太陽とチョコレート



 港からルカシアターへと伸びる遊歩道。賑やかに行き交う人々に混じって、ティーダは上機嫌で石畳を歩いていた。
 心弾む理由はといったら、まずひとつめの理由として、夏だからだ。
 彼は季節の中で夏がいっとう好きだった。エネルギーが満ち溢れ、何もかもが熱を持ち、生命の息吹が活発になる。寒い間は縮こまっていたあらゆるものが開放的になり、人も例外でない。
 ぎらぎら照りつける太陽を仰ぐたび、腹の底から湧いてきた力が、体中を熱く駆け巡る気がする。
 そんな時、ああ自分も生き物なんだと実感し、わけもなく嬉しくなるのだ。
 北部に生まれた者の中には暑いだとか汗をかくだとかが煩わしいという人間もいるが、そんなことで夏を楽しまないのはもったいない。

 ことさらに夏が好きなのは、この季節に生を受けたことも多分に関係しているに違いない。占いは信じないたちだけれども、この季節に特別な活力を得られるのは、生まれついた星の宮に太陽が巡る時期だからと聞けば、なるほど占星術にも説得力のある気がしてくる。

 海洋に囲まれた都市の風が、日に焼けた頬をぬるくなでていく。
 強い日差しに焦がされたルカの空気は、涼しいとは言いがたい。けれど、熱帯に位置するビサイドのそれとはまるで違って、さらりと肌を滑る趣がある。

 心弾む理由にもうひとつ付け加えれば、キーリカ・ビーストとの連戦を制し、オーラカのリーグ優勝に王手をかけたことで、心軽く久方ぶりのオフを迎えられたことも大きな要因だろう。
 更に言えば、先日来、可愛い恋人が口の端に上らせていた話題作のロードショーがちょうど今日からだ。
 夏空と海と、白い石畳の描き出す強烈なコントラストに、ティーダは目を細めた。細めるついでに空いているほうの手でひさしを作って、港へと視線を投げた。
 汽笛を鳴らし、緩やかに出港してゆく定期船が見えた。
「あ、船」
 目に映ったままを口にしたその言葉に、さして重要な意味はない。あるとすれば、今ここで同じ時を共有する大切な人と、同じ情景を分け合うというただ一点だ。
「ほんとだ」
 微笑む声音で、ユウナが応える。他愛のない相槌によって、彼の言葉は、これ以上ないほど正しく報われた。
 ユウナは、海面を滑るように進む大型船をしばらく見つめ、それからティーダに向かって微笑みかけた。花びらがほころぶように薄紅色の唇が開き、笑みの形を作るさまが彼の双眸に飛び込んでくる。そうなればもう、ただでさえふわふわと浮き立ってしょうがない心が、そのまま蕩けて正体をなくしてしまいそうになる。
 彼の機嫌が青天井な理由。これが一番重要で、比べれば他のことはもう全てにおいて些細なことだ。
 空いてないほうの手が、可愛い恋人の手を引いていること。振り向けばすぐ、彼女のはにかんだような笑顔を独り占めできること。
 肌を焦がす日差しは、午後三時を回ってもいっこうに衰える兆しを見せなかった。きれいに磨かれた石をモザイク状に敷き詰めた遊歩道に、カーゴパンツとマキシ丈ドレスのシルエットがくっきりと落ちている。
 手をつないで歩く自分とユウナに倣い、二人一組の影法師も仲良さそうに寄り添っていて、気恥ずかしいような、くすぐったいような、思わず跳び跳ねてしまいたくなるような心持ちになる。


 ルカシアター入口に続くアーケードの途中に、小さな人だかりができていた。つい最近改装を終えたばかりの一角に、新しくスタンド形式の小店舗がオープンしたのだが、これが女性を中心に大きな評判を呼んでいるのだ。べベルではつとに有名なチョコレートの老舗が、ルカに構えた二つ目の店である。
 高級チョコレートを宝石のように納めた小さなショーケースと、気軽に寄れるドリンクスタンドを隣り合わせにした親しみやすいスタイルが、新し物が大好きなルカの若者に受け入れられ、シアター前の新名所になりつつあった。
 店へ一歩近づくごとに、ほんのりとただようカカオの芳香が鼻をくすぐる。まるで手招きをされるように、足が向く。、
 隣のユウナを見れば、彼女も甘い匂いに両の眼をうっとりと細めている。
「時間あるし、寄ってく?」
 もとよりユウナを連れて行くつもりのスポットだったし、今なら話に聞いていたほどの行列もできていない。数人が並んでいる程度だ。
 ティーダの提案に、ユウナは嬉しそうに頷いた。それほど長くはない列の最後尾に並びながら、彼女は前方のカウンターを熱心に見つめている。
「どの味にしようかな」
 迷うのも楽しいらしく、悩んじゃうな、困ったな、などと呟くユウナの表情はちっとも困った風には見えない。
「ねえ、どれがいいと思う?」
 戯れの問いかけに、戯れで返す。
「ユウナがおいしそうって思うやつ」
「だって全部おいしそうだもの」
「じゃあ最初は定番とか?」
「うーん、でも桃のフレーバーも期間限定って言われると気になるし」
「じゃあ桃にしたら?」
「でもまずは定番も飲んでみたいし、ああ、どうしようかな。どうしたらいいと思う?」
 欲張りな悩みに、思わず吹き出しそうになる。
 腕を組んで考えこむポーズを作った恋人の表情は、随分と嬉しそうだ。別に決められないわけでなく、単純に堂々巡りの迷宮で遊ぶのが楽しいのだ。だから彼女の楽しみに水を差すようなことはせず、彼は淡々と自分のオーダーを決めた。ことさらに甘いものが苦手なわけではなかったが、ガラスケースに並んだドリンクの見本は、どれもガガゼト山のような生クリームに加えたっぷりのチョコレートシロップがけという気合の入りようだ。そのデコラティブな飲み物に太いストローを挿して実際に飲んでいる…というか、半ば食すといったほうが適切かもしれない…周囲の客を観察するに、やはり随分と甘そうに見えたのだ。
 それならばと採った選択は、少しでも甘さが控えめであろうものを選ぶという単純な消去法だった。
「オレ、ビターにする」
 そんな会話をしているうちに、順番は二人のところまであと一組に迫っていた。有名店の売り子とあって、スタンドカフェ形式の小さな空間で働く女性店員達は、てきぱきと気持ちの良い動きだった。無駄のない所作で連携し、手際よく客をさばいていく。
「いらっしゃいませ!」
 さほど待たされないうちに、カウンター越しのにこやかな笑顔が、二人を出迎えた。
「ビターひとつと…」
「期間限定のピーチをひとつください」
 ティーダの目配せに促され、ユウナはすらすらとオーダーを続けた。まるで最初から示し合わせていたといわんばかりで、あんなにあれこれ迷っていたのがウソのようだ。シェアを前提としたに違いない選択に、知らず頬を緩めながら、彼は尻ポケットからレザーウォレットを取り出した。



 シアター入口に程近い場所で、二人はベンチに並んで腰を下した。ドリンクチョコレートのストローに口をつけ、こくりと一口飲み下したユウナが、ため息のような声で呟いた。
「おいしい…」
 その夢見心地のような笑顔に見とれながら、ティーダもストローを口にくわえて吸い上げ、
「あまッ…!」
 驚愕の甘さに、思わず本音が飛び出した。
 高級チョコレートの豊かな香りと上品な滑らかさ、ひんやりと冷たく心地よい舌触り、のど越しのよさ、胸のすくような涼感。文句なしに贅沢な一品だ。人気があるのも頷ける。
 しかし、いかんせん甘い。とにかく甘い。
 冷たさに舌が鈍っているおかげで気にはならないが、含まれる砂糖の量を想像すると、腹筋を1セット余分にしようと思える程度には充分に甘い。
「ビターでも、そんなに甘いの?」
 ユウナは小首を傾げて微笑みながら、手にした桃色のカップを差し出した。ごく当たり前のような流れでお互いのドリンクを交換し、ユウナはビターとは名ばかりのスイーツに口をつけた。
 ティーダの受け取ったピーチフレーバーのチョコレートドリンクは、ほのかな酸味が加わっていたものの、これもまた存分に甘かった。
 そしてまた、彼女は左右色違いの愛らしい眦を下げて、『おいしい』の賛辞を繰り返したのだった。


 
「ビターもピーチもおいしかったね」
 恋人の満足そうな笑顔に自分の心も満ち足りるのを感じながら、ティーダは頷いた。ただ心配なのは、これでもかというくらいふんだんにチョコレートを使ったドリンクは、確かに美味だったがこのあと胸焼けを起こさないか、という一点だ。
 けれども、この幸せそうな顔が見られるなら、もう一度といわず何度でも寄ろうかという気になっているあたり、どうにも自分が救いがたく思えてくる。
「次は、ミルクショコラ飲んでみたいな」
「そんなに気に入ったんなら、また来よう」
 恋人の無邪気なおねだりに、ティーダは声を立てて笑いながら請合った。
 ホワイトチョコレートよりは抹茶のほうが、まだ甘さが控えめだろうか、などと考えながら。

 あれもしたい、これもしたいという希望をたくさん並べて選択に迷うことは、何て楽しいことなんだろう。

 思えば、旅をしていた頃は負の選択を迫られることの連続だった。地に伏し苦渋と辛酸を舐めるがごとくの決断を迫られ、選択肢が減るほど辛さは増した。
 最後など、選択肢すらなかった。あるがままひとつの真実を、受け入れざるを得なかったのだ。
 ユウナも、オレも。

 けれども、それだからこそ今がある。
 明日が、皆に等しく当たり前のようにやって来る世界で、大切な人と『次』を語ることのできる、幸せな今が。

 はふ、と小さな息を吐いて目頭の熱をどうにかやり過ごし、ティーダはアーケードの天井画を眺めた。竣工して間もないこの建造物の天井には、エボンの教えに代わる新しい宇宙観に基づいた画が余すところなく描かれている。
 その中央には、金の炎をまとい、世をあまねく照らす太陽。宇宙に浮かぶスピラとその上に暮らす生命を照らし育むのは、神エボンではなく自らを燃やす天体だ。

 隣のユウナが、右腕にそっと自分の腕を絡めてきた。まるで彼の心に寄り添うように。言葉にせずとも構わないと、そっと囁くかわりに。
 瞳を合わせれば、曇りのない、青と緑のまなざしに、そっと視線を絡めとられる。
 愛しい人の柔らかな肌が、何よりも確かに、生きている証をくれる。



 世界にただ一人の愛しい人と共に、その未来を信じ、約束を重ねて結ぶのだ。
 微笑んで見つめ合った二人は、今、ドリンクチョコレート全制覇に向けた小さな野望を胸に、今度は悪戯っぽい笑みを交したのだった。


[FIN]
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過ぎ行く夏に寄せて。
おもくそ季節外したそれ以前に、更新久しぶり過ぎて文章の書き方すら忘れている今更感。

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