Sweetness


 …お腹すいた。
 醒め切らない頭で、ユウナはぼんやりと考えた。
 日はもう高いと見えて、締め切られた遮光カーテンの隙間から、まぶしい光が一筋差し込んでいる。
 どれくらい眠っていたのだろう。昨晩熱を出して、夕飯もとらずに床に入った。遅く帰った彼が大騒ぎをして氷枕を当ててくれたことは覚えているけれど、その後は夢も見ずにぐっすり寝てしまった。
 十分な睡眠を得て、だいぶ楽になったけれど、まだのどの奥がひりひりしていて、唾を飲み込むと異物感に似た痛みがある。

 だるさを持て余したままの体には、まだ起き出すだけの活力が涌いて来ず、ユウナは僅かに寝返りをうって鼻先をシーツに押し付けた。。
 このまま、また眠ってしまおうか。全身を包む寝具の温かさに身を任せていた彼女の耳に、ドアノブの回る小さな音が届いた。
 そっとドアの開く気配の後、今度は囁くような声。
「ユウナ、起きてる?」
 とろとろと再びまどろみかけていたユウナは、半ば夢見心地で愛しい人の呼びかけを聞いた。
 頭を起こそうとしたものの、毛布とシーツに挟まれた体は自分のものでないみたいに重くて、首を動かすのも億劫だった。
 足音を忍ばせて入って来たティーダが、ベッドの傍らに膝をついた。額に触れた手が、ひんやりと冷たく心地いい。
 ユウナが重い瞼を開くと、覗き込んでいる彼と目が合った。
「熱は下がったみたいだな」
 彼がほっと息を吐いた。海原に日が差すように、瞳の青がふっと明るさを取り戻す。
「ごめんな。帰りが遅かったせいで、ついててやれなくて」
 もっと早く帰ってきてれば…と続けた声はかわいそうなくらいに沈んでいて、何だか慌ててしまう。
「キミのせいじゃないよ」
 できるだけ元気に言って安心させたかったのだけれど、口から出た声は随分としゃがれていて、少しだけ落ちこむ。ティーダはくしゃっと笑ってユウナの前髪をすいた。
「何か少し腹に入れたほうがいいな。お粥、食べられる?」
「…うん」
「じゃあ、用意してくるから待ってろよ」
 ユウナは頷いた。
 無用の遠慮は美徳でも何でもないことを二人一緒に暮らすうちに学んできた。歯に衣着せない恋人に言わせると、その点ではまだまだ修行が足りないらしいけれど。
 何より小難しいことは抜きにして、今は甘やかされたい。そんな気分だった。
 彼も同じ気持ちでいると思うのは、うぬぼれでなく経験から教わった真実だ。

 ユウナの経験則は今回も狙いを過たず、いそいそとキッチンへ向かったティーダが時を置かずに戻ってきた。
「はい、お待ちどおさま。本日の自信作ッス」
 ほんの少しおどけた仕草で、ティーダは捧げ持ったトレイをサイドテーブルに置いた。煮込んだ野菜の甘い匂いがユウナの鼻をくすぐる。
 彼は湯気の立つお椀を左手に、スプーンを右手に持った。差し出された器の中身を覗き込んだユウナは、軽く目を見張った。
 スープ粥にたっぷりと入った玉ねぎ、人参、香草…野菜は全て、不揃いなみじん切りだった。消化のいいようにと頑張ってくれたのに違いないが、普段彼が見せる大胆としか言いようのない包丁さばきからは想像もできないというか、意外というか。
 そして、彼女は目撃してしまった。糸底を支える彼の左手人差し指に絆創膏が巻かれているのを。
 慣れない作業を急いだ代償に違いない。
「頑張りすぎて、指も一緒に切っちゃった?」
 手元をずばりと指差さすと、ティーダはあからさまにぎくりとした。図星だったらしい。
 ばつの悪そうな恋人の顔がおかしくて笑い出しそうになるのを、彼女は慌ててこらえた。
 口元を両手で押さえたものの、吹き出したのは、しっかりばれていたようで、たちまち彼の片眉が跳ね上がる。
「あーっ!そこ笑うとこじゃないし!」
 ティーダは頬を膨らませて抗議しながら、お椀の中身をかき混ぜた。
「変なもんは混じってないッスよ。…多分」
 冗談交じりに請合ってから、持ち上げたスプーンを二度ほど吹いて冷まし、唇で温度を確かめる。
 そのまま彼はそれをユウナの口元まで運んだ。面食らっている様子にお構いなく、満面の笑みを添えて促す。
「はい、あーん」
「…自分で食べられるよ」
 ベッドの住人のささやかな主張を一蹴して、ティーダが再びにっこり笑った。
「ダメ。オレの真面目な苦労を笑ったバツ」
 否を言わさぬ勢いと、無敵の笑顔についつい流される。どぎまぎしながら開けた口にスプーンを差し込まれる。
 頬の辺りが急に熱くなったのは、発熱のためでも、口にした食物のせいでもない。
「どう、おいしい?」
 優しい声で尋ねられて、ユウナはこっくり頷いた。舌に乗った、とろけるような野菜の滋味が口に広がり、喉を苦もなく滑り落ちていく。

…甘い。

 ユウナの口元は自然と綻び、彼の運んでくれる次の一さじを求めて開いた。


[FIN]





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うちのティーダはそこそこ料理できる設定ですが、いわゆる”男の料理”というか、食えればいいって感じというか、焼くだの炒めるだのが中心で、包丁さばきも含めかなーり大雑把だろうと妄想してます。
そんな豪放な太陽が、ユウナのためにちまちまとみじん切りに挑戦する姿を思い浮かべたら思わず萌えたという(主に自分が)
しかし「あーん」のくだりは完全に奴の暴走の産物です。転んでもただで起きないとはさすがエース(ぇ)


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