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 海水から上がり、冷たいしぶきを跳ね落とした三人の眼前に、荒涼たる光景が広がった。
 海の遺跡と呼び倣わされているこの場所は、数十年前までバージ=エボン寺院の名で親しまれ、多くの参拝者を迎え入れていた。しかし今では、海鳥と魔物以外の姿をここで見ることはできない。シンの襲来によって崩れ落ちた伽藍の残骸は、かつての壮麗さを偲ばせるだけに、余計に無残さを極めて映った。
「確かに、こんな薄気味の悪い場所に長居はしたくねえな」
 ワッカがボールを抱えたまま、用心深く辺りを見回した。いつまた魔物に襲いかかられるか分からない。十分に戦いの経験を積んだ彼らではあったが、それだけに一瞬の気の緩みが招く被害も熟知し、常に備えることを怠らない。
「だろ〜?『夢も希望もありません』ってオレの気持ち、分かってくれた?」
 兄貴分の呟きを聞きつけて、先頭に立って案内していたティーダが、勢い込んで振り向いた。我が意を得たりとばかりに、ここでの悲惨な体験を訴える。
「でさ。しかもリュックには酷い目に合わされるし。助かったと思ったところへ、いきなり当て身だもんな」
 オーバーアクションで当時の再現をして見せながら、ぼやいた彼はリュックをちろりとねめつけた。
「それが、命の恩人に向かって言うセリフかなあ。そゆこと言ってると、スタミナ不足の誰かさんがピンチの時に、もうアルベド回復薬投げてあげないよ?」
 不服そうに頬を膨らませたリュックのスパイラルアイズは、しかし楽しそうだ。
「あ、嘘々、今のナシ!リュックには頭が上がりません!だから次も頼むな」
「もお、調子いいなぁ〜」
 三人の大きな笑い声は高い天井に反響して、暗くがらんとした大広間の空気を不似合いな色に染め替えた。

 秘められた召喚獣を求め、召喚士ユウナ達は海の遺跡を訪れていた。
 この場所は、かつては多くの参拝者を集めた寺院だったが、今では半ば海に沈み、水棲の魔物が棲み付く廃墟と化している。
 水中戦闘をこなせるリュック、ティーダ、ワッカの三人が、残りのガード達と召喚士とが通れる道を確保するため、探索を兼ねて先鋒を務めることになったのだ。

「ここで初めてリュックと会ったんだよな」
 戻ってきた大広間の中ほどで、ティーダが足を止めた。以前ここへ流れ着いたときに暖を取った焚き火の跡が、そのまま残っている。あの時文字通り命を繋いだ火の名残だ。それを目撃して、少年は不思議な感覚にとらわれた。
 海水に湿ってどんより垂れ込めた陰惨な空気も、崩れた瓦礫の作る闇も、天井から落ちる水の冷たさも、全く変っていないのに、あのときの心細さや恐怖はどこにも無い。それどころか何が起こっても切り抜けられる自信と、この任務を楽しむ余裕さえみなぎっている。
 以前死にそうな目に遭わされた魔物に、まんまと意趣返しを果たした高揚感も一役買っているのだろう。先刻も、凶暴さを極める怪魚ジオスゲイノを、仲間と力を合わせることで見事仕留めることができた。
「夢も希望もありません、か」
 何も分からないままスピラに放り出され、この遺跡を一人で彷徨ったときのことが、遠い出来事のように思い出される。懐かしいという気分には程遠いが、ティーダは奇妙な感慨を抱くに至った。
 ここで死んでもおかしくはなかったのに、そうはならなかった。単に運がよかっただけではない「何か」が、もしかしたらあったのだろうか。
 彼は運命論など爪の先程も信じたことはなかったが、人との繋がりという不思議な縁に生かされている実感は、容易に受け入れることが出来た。

 自身の成長と、心強い仲間の存在。二者への信頼を拠り所にして、少年は気付いた。
 夢も希望も、それらはどこか遠くにあるものではない。己の内側に宿るものなのだ。

 ひとつ、またひとつと大切な何かを得てゆく若者の歩みは、闇の中でも確かに揺るぎない。

 三人は松明の燃える朧な明かりを頼りに、崩れた壁の破片を避け、或いは乗り越えながら、最深部へと進んだ。入り組んだ廊下を迷いながら分け入るうち、彼らの耳にふっと遠くから歌声のようなものが聞こえてきた。鼓膜を微かに震わせる、消え入りそうに弱い旋律は、聞くそれぞれにも馴染みの深いものだった。
「どうやら目的地が近いらしいな」
 ワッカが呟くと、二人も揃って頷いた。吸い込まれそうに暗い通路の奥から、すすり泣くように、それでいて子守唄のように聞こえてくる、それは祈りの歌だった。
 突き当りまで進むと、封印を施された扉が三人の前にそびえた。この向こうに祈り子像が安置されているのだろう。
 ぴたりと閉ざされた重い石造りの扉は、何重にもかけられた強固な魔法の力に守られ、並大抵のことでは開きそうになかった。
「これ以上は俺達じゃ無理だ。いったん戻るぞ。ユウナとルーなら何とか開けられるだろ」
「でもこれ、またダミーやトラップだったりして」
 半分冗談めかして口を挟んだリュックの心配ももっともで、こういった遺跡には侵入者を阻む数々の罠が仕掛けられているのが常だった。しかも苦労して困難を退けたその先には、何も無かった…などという無駄骨のケースも珍しくない。
「罠かどうかは、開けてみなくちゃ分からないだろ。それに多分…、ここで間違いないと思う」
 確信をこめて言い切ったティーダに、リュックは少しだけ不思議そうな目を向けた。
 木霊すように響く祈りの歌に乗って、少年の耳だけには祈り子の悲痛な呼び声が届いていた。扉の向こうで、彼女がユウナを呼んでいる。運命の召喚士が自分のところへたどり着くのを待っている。大切な者の過ちを止め母としての過ちを償うために力を貸して欲しい…と訴えかけている。
 しかし確信の根拠を仲間に告げることを、彼はためらった。余計な心配をかけたくなかったし、そもそも何故祈り子の声が聞こえるのか、それを今は考えたくなかった。立ち止まって考え込んだら、恐ろしい結論にたどり着いてしまうような気がして、正直怖かった。

「じゃ、みんなのとこへ戻ろっ!みんな待ってるよ」
 大きな手招きで呼ぶリュックの元気な声が、ティーダを現実に引き戻した。続いた言葉に含みを感じて視線を向ける。すると案の定、彼女は意味深な笑みを顔に貼り付けたまま、隠そうともしない。
「ユウナんもねぇ〜。へへへ」
「何だよリュック、変な顔して。気持ち悪いぞ」
 怒らせて気を逸らそうと仕掛けたフェイントには乗らず、彼女はニヤニヤ笑いをますますあからさまにした。
「あ〜あ、あたしにも、こう、ドキドキするような事、ないかなあ」
 防戦一方でご機嫌斜めなエースの仏頂面に向かって、リュックが更に華麗な一撃を加えようとした時、
「おい、お前ら真面目にやれ。向こうからほれ、ドキドキが来なすったぞ」
 審判のホイッスルよろしく、ワッカの声が二人の間に割って入った。
 既に戦闘態勢を整えた先輩ガードの指差す先に、水棲の魔物が群れをなしてうごめいていた。生者の気配を嗅ぎ付けて、暗い水の底へ仲間に引き入れようと寄って来るのだ。
「え〜〜っ!?そんなの、ちっともドキドキしないよぉ。面倒なだけじゃん」
「言えてる。いい加減飽きるっつーの」
「だからなお前ら、もうちっと気を引き締めれ〜!!」
 仲良く軽口をたたきながら、年少のガード達も、たちまちの内に臨戦の構えをとった。敵との間合いをじりじりと詰めていく。
 信頼できる仲間と一緒ならば、恐れるものは無い。活路を開いた先には、ユウナの笑顔が待っている。

「んじゃ、いっちょ行くッス。手加減しないからな!」
 胸に宿る、夢と希望。触れることは叶わなくても、信じることで確かに名を与えられる存在がある。
 ティーダは気合と共に、雷光をまとった剣を闇に閃かせた。







− 夢も希望もありません −


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