常夏の島ビサイド。ここ南海の楽園では、豊かな自然の恵みが人々の生活を支えている。
 宝石のように色とりどりの魚介類、一年を通して取れる果物。
 惜しみなく与えられる大地からの恩寵を糧に、島の一日は穏やかに過ぎ、そして暮れる。

 西に傾いた太陽が海を金色に染める。夕陽に背中を押されるようにして、浜辺でブリッツの練習に明け暮れた男たちもまた家路へと急ぐ。
 村の入り口から程近い場所でワッカと軽い挨拶を交わして別れた後、ティーダは自分の家の前に立った。

 ここは特別な場所。
 ここは特別な人が待ってくれている場所。

 彼は小さく深呼吸すると、よく通る声をことさら元気に張り上げた。

「ただいま!」



I ' m   H O M E







「お帰り」
 応えてくれるその声は、ティーダを泣きたいほど幸せな気持ちにさせる。
 母を亡くして以来自分を家へと迎え入れる温かな声を、孤独な少年は久しく聞かずにいた。そのために心の奥底に家への強い憧れがあったのも事実。

 けれども彼にはもっと強い理由がある。スピラに再び生きる自分の存在意義。ユウナがそれを教えてくれた。
 エメラルドグリーンに光る波頭に膝を洗いながら聞いた声を、きっと一生忘れない。

「お帰り」

 その一言を世界で一番愛しい人が繰り返すたび、想いもまた繰り返し湧き上がる。
 ここがオレの生きる場所。








 無遠慮なまでにまばゆく差し込んでいた南国の西日はいつの間にか姿を潜め、外の景色は夜の色に染まりつつあった。
 一日の疲れを汗と一緒に流し、さっぱりとした気分でティーダは台所に入った。そこでふと気付く。今晩も所狭しと並んだユウナの心づくしの料理。その脇に見慣れない大きな瓶がでんと置かれている。
 
「これ、何スか?」
 ティーダは首をかしげて横から覗き込んだ。
 テーブルの上に鎮座している大きな広口瓶。中には琥珀色の液体が満たされていた。蓋に紙がかぶせられ、その上からきっちりと紐で巻かれているのが、大事にしまわれていた様子を思わせる。
「果実酒だよ。こっちはルルグ、こっちはポム。蜂蜜と一緒にお酒につけてあるの。」
 これまた大きな瓶を重そうに胸の辺りで抱えながら、ユウナが台所へ入ってくる。
「言ってくれれば手伝ったのに」
 半ば取り上げるようにして、彼は細い腕から大きなガラス瓶を受け取った。
「大丈夫だよ、これ位」
 重い荷物を預けた彼女の、可愛らしい唇からくすくす笑いが漏れた。時折過保護にさえ見える恋人の世話焼きがくすぐったくもあり、嬉しくもあった。
 
 ポムは熱帯産の果物で、ビサイドではたくさん食べられている。濃いピンク色の果肉と大きな種が一つ詰まっていて、甘味も酸味も強い。ルルグは果物というより薬として扱われることのほうが多い。疲労回復のほか解毒にも効果があって珍重されている。
 
 ティーダがテーブルの上に置いたガラス瓶は、部屋の明かりを取り込んで優しい輝きを放った。ざっくりと織られた白いクロスの上に薄桃色の影が落とされる。
「よく漬かったみたいだね」
 瓶を傾けたユウナの両手に、ひんやりと気持ちの良い手触りがずっしりとした重みとともに伝わってくる。ゆっくりと揺すると桃色の酒に浮かんだトロピカルフルーツが気持ちよさそうに揺れた。
「これ、ユウナが作ったのか?」
「うん、ルールーに教えてもらって」
 感心した風に眺め入っているティーダに、ユウナは提案した。
「せっかくだから、開けて飲んでみようか」
「あ、それ賛成」
 ユウナがグラスを取りに行く間、ティーダは瓶の封を神妙な手つきで開いた。とたんに甘酸っぱい芳香が鼻をくすぐる。
 グラスに注がれた桃色の果実酒は良い香りを漂わせ、並べられたご馳走をいっそう引き立てるようだった。
 小さな酒宴の用意が整い、二人はいそいそと食卓へついた。

 グラスを口に運びながら、ティーダは問いかけた。
「ユウナ、いつの間に飲めるようになったッスか?」
 表情は笑顔だったけれども、その声音は微妙なニュアンスを含んでいて。
「違うよ!ポムのはお菓子やお茶の香り付けに使うし、ルルグ酒は疲労回復の薬代わりだよ。」
 ユウナはたいして飲んでもいないうちから頬を赤くした。
「ふ〜ん。誰かと練習したのかな、って思ったからさ」
「…お酒飲む練習してられるほど、暇じゃなかったっす」
 コホンとわざとらしい咳払いをしてから、ユウナは意地悪な質問を繰り返す恋人をちらりと上目遣いに睨んだ。

「決めました」
「へ?」
「誰かさんが絡み酒にならないうちに、片付けます」
「わ、ちょっと待った!オレが悪かったッス!」
 ついと伸ばされた細く白い指先に、褐色の大きな掌が重なる。グラスの水面が、勢いよく波立った。
 思いがけなく触れ合った指先から、小さな閃光にも似た新鮮な感情が胸へと駆け抜けた。
 
 甘酸っぱい面映さに頬が火照る。スキップする鼓動をなだめながら、ユウナは恐る恐るテーブルから視線を上げた。
 ビサイドの太陽みたいに強い輝きを持つ青い宝石が、こちらをじっと見つめる。少しだけ揺れているのは、持ち主の心情をそのまま映しているからに違いない。

 一呼吸の間をおいて、彼等はどちらからともなく吹き出した。
 面映さを笑い飛ばし、小さな言葉遊びを重ね、二人の時間が再びゆったりと流れ出す。







 競うように鳴く虫の声を耳にしながら、ティーダはグラスを口元に運んだ。
「酔ってるキミを初めて見た気がする」
 洗い物を終えたユウナが、向かいの椅子に腰をかけた。
「オレ、酔ってる?」
 彼は心外だという風に肩をそびやかした。けれどもユウナは澄まして言い返した。
「ほら、ムキになるところがもうアヤシイよ」
「……。」
 彼女のほうが一枚上手だ。
 反論できずに、黙って琥珀色の液体を傾ける。
 確かにちょっと量を過ごしたかな。 ユウナと一緒だと、何でも美味しく感じるからな。
 幾分ふわふわする頭で、ティーダはそんな風に言い訳めいたことを考えた。
 思う存分飲んで、食べて、笑って…何の心配もせずに眠りに落ちることができる毎日。

 幸せって、こういうことかな。
 何のてらいもなく、素直にそう思える。

「アーロンに言わせるとさ、オレ、泣き上戸なんだってさ」
 脈絡もなく、彼は話し出す。
 話が飛躍しすぎていて、自分でもおかしいと思う。でも目の前の愛しい人は、ただ柔らかな微笑で応えてくれる。
 続きを促されるまま、はにかんだ笑顔で青年は続けた。
「酔っ払った挙句泣き出したりなんかしたら、サイアクにかっこ悪いからさ。だからなるべく飲まないように気をつけてた」
「そっか。じゃあ、キミは家でなら、心配なく飲めるってことだね」
 ―――何だかとっても嬉しい。
 そう言ってユウナは目許をほころばせた。照れくさくなって後ろ頭をかきながらも、ティーダは素直に頷いた。
「どうやら、そういうことみたいッスね」




 気持ちよく酔いの回った体に、急に眠気がやってきた。
「そろそろ切り上げないと、明日が辛いかな」
 グラスの底に残っていた最後の一口を氷と一緒に流し込むと、ティーダは立ち上がった。
 その時の彼はまだ気付いていなかった。強い酒を早いペースであおったせいで、いつもと勝手が違っていたことに。

「…あれ?」
 寝室に向かおうとしたけれど、彼の足は突然造反した。膝の力が抜けたと同時に、すとんと床に座り込んでしまっていた。
「だ、大丈夫!?」
「…この酒、足にクるッスか。参ったなぁ」
 血相を変えて立ち上がったユウナに対して、本人はいたってのん気なものだった。片眉を跳ね上げたその顔は緊迫感の欠片も無く、ちっとも参った様子には見えない。
 壁に背中を持たせかけたまま、ティーダはくすっと笑った。酔いのせいか体のあちこちが重い。瞼も例外ではなく、目を開けているのが億劫になってきた。
 そのまま眼をつぶった。ユウナの慌てた声が聞こえた。
「こんなところで寝ちゃダメだよ」
 肩を揺すられて、彼は眠い瞼をやっとのことでこじ開けた。
「もう、調子に乗って飲みすぎるからだよ」
 怒っている、というよりは心配げな色を浮かべた恋人の瞳がそこにあった。彼女の気持ちはありがたかったけれど、今の気分は、至極上々だった。彼は酔いに上気した頬に、満足げな笑みを乗せた。
「ごめん。ここでなら潰れても大丈夫、って安心していられるのが…すっげぇ嬉しくてさ」

 浜辺での練習に明け暮れた自分を迎えてくれる、「お帰りなさい」の笑顔。
 想いを言葉に頼らず交し合うたび、新しく生まれる何か。
 ひとつ屋根の下、大切なただ一人と一緒に暮らせる幸せ。

 心配をかけるのはちょっぴり良心の呵責を感じる。
 けれどもこんな些細なことで心配をかけられるほど、愛しい人との距離は近いのだ。
「ここはオレの”家”なんだって、実感できて…。だからつい過ごしちゃったな」

 ここが自分の居場所。

 もう一度、ごめんと繰り返した青年の笑顔に、ユウナの胸にも温かいものがこみ上げた。
 ―――そうだね。ここが私の、そしてキミの家なんだ。







 遠くに波音を聞きながら、楽園の夜は更けていく。
 大きな月が地上に銀色の光を投げかけ、家々を優しく眠らせる。







 いつまでたっても立ち上がろうとしないティーダに、ユウナは恐る恐る声をかけた。本当に眠り込んでしまったら大変だ。
「もしもし酔っ払いさん。起きてくれないかな?」
 彼は意識を眠りの精に半分引きずられながら、頭の上から降ってくる小言を子守唄のように聞いていた。
「…んー、ユウナぁ……」
 肘から上だけを何とか動かして、手招きする。
「何?」
「こっちこっち…」
 彼の大きな掌が、頼りなげにぷらぷらと揺れている。外ではグローブをつけているために、青年の手の甲は心持ち焼け残って白い。引き寄せられるように、彼女は膝を着いた。姿勢を低くして覗き込んだその時だった。

「きゃっ!」
 小さな悲鳴は、困惑に縁取られていた。首にまわされた力強い腕が、あっという間に彼女を引っ張り抱き込んだからだ。
 上半身を逞しい胸に縫いとめられたまま、ユウナはもがいた。
「ちょ、ちょっと!離して!」
「やだ」
「やだってキミ…こら、離しなさいってば!」
「やだ、離さない」
 駄々をこねるように、彼は頑迷に繰り返した。酔いに沈みとろりと見開かれた空色の瞳は、呆れて見下ろす恋人の顔を小さく映す。
 

「絶対に、もう離さない…」
 言う傍から彼の体躯はずるずるとくず折れた。ユウナの膝に頭を持たせかけるようにして、そのまま床の上にごろりと転がる。

 事の成り行きを半ば呆然と見守っていた彼女の耳に、小さな寝息が聞こえてくる。
 寝入ってしまった彼の胸は緩やかに上下を繰り返し、眠りの健やかさを思わせた。
「あーあ、結局こんなとこで寝ちゃって」
 彼を寝台まで運んでいくのは、どう考えても無理だった。
 

「私だって…」
 ため息をつきながら傍らに座り込んだユウナの唇から、小さな声がこぼれた。
「もう、二度と離したりなんかしないよ」
 恋人の寝顔は、宝物を抱きしめて眠る子どものように満足げで。
 ユウナは胸に温かな波が押し寄せるのを感じた。

 寝室から持ってきた上掛けを広げたユウナは、しばらく考えた後、自分も隣へ横になった。
 ビサイド織の絨毯を通して、島の土からひんやりと滑らかな夜の温度が伝わる。虫の声に混じる遠くかすかな潮騒を子守唄に目を閉じる。

「お休み。また明日」
 広い背中にそっと頬擦りし、伝わる温もりを確かめながら、ユウナは上掛けを肩まで引き上げた。

 






 大地の火照りを冷まし、全ての安息を見守りながら。
 小さな島に月影が満ちる。






 お休み。また明日。








-FIN-


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FF10は、本当に多くのものを自分に与えてくれました。
広大なネットに展開する二次創作の世界を知ることが出来たのも、FF10がきっかけでした。そしてオンラインでの交流を通して、大切な友人を得ることができました。
再びティーダに会いたいと願った人々のファンアートや小説に勇気づけられ、いつしか自分も拙文を書くようになっていました。

X-2はもちろん好きです。てぃだの復活を公式にしてくれたし(笑)
でもやっぱり3年たった今でも、こんなに切ないほど好きで好きでたまらないのは、FF10のあのラストシーンがあったからこそだとも思います。
三周年おめでとう!こうしてたくさんの同志と一緒に祝えることに感謝の嵐です!
三年後のスピラでは、ティーダが復活し、(X-2があってもなくても大前提なんです(笑))ユウナと一緒に仲良く暮らしているという設定で、平凡な日常の物語をあえて書いてみました。

タイトルは、インター版FFX-2ビサイドED,ティーダの台詞から。
FF10の原点に立ち返って、と意気込んだはずなのに何たる皮肉でしょう…(苦笑)


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