6. 待ってる
カチャリ……
ドアノブの回る密やかな音。
ひんやりとした金属の滑らかさを掌に感じながら、ユウナはためらいがちにドアを開けた。
恐れているのではない。何をすればいいかも分かっている。
開いていく扉の隙間から、潮の香りが押し寄せ彼女を包み込んだ。
開け放した大窓から、レースのカーテンを透かして眩しく降り注ぐ陽光。
柔らかに輝く光の粒を金色の毛先に遊ばせながら、けれども彼の横顔は憂いに沈んでいた。
水平線を見つめる両眼は、硬質の煌めきをたたえて冴え冴えと青い。ルカ特有の穏やかな海風が、まるでそこだけ凍りついたかのようだった。
足音に気付いたティーダは、首をめぐらせた。
近付くユウナを、彼の視線が一撫でする。けれども、不機嫌に引き結ばれた唇は沈黙を守ったままだった。
青年は硬い表情のまま、瞳を逸らした。
それでも彼女の心に落胆は無い。
彼が放つ感情の波に触れることで、むしろ安心に近い確信を持つことが出来た。
笑顔の向こうに押し隠した真意は、その眩しさゆえ他人には容易に図ることが出来ない。
隠し事が重いほど、それを彼は身の内一つに閉じ込める。
かつて旅を続けるうち、ユウナが見つけた彼の癖。それは彼の惜しみない優しさと素朴な気遣いから生じるものだっただけに、かえって心に痛かった。
だから今、脆く弱い部分を隠さずにいてくれることが嬉しいのだ。
遠慮のない不機嫌さは、無理をせずにいてくれることの証明。
彼は視線を再び海に向けた。窓からはスピラカモメが海風に乗って舞うのが見える。
夏色の空に描かれた優雅な軌跡も、金の矢を従えた眩しい太陽も、今は青年の心を飛翔させる力を持たなかった。
「痛む?」
先に沈黙の扉を押し開いたのはユウナだった。ソファからフローリングへと投げ出された彼の左足。その足首はテーピングで固定されている。
「……別に」
「そっか」
抑揚のない声は彼女のいたわりを拒むかのようだった。構わずユウナは次の言葉を探した。
「試合、そろそろ始まるよ。スフィア放送点けようか」
「……見たくないッス」
「そっか」
傷ついた獣の警戒心をほぐすのは並大抵のことではないらしい。密かに息を整えて、ユウナは再び次の言葉を探した。
ルカは今ブリッツシーズンの真っ只中。二日目の今日は最高潮の盛り上がりを見せている。
けれどもビサイドオーラカのエースは今日の試合に出場がかなわなかった。練習中、左足首に怪我を負い、宿舎で療養中だ。
大事無いと主張したにも関わらず、監督は早々と彼を戦列から外すことを決めた。
「退屈だろ?どっか出かけたらどうッスか?」
不機嫌を押し殺し笑顔を装った声は語尾が不自然にひっくり返って、発した者自身をより苛立たせた。
「ケガしてるキミを置いて行けないよ」
常の癖で小首を傾げ、ユウナが困ったように見上げた。青と緑の宝石が、まっすぐ彼の瞳を捉える。
見つめる先から逃げるように視線を逸らし、それからティーダは肩を落とした。小さな唸り声を搾り出しながら、黄金色の頭髪をぐしゃぐしゃと片手でかき回す。
「……ごめん。八つ当たりなんかして」
「試合、出たかったんだよね。本当にブリッツが好きなんだね」
ふわりと微笑まれ、彼はますますしょげた。
「自分でも呆れちゃうッス。セルフコントロールがなってないって……」
「ううん、そんなことない」
ありのままのキミが好き。
怒ってるキミも、泣いてるキミも、不機嫌なキミだって。
誰も知らないキミを、私だけが知ってる。
「悔しければ悔しいって叫んじゃおうよ。ね?」
キミと近しい証明だから、遠慮のない我侭をもっと受け止めたい。
思うようにならなくて自分の無力をかみしめているキミ。
キミの気持ちが分かる……なんて言ったらそれはうぬぼれに過ぎないけれど。
今の私にできること、私にしか出来ないことがきっとあるはず。
「でもワッカさんの気持ちも分かるんだ。先は長いんだし、切り札は取っておくものだからね」
「こんなの、ケガのうちに入らないッスよ。それをワッカの奴こんな大げさにしちゃってさ」
口をとがらせた彼は、変わらないユウナの微笑みにぶつかって、きまり悪そうに頭をかいた。
「時にはお休みも必要だ……ってことじゃないかな。長い距離を走るためにはペース配分が大事だし、高くジャンプするためには、しゃがまなくちゃいけないでしょ?」
こみ上げてくる想いを丁寧に拾い上げながら、彼女は言葉を探した。
「そりゃ確かに過密スケジュールだったけど」
青年は、口の端に笑みを乗せた。
まだどことなく弱々しく、でも厚い雲の切れ間から差し込む太陽のようにはっきりとした輝きをともなって。
「キミが元気になるまで……」
キミが再び走り出す瞬間は、もうすぐそこ。それまで私の隣で、ゆっくり休んで欲しいんだ。
「一緒に、待ってる」
彼はそれを聞くと、小さく笑った。
「明日はサボらずに、ちゃんとベンチ入りするッス」
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◇おまけ◇
「せっかくゆっくりユウナと一緒にいられるんだから、この時間を有効利用しない手はないよな」
肩を抱かれたユウナは、日に焼けた恋人の額を人差し指で小突いた。
「こーら、それじゃ静養にならないでしょ」
更にお説教を続けようとする薔薇色の唇を、ティーダは自らのそれでふさいだ。一瞬の抗いの後、ユウナの腕から力が抜けていく。
…と続けたくなった自分。(むしろ後書きでネタにせずにちゃんと書け。)
(04.10.8初出 Written by どれみ)
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