あおいとりにげた

 食料品を買い求める目的で、アーロンと出かけた。

 ザナルカンドは、今日も活気にあふれていた。
 朝から晩まで賑やかなこの街の大人は、一体いつ眠っているのだろうと、ティーダは思う。

 店までの道すがら、街灯の柱に貼られたポスターが目に入った。彼はふと気になって、そこで足を止めた。
 五日ほど前から近所で見かけるようになった張り紙には、迷子の鳥を探す内容と飼い主の連絡先が載っている。写真の中では、青い小鳥が、かわいらしく小首を傾げていた。
 ティーダは、前を行く保護者を大声で呼んだ。
 
 雑踏を往く人々は、ポスターも、その前の少年も気にかけることなく、忙しく歩き過ぎる。無関心な群集の中で、緋色の外套をまとった背中が、緩慢に立ち止まった

「えーと、さ が し て い ま す …」
 面倒くさそうに向けられた一瞥に構わず、ティーダはたどたどしい調子で鳥の特徴を読み上げ始めた。男は小さく肩をすくめ、半歩向き直った。そして、ポスターと睨めっこしている少年を、サングラス越しに眺めた。

 夏の強い日差しにさらされたせいか、”探しています”と大きく書かれた見出しも、写真の下にびっしりと並んだ細かな文字も、もうほんのりと色褪せている。
「無事に見つかるといいな」
 そう締めくくって、ティーダは空を仰いだ。もしかしたら近くを飛んでいるのではないかという期待を持ったのだ。
 飼い主にしたら、きっと寂しいだろう。小鳥のことが心配だろう。せめて元気なのが分かれば安心するだろう。
 しかし、摩天楼に削られて半分になった空には、薄い雲がたなびくばかりで、それらしき姿は影も形もない。少年の抱いた素朴な望みをあっさりと裏切って、青く霞んでいる。

───やっぱり、いないよな。
 虫のいい期待だったことに気づいて、ティーダは頭をかいた。アーロンの投げて寄越す視線から逃げるように、写真の小鳥を見つめた。
「それにしても、何で逃げたんだろ。狭いカゴを抜け出して、広い空を飛んでみたかったのかな」
 疑問の形を呈してはいたが、いつしか少年は、空に憧れる鳥の姿を脳裏に描くことに没頭していた。

 今でも忘れられない。母が病床にあった頃、近所のおばさんが話したこと。
 つがいの小鳥は、どちらかが死んでしまうと残った一羽も後を追うように死んでしまうと…
 海で遭難したまま帰らない男を待ちわびて、ついには儚くなってしまった母。その姿が、カゴの中で弱っていく小鳥に重なる。

 死んでしまうくらいならいっそ、カゴから抜け出して広い世界へ飛び出してみればよかったのに。
 そしたら元気になれたかもしれないのに。新しい友達ができたかもしれないのに。

 子どもの羽ばたかせる想像の翼は、無限の可能性と同義だ。しかし彼の無邪気な夢想は、現実の壁にぶつかって、シャボン玉のようにあえなくつぶれた。
 アーロンの言葉は、しごくまっとうだった。それだけに面白みの欠片もなかった。
「飼い鳥は、かごの外では生きられん。ネコやカラスに襲われて喰われるのが関の山だ」
 それを聞いたとたん、子どもっぽい反感が頭をもたげ、ティーダはむきになって言い返した。
「ふんだ。そんなこと、わざわざ言わなくたっていいのに。アーロンの意地悪!ニンピニン!レイケツカン!」
 ほんとは言われなくても分かっている。子どもだってそれくらい気づいている。
 けれども、手の届かないところへ飛んで行ってしまったのなら、せめてどこかで幸せであってくれなければ、やりきれない。
 無力な者にとって、儚い命のためにできることは、祈ることくらいしか、無い。

 せいいっぱいの虚勢を張って睨みつけた先、不意に隻眼の光が緩んだ。
 空に馳せた瞳は、黒いレンズを通して、どこか遠い場所を懐かしんでいるようにも見えた。

「夢や幻の話は嫌いなんでな」
 そう零したアーロンの低い声は、寂しさとも自嘲ともつかぬ響きがあり、ティーダは、はっと息を呑んだ。
 冷厳ではあっても冷酷ではないこの男に、奇妙な安心感を覚えるのは、こんな時だった。
 例えて言うなら、同じ痛みを分け合うような。
 涙をこらえているのは、お前だけではないと諭されるような。
 慰めでも説教でもなく、ただ、泣きじゃくったあの日の記憶ごと包んでくれる掌の温かさに似た。

 少年は知る由もなかったが、彼もまた遺された者。己の無力を悔い、無限の可能性を希うひとりだ。

「お前は、かごの鳥には、なるな」
 男の言葉は、あまりに唐突で、ティーダは大きな目をさらに丸くした。
「はあ?何だよ急に」
「言葉通りだ。いずれ分かる」
 噛み付いてはみても、彼の返答はまるで禅問答のように曖昧だった。もはや一瞥もくれず、男が再び歩き出したのを見て、ティーダはしぶしぶ従った。

 日没近い歩道に落ちる小さな影法師。それが大きな影法師の隣に並び、仲良く揃って伸びていった。

[FIN]
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同じひとつの出来事を、両者の視点から眺めたら…書いてる本人は楽しかったのですが、ちょっと貧乏くさい根性が全くなかったとは、うん、言わない。

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