2. ケンカ
「誤解なんだってば。なあ!」
鍵の下ろされた開かずの扉の向こうでは、物音一つしない。
「そりゃ、どこかで見た顔だなー……とは思ったけどさ」
言い訳を続ける男の声が、がらんと虚ろな廊下に空しく響いた。
楽しいオフの夜が待っていたはずなのに、 どうしてこんなことになったんだか……
ティーダは途方にくれたまま、彼女と自分を隔てる忌々しいドアを長いこと見つめていた。
ひとまず頭を冷やさないと。
足取りも重く寝室へ戻り、彼はセミダブルのベッドへ身を投げ出した。
二人にはほんの少しだけ狭い場所。一人には広すぎる場所。
「……………………はぁ」
塊のようなため息がシーツに吸い込まれていく。
その日部屋を訪ねてきたユウナは、硬い表情でその女性週刊誌をテーブルの上に投げ出した。派手な蛍光色で縁取られた表紙には
”一つ傘の下で見詰め合う二人・ブリッツ選手と新進女優の熱愛発覚”
という文字が踊っていた。
身に覚えがないといったら嘘になるかもしれない。けれども誓ってユウナの信頼を裏切るようなものではなかったはずだ。
1週間ほど前のことだ。昼過ぎ、この地方特有ともいえる突然の雨がルカの街を洗った。人々が右往左往して雨宿り先を探す中、ティーダは持って出た傘のお陰で不自由なく歩いていた。
その女性に会ったのは、もう少しでスタジアムのエントランスへという場所だった。相当急いでいるのだろう、髪も服もびしょぬれなのにも構わず往来を駆けて行く。見ていてつい気の毒になり、呼び止めて傘を譲ってやった。
単にそれだけのことだった。それだけだったはずなのに……。
「それが、どこをどうすると熱愛になるんだよっ!!」
罪なき枕に八つ当たりのパンチを食らわせて、彼は呻いた。
夜の帳が、一刻ごとにその色を濃くしていく。開け放した窓からは、しとしとと雨の降り続く音が聞こえていた。温暖なルカの気候では、こうした雨が珍しくない。
ひとりでいる部屋はがらんとして、静けさが妙に神経を逆撫でした。
考えている内に、段々腹が立ってきた。
オレが何か悪いことしたのかよ――。
申し開きの機会さえ与えてくれないユウナに不満が募る。
彼女は東の部屋にこもったきり、出てこようとはしない。芯が強い分こういう時意地になると手のつけようがなくなるのだ。このままでは仲直りどころか、いつになったら顔を合わせられるかも分からない。
このままこうしてくすぶっていると、おかしくなってしまいそうだった。
「ウダウダすんの、性に合わないッス!」
ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟ってから、ティーダはベッドから起き上がり部屋を飛び出した。
優しい生成りがお気に入りの、大きなソファ。今夜はここが寝場所になる。
しっとりと湿った優しい雨の音色を聞きながら、ユウナはぼんやりと毛布を胸まで引き上げた。
記事の内容がでっち上げだろうということは、彼女にだって簡単に想像がついている。
けれども動転していた気分が収まると、別の寂しさに襲われたのだった。
彼を信じてる。けれど私と彼の間には、唯の一つも隠し事がないなんて保証はどこにもないんだ。
彼には彼の生活があって、私の知らない人といっしょに知らない時間を過ごしてるんだ。
今更ともいえる、そんな当たり前の事実。まるで小さな棘みたいに心に刺さってちくちくしている。
重苦しいため息が、唇の間からこぼれ出た。
開け放した窓の外で人の気配がする。気づいたユウナは身を固くした。
まさか、ここは六階建ての五階部分。気のせいだと片付けようとした彼女の耳に、今度ははっきりと物音が聞こえた。
驚いて振り向けば、そこにはなんと窓から転がり込んできたティーダの姿。霧雨に濡れそぼった金の髪は、銀の小さな雫を無数にちりばめている。
闇色に四角く切り取られた窓の外。よく見ると、ロープ梯子がゆらゆらと揺れていた。どうやらそれを伝って降りてきたらしい。
「ここ、5階だったよね?」
「屋上に避難用ロープがあったから」
自分を助けるために飛空挺からワイヤーを滑ってくるような男なのだから、このくらいはなんでもないのだろう。それにしても…
「キミって時々、強引だね」
呆れるユウナにティーダはしれっと返した。
「時と場合によるッス。どうしても話したいことがあったから」
「今はキミの顔を見たくない。だから……」
目をそむけた彼女の肩を、彼は掴んだ。
「逃げるなよユウナ!」
激しい剣幕にユウナが身を縮めるのにも構わず、彼は叫んだ。
「文句があるんなら面と向かって言えよ!気の済むまで怒れよ!」
「キミは何も分かってないよ!」
ほとばしるように上がった悲痛な叫びに、今度は彼が色を失う番だった。
「私は自分に腹立ててるんだから!キミの”初めて”になれなかったのを悔しがっている――自分がイヤでイヤで許せないの!」
そう一気にまくしたてた彼女の瞳は、涙が今にもこぼれ落ちそうだった。
「……大声出したりして、悪かったッス。それで、あの、えーと……」
涙を必死にこらえているのだろう。鼻の頭を赤くして睨み上げているかわいい人に向かって、ティーダはどぎまぎしながら尋ねた。
「初めて……っていうのは、何のことッスか?」
「……私、キミの傘に入れてもらったことないよ」
彼女は告白した。分かってなさげな間抜け顔をさらしている恋人に、恥ずかしさとじれったさを絶妙にブレンドした表情をして。
我慢の限界だった。
あまりのいじらしさに、抱きしめずにいられない。
「ごめん」
言葉はひとりでにするりと出た。腕の中で息づく花に、そっと囁きかける。
どちらが悪いかなんて関係ない。ユウナを悲しませたこと自体がオレの罪。
「ううん。キミを信じてる」
甘やかな吐息がこぼれ、おずおずとまわされた腕が背中に柔らかな温もりを伝える。花の香りが鼻腔をくすぐった。
熱い抱擁をようやく名残惜しげにとくと、ティーダはそのままユウナの手を取った。
「じゃ、今すぐ出かけよう!」
「夜だよ?」
「構うもんか」
「キミ、濡れてるから乾かしたほうが……」
「ちょうどよく頭が冷えたッス」
見上げた先には、飛びっきり上天気な青い瞳。
「雨、降ってるよ?」
「だから今すぐユウナと歩きたい」
ユウナの大好きな、雲ひとつない空の色が至近距離で笑っている。
雨が連れてきた小さなケンカ。小さなケンカが連れてきた、”初めて”の幸せ。
「一つの傘で一緒に歩きたいと思ったのは、ユウナが ”初めて” だからさ」
-FIN-
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大声でケンカするティユウ。自分には一生書けないと思っていたんですが。(大笑)
バカップルって呼ばれてもいいや。幸せならこの際。(開き直り)
(03.11.15初出 Written by どれみ)
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