれた防波堤も含め、その建築材料は木材であり、素朴な景観が見直されて観光名所としても人気が高まりつつあった。
 そして今朝のように定期的に立つ市が、現地の衣食住を満たすだけでなく観光の目玉として、キーリカ島への旅行客をまねくようになっていた。


 シンによって一度は破壊しつくされたこの集落は、人々の希望に支えられて甦った。永遠のナギ節が始まって以後、青年同盟の拠点としてめざましい発展を遂げてきた。新エボン党との対立により争いの火種がくすぶった時期もあったが、今では両者が和解し、平和の時を謳歌している。


 宿から歩いてすぐだという朝市は、なるほど宿の者が言うとおり賑っていた。何度も立ち寄っている町だけれど、今日は一段と活気づいて見える。
 もっとも、そんな風に見えるのは、自分の心が浮き立っているせいかもしれない。鼻歌のひとつやふたつ、実際に口からこぼれてしまってもかまわない位に、胸が弾んでしかたない。
 板張りの歩道を軽やかに踏めば、打楽器のように素朴な音色が足元を彩る。
 目的を成すための旅はあいかわらず多いけれど、それだけに、こうして旅そのものを楽しむために出かける機会は貴重だ。
 少し急ぎ足ではあったが、来てよかった。そして彼の行動力には、いつもながら舌を巻く。
 隣を歩く恋人の横顔を見つめながら、ユウナは思った。。
 雑誌の取材とグラビア撮影を神速で片付けたご褒美として、本来のオフ日にもう半日のおまけを勝ち取った彼は、よっぽどの激務だったのだろう、さすがに少し眠そうだ。


「あ、ユウナ!ちょっと時間作ったから、今から出かけない?」
 トーナメント戦の応援にルカへと駆けつけていたユウナは、シーズン中の宿舎であるアパートメントでティーダの帰りを待っていた。
 部屋に鳴り響いたコール音にスフィア通信機を手にとる。つながるなり映し出されたのは身を乗り出すようにして
 映る、恋人の真正面どアップだった。
 彼はスフィアを使った連絡をまめに入れる。それは嬉しいのだけれども、毎回キス寸前の距離なので心臓に悪い。ユウナは思わずあごを引いた。
 他の人に対してもそうなのかと心配になって聞いてみたことがある。まさか!と笑い飛ばした彼は、ユウナとの距離をほんの少しだって縮めたいからと真顔になって続けた。ちなみにその後は言うまでもなく、氷砂糖のはちみつ漬けみたいな展開になったので割愛する。
 こちらの動揺などおかまいなしに、恋人は白い歯を見せてにかっと笑った。健康そうに日焼けした顔に満面の笑みが浮かぶさまは、真夏の太陽さながらにまぶしい。
 惚れた欲目を抜きにしても、文句なしにかっこいいと思う。ほんのりと頬にほてりが上るのを感じながら、ユウナは彼の誘いを受け入れた。
「いいよ、どこへ?」
「ほら、今朝スフィアテレビで朝市のニュース見たろ。行ってみようよ」
「朝市って、……キーリカの?」
「うん、キーリカ行き最終便と宿はおさえたッス。今すぐ戻るから、一泊分用意しといてくれる?」
 空き時間に映画を見に行こう位の気軽さで、彼は小旅行を提案した。
 さすがエース、フットワークの軽さは伊達じゃなかった。通信を終えたスフィアに映る自分の呆けた顔と目が合って、ユウナは我に返った。
「大変、急いで準備しなくちゃ!」
 幸いというか何というか、短い時間で必要な支度を終えるのは得意だ。過酷な旅路、一分一秒でも長く寝ていたいがゆえの涙ぐましい努力が実を結んだともいえる。
 大変と口では言いながら、うきうき気分が止まらない。平和になったスピラでは、旅は命がけの苦行から非日常を楽しむ極上のレクリエーションに姿をかえつつある。
 まして最愛の人と一緒なら。
 準備のときから、旅はもう始まっている。クローゼットへ小走りに向かう彼女の歩は、羽のように軽かった。


 並んでベンチに座り、搾りたてのトロピカルドリンクに舌鼓を打っていた二人の耳に、鳥の高いさえずりが届いた。声に誘われるまま立ち上がったティーダが、うやうやしく手を差し出した。ユウナが大きな掌に自分の指先を乗せると、彼は流れるように自然な動作で彼女を立ち上がらせ、手を引いて歩き出す。
 包まれるようにつないだ手が、ほんわりと温かい。こうやってエスコートされるのは、どこかくすぐったくて気恥ずかしい。気恥ずかしいけれどひどく嬉しい。
 穏やかな歩調で進む二人の視界を、活気に満ちた市場の光景が同じ速度で流れていく。鳥のさえずりはだんだんと近くなり、調子はずれな”イラッシャイマセー”という声が混じる。
 二人は顔を見合わせて、頷きあった。昨日の朝、テレビ番組で紹介されていた店に違いない。色とりどりに彩色された木彫りの品質もさることながら、店主の声をまねて接客するという看板鳥がいると評判になっていたのだ。
 ティーダがマップから顔を上げ、こっちと曲がり角を指差した。金物屋と小間物屋の間を折れて、みやげ物や貴金属の店が多く並ぶ素朴な商店街へ入る。
 鳴き声の主は、大小さまざまな木彫りを並べた店の、丸太柱に吊るされた簡素な鳥かごの中だった。極彩色の尾羽を開いて羽繕いに余念が無い。
「イラッシャイマセー」
 道行く人々が人ならぬ売り子の愛嬌に相好を崩し、中には立ち止まって店内を覗き込む者も少なくない。おかげでなかなかに繁盛しているようだった。

 恰幅の良い店主が、立ち止まった観光客に向かって、
「さあさ見てってください。お安くしときますよ」
と愛想よく声を張ると、鳥もすかさず曲がったくちばしをぱかっと開けた。
「オヤスクシトキマスーヨ」
 そのユーモラスな声と仕草に、ユウナは思わず声を上げた。
「かわいい!おりこうさんだね」
 誉められたのを知ってか知らずか、鳥はまるい目で彼女を見つめ、小首を傾げた。はしゃいだ声に営業用スマイルを向けようとした店主と、奥に座っていた彼の息子は、驚きのあまりあんぐり口を開けた。
 立ち止まった客の顔にはなぜか見覚えがあった。それもそのはず、目の前に立っているのは、スピラ復興と発展の立役者ともいえる大召喚士ユウナその人で、その隣はにっくきオーラカのエースではないか。生粋のキーリカ=ビーストファンである店主は、おとといの負け試合も記憶に新しい。ひいきのチームに煮え湯を飲ませた張本人の、中継カメラ越しの不敵な面構え、見間違えるはずがなかった。
「ユ、ユウナさま…?」
 仰天した少年が大きな声を上げかけるのを、横合いからティーダが唇に人差し指を当てる仕草で制した。それからユウナに向かって笑う。
「変装したほうがよかったかもな」
 突如現れた有名人に驚いて固まる親子の前で、当の二人は店の商品を仲良く品定めにかかった。その間もユウナはかわいい小鳥が気になって、何度も話しかけたり、鳥かごを覗き込んでいる。
 お買い上げの品は、本物と見まがうような艶と色をした果物の木彫りをいくつかと、鳥の神様を模したお守りを二つペアで。
 二人お揃いが前提なのは商売が繁盛して結構なことだと、キーリカの午後に吹く風よりも熱い二人を見守って店主と息子と看板鳥は思ったとか思わないとか。
「マイドアリガトウゴザイマシターー!」

 みやげ物横丁を抜けて生活雑貨や魚、肉、生鮮食品を扱う店の並ぶ広い道を並んで歩く。そんな二人に、突然の出来事が襲い掛かった。
 後ろから飛んできた声は懐かしいというのでは生ぬるい、忘れようもない強烈なインパクトを伴ったフレーズだった。
「あーらあらあら!」
 ティーダとユウナは、仲良くぎくりと背筋をこわばらせ、かつての好敵手へと首をめぐらせた。
「こんなところで何いちゃいちゃしてるの。お二人さん」
 そこには、元召喚士のドナが立っていた。
「ドナ!」
 驚きのあまり叫んだ二人の声はこれまた仲良くハモった。
 女王よろしく顎を上げた独特の立ち姿は健在だったが、何より二人を驚かせたのは、ゆったりしたスカートに包まれた大きなお腹だった。

「こんなところで立ち話もなんだから、私の家に招待してあげる。大召喚士様には、いつぞやのお礼もしたいし」

 思いがけなく旧知の仲と邂逅した二人は、バルテロの家へ招かれた。
「どうぞお構いなく」
 身重の身を気遣ってユウナが言うと、ドナが言い返す。
「言われなくても構わないわ。妊婦ってのどが渇くの」
 ふっかける口調は変わっていないが、慣れた手つきで茶を淹れる彼女の目元は、すっかり優しくなっている。
「バルテロさんは?」
「商工会議所で寄り合いがあって留守なの。青年部の部長なんて役職、ただ働きばっかりでいいことないわ」
 お人好しも過ぎるとただの間抜けねとぼやく彼女は、しかしとても幸せそうな顔をしていた。素直でない言い回しと、丁寧なもてなしがいかにも彼女らしいとユウナは微笑ましく思った。

 一方、訳知り顔のユウナに促されるまま一緒について来たティーダも、さすがにおぼろげながら事情を理解しつつあった。

 道すがら、そしてそれぞれが茶器を片手に落ち着いてからも、彼女達はまるでずっと昔からの友達のように、打ち解けた様子でおしゃべりに興じている。
 自分のいない間、旅をしていたユウナがここキーリカでも大活躍し、平和を取り戻した暁にドナとバルテロもめでたくくっついた。こんなもんで大体あってるだろうと、彼はざっくりすぎる推察で疑問符の嵐をやり過ごした。
 最悪と言っても差し支えない出会いで始まった彼らとの縁だけれども、召喚士と屈強なガードとが結ぶ絆の強さは賞賛に値したし、共にスピラの未来を思う者同士、奇妙な連帯感まで生まれるにいたった。ドナが召喚士としての旅をやめた後もバルテロは当然のように彼女を守っていた。二人の姿を思い出せば、たどり着く先がこの温かな家庭の情景というのは、納得がいく。というより、これ以外納得いかない。
 ぼんやりと考えていたところに、ドナが藪から棒に放った言葉は、さながら雷の最大魔法よろしく彼のHPを削った。
「行方不明になってたんですって?召喚士を置いてほっつき歩くなんてガード失格ね」
 いや、ほっつき歩いていたわけじゃないし。
 ただでさえ痛いところをぐっさりとえぐられて、ティーダは言葉に詰まった。招いた彼女としては、会話に加われず蚊帳の外に追い出された可哀想な男を構ってやったつもりなのかもしれないが、不意打ちを喰らった側はダメージが存外大きくて、気の利いた言葉のひとつも出てこない。
「ほっとけよ。もう二度としない」
 言い訳がましいことは言いたくなかったし、次は無い。それだけ念じていれば十分だ。
 ドナの勝気な瞳を真っ直ぐ見据えて、青年は断言した。そんな二人を、ユウナはにこにこしながら見守った。

 互いの近況を交し合っていると、話題は自然にドナとお腹の子をめぐるものになった。先輩を質問攻めにする後輩達の構図だ。
「名前とか、もう決めてんの?」
 ティーダの他愛ない質問に、ドナがあきれたような顔で応じる。
「男か女かも分からないうちから、どうやって決めるって言うのよ」
「そりゃそうだけど、候補とかあるだろ」
 口を尖らせて抗議する若輩者に優雅な一瞥をくれてから、ドナは肩をすくめた。
「あるわよ」
 あっさりと肯定されて、あるのかよ!とティーダは心の中でツッコミを入れた。口に出さなかったのは、切れ長の瞳がふっと笑んで、その唇が次の言葉を紡ぎかけたからだ。
「バルテロは、生まれる前から男の子だと決めてかかってるのよ」
 ばっかみたいと口先では切って捨てておきながら、彼女の眼差しはとても慈愛に満ちていて、聖母を連想させた。
「息子だったら、アーロンって名づけるんだって聞かないの」
 大切な人の名に二人は一瞬言葉を失い、ついでどちらからともなく小さな吐息を洩らした。ドナも、そこでカップに口をつけた。
 部屋を、快い沈黙が満たす。
 時を重ね、人々の口の端に上らなくなっても、伝説のガードはこうしてスピラの人々の内に生き続けている。想いは、希望は、その先の未来へとつながっていく。
「きっと、優しくて強い子になるよ」
 ユウナが笑いかけると、彼女はつんと顎をそらした。
「当たり前でしょ。あたしとバルテロの子だもの」
 誇らしげに突き出したお腹をさするドナは、生命の美しさに溢れていて、ティーダは眩しげに目を細めた。
 健やかに育まれる命を思うと、なぜだか涙が出そうになる。
 人は嬉しくても涙が出るのだと初めて知ったのは、スピラに来てからすぐだったな、と脈絡もなく思い出す。

 隣に座る、かけがえのない人の温もり。お互いの肌身に感じる愛おしさ。
 生まれ来る命。

 生命のつながりが、新しいスピラを未来へと導く。
 






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