Just Beside You

 ユウナが熱を出してから二日目になる。召喚士としての力は旅を通して充分に開花しているはずだった。けれども忘れられた寺院での祈り子との交感は、一同の想像以上に彼女に負担を強いたらしい。

 リュックは急いでいた。軽快な靴音を響かせて、飛空挺の廊下を駆けて行く。ミーティングルームから出てきたティーダが、彼女の姿を見つけて声をかけた。
「ユウナの具合、どう?」
「熱と咳がひどくって。」
いつもは快活なエメラルドの瞳が、心配げに曇る。
「今、薬を届けに行くとこ。」
「そっか…」
少しためらった後、少年は用件を切り出した。
「あのさ。ユウナの見舞いに行くのって、だめッスか?」
「えーっ。部屋にかぁ…」
アルベドの少女は眉を寄せてしばらく考え込んでいたが、
「でも、ユウナは今キミと会いたいかもね。」
と、半分独り言のようにつぶやいた。
「大丈夫かどうか、あたし聞いたげる。とりあえず、部屋まで行こう。」



「こら。女のコの部屋、覗くんじゃないの!」
 中の様子をうかがおうとするティーダに肘鉄を食らわすと、リュックは部屋に入っていった。頭を掻きつつ待つ少年に、中から声がかかる。どうやら入室許可が出たらしい。
 ドアが開くと、戸口にルールーが立っていた。
「手短かにね。」
 うなずいてからベッド脇に歩み寄る。召喚士の少女はベッドの上に体を起こすと弱々しい笑みを彼に向けた。
「風邪みたいなの。心配かけてごめんね。」
 顔色が青く、肩で息をしている。相当辛いのだろう。
  …かえって無理させちゃうとやばいッス。早々に退散しなくちゃ。
「無理すんなよ。具合悪いときはゆっくり休んだほうがいいって。」
 そう声をかけた矢先、ユウナは激しく咳き込みだした。ベッドサイドにひざまずいて背中をさすってやるが、咳はなかなか止まらなかった。
「ぐっ…。」
 彼女が口を押さえた次の瞬間、けぽっという小さな音がした。
 両手の指の間から溢れ出た液体は、とっさに差し出した少年の両手の中にわだかまった。リュックが容器とタオルを手にあわてて駆け寄り、手際よく介抱を始める。
「!ごめんっ…手…」
 今にも泣き出しそうに顔をゆがめるユウナ。
「いいから吐いちゃえよ。苦しいだろ?」
 ティーダは、小さな肩を震わせて苦しむ少女を必死になってなだめながら、自分の無力を噛み締めていた。代われるものなら代わってやりたいくらいだったけれども、それは無理というものだ。今更ながら自分の浅はかな思いつきが悔やまれた。
  
「ティーダ、こっちへ。」
 ルールーが、肩越しにそっと声をかけた。振り向いた彼の、両の掌をタオルで拭う。
「後は私たちに任せて。」
 隻眼が、これ以上病人に無理をさせるなと訴えている。異存があるはずもなかった。
「邪魔してごめん!早く良くなれよ。」
 できるだけ明るい声になるように気をつけながら退室の挨拶をする。ユウナが何か言いかけたような気がしたけれど、彼は足早に部屋を出た。



 昼食後、男性陣は各自自由行動となった。自由行動といえば聞こえはいいがその実、剣の手入れ、装備の確認と、地味で面倒な作業が目白押しだ。ティーダにとっても忙しい時間が続いたけれど、ユウナのことが気になるあまり上の空というのが正直なところだった。
 アイテムの買出しの時、左腕のプロテクターをを外していることをリンに指摘されて、ようやく彼はつけ置きしたままの洗濯物を思い出した。
 ランドリールームでグローブを洗濯機に放り込んでいると、艶のあるアルトが少年の名をを呼んだ。
「ちょっといい?」
 ルールーだ。
…朝の一件で、怒られるのかな。
なんとなく身構えながら振り向くと、彼女は意外な一言を口にした。
「ユウナに会いに行ってやってくれない?」
「…もちろんいいッスけど。具合、大丈夫なんすか?」
 本人の体が、何より心配だ。
「一眠りして、大分落ち着いたみたい。薬が効いてきたのかしらね。」
 日焼けした顔に安堵の色を浮かべた少年に、先輩ガードは言葉を継いだ。
「あんたの手を汚しちゃったの、謝りたいっていうんだけど…」
「何で?謝るようなことじゃないのに。」
 美しく縁取られた唇に苦笑を浮かべて、ルールーは彼の疑問に応じた。
「乙女心を理解なさい、少年。」
 そして意味深な表情で、こう続けた。
「若いっていいものよね。」
「なーんスか、それ?」
 …おばさんくさい、と続けそうになって、ティーダはあわてて言葉を飲み込んだ。女性、特に目の前の彼女には、言葉を選ぶべきだ。本気で怒らせたら最後、どんな恐ろしいことになるか分からない。
「じゃあ、頼んだわよ。」
 立ち去る姿をぼけっと見送りながら、彼はいつもの癖で金髪の頭を掻いた。                       


 部屋の前で深呼吸を一つすると、ティーダはドアをノックする。入室を促すユウナの声がした。
 少女はベッドの上で、重ねた枕に背を預けていた。顔色には幾分赤みが戻っていて、彼ををほっとさせた。
「ちょっとは楽になった?」
 少年の問いに、笑顔が返った。
「うん。咳が大分楽になったの。」
 言いながらティーダの左腕を見つめる。プロテクターを外しているところを見るのは初めてだ。パーカーの袖からすんなり伸びた、焼け残ってほんの幾分か白い腕。想像していたよりずっと長い指先に健康そうな桜色の爪が光っている。何故だか心臓がスキップするのを感じながら、彼女は次の言葉を捜した。
「…手、汚しちゃってごめんね。」
「謝るようなことじゃないッスよ。」
「でも、みっともないとこ見せちゃったし…」
 しょんぼりと目を伏せる。栗色の髪が落ちかかり、少女の表情を隠した。
「全然!」
 ティーダはベッドに腰掛け、オーバーアクションで答えた。
「気、許してもらったって言うか…頼ってもらえたみたいで嬉しいッス。」
 ユウナはやっと顔を上げた。潤んだ瞳に笑みが戻る。
 泉からそっと引き上げたように濡れて輝く蒼と碧の宝石…その光に吸い込まれるように、彼は両手を差し伸べ、少女の頬にそっと触れた。
 いつでも自分を守ってくれる力強い手。大きくて精悍な掌は、熱を持った頬にひんやりと心地よかった。愛しさをこめて自分の手を重ねる。引き寄せられ、彼女は瞳を閉じた。
 唇に、羽根のように軽いキスが舞い降りる。
「……ダメだよ…」
 甘い余韻に身を委ねながらも、再び顔を近づける彼に弱々しく抗う。  
「……いや?」
 意地悪なからかいに、ユウナは耳まで真紅に染まった。
「だって、風邪、うつっちゃう。」
「うつせよ。」
 ティーダはとろけるような笑顔で囁いた。
「風邪って、誰かにうつすと早く治るんだってさ。」


                    

「ふえっくしょん!!」
 ナギ平原に、派手なくしゃみの音が響き渡った。鼻をすすり上げるティーダに、アーロンが無慈悲な一言を投げる。
「馬鹿は風邪をひかん筈なんだがな。」
「ひっでー言いぐさ!」
「それともセルフコントロールが足りんのか?」
 先輩に痛いところを衝かれ、後輩ガードは曖昧に笑ってごまかした。
 すっかり元気になったユウナが、すまなさそうな顔をこちらに向けている。ちらっと目くばせすると、陽気なエースは澄ましてそっぽを向いた。
「さあ、今日も張り切っていくッスよ〜!!」
 一行の旅の再開を祝うかのように、抜けるような青空がどこまでも広がっていた。


     −FIN−

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