ガガゼトより下山した二人の男達には、夜明けを迎えんとするナギ平原が広がっていた。一人は壮年の召喚士、いま一人は太刀を帯びた年若いガード。彼らは聖地で究極召喚を得て、いよいよ最後の決戦へ臨もうとしていた。





黎明








 決戦地となる平原は、今日という日の最初に生まれた光に照らされて黄金色に染まっていた。
「ビサイドでした約束を、覚えているかな」
 召喚士ブラスカに尋ねられ、傍に控えていたアーロンが応じた。
「もちろん。この命に代えても果たして見せます」
「それを聞いて安心した。ユウナを頼むよ」
 ガードが気負って請合うのを、召喚士は柔和な微笑みで頷いた。この義理堅く生真面目な青年は、旅の始まりからここまで、本当に律儀に務めを果たしてきた。

 ややあって聞こえた呟きに、アーロンは、はっと胸を突かれた。
「アーロン、すまない」
 不意に洩らされた言葉に、彼はブラスカの横顔を訝しげに見つめた。
「何故、謝るんです?」
「許して欲しい」
 シンの爪痕残る広大な地を見つめたまま、召喚士の告白は続いた。
「私の苦しみは、せいぜいあと数日もしないうちに終わる。それなのに、お前には後の面倒を全て押し付けてしまうね」
「ブラスカ様」
「私は、皆から思われているほどご立派な人間じゃない。むしろどうしようもない利己主義者なんだよ」
「ブラスカ様」
 困惑のままに、アーロンは主の名前をただ繰り返した。
「ジェクトは、家族のいる故郷に帰りたがっていたんだ。それなのに、私が彼をスピラに留め、全ての業を背負わせてしまった」
 帰りたくても、どうせ帰る方法は無かった。しょうがなかった。胸に渦巻く行き場の無い想いは、しかし、まるで言葉にならず、若者は凍りついたように立ち尽くすしかなかった。
 荒れ狂うこの衝動は、強いて言うなら怒りに近い。しかしこのやるせない感情をどこにぶつければいいのか、答えが見つからない。
 もとよりブラスカに非のあるはずも無い。この世界はどこか歪んでいるのではないか、そんな気がしてならなかった。自己犠牲の尊さを説く美しい女神の姿が頭をかすめた瞬間、何故か彼は、吐き気がするほどの嫌悪を覚えた。
 青年の声なき叫びに構わず、ブラスカは淡々と語った。
「スピラを救いたいなんて、体のいいお題目に過ぎない。私は娘のためにナギ節を作りたいだけなんだ。たかだか数年しか保たないかもしれない平和をユウナに過ごさせたいばかりに、私は…」

──ジェクトを犠牲にしたんだ。

「やめてください!」
 搾り出されるようにして出た召喚士の言葉は、ガードの叫びにかき消された。
 誰でもない、たった一人のためだけに平和を望んで何がいけない?
 大切な娘を守るために命さえも投げ出すと誓ったこの人を、誰が責められる?
 それが罪だというならば、遺される恐ろしさに脅え、この期に及んでまだこの人に死んで欲しくないと願い焦がれる自分の気持ちを、何と呼べばいい?

「ジェクトは、自分の意志で道を選んだんだ。奴だって、ユウナを死なせたくない気持ちは一緒でした。いや、一緒なんです」
 暗い廟の奥底に遺してきたガードの、最後の笑顔が胸を焼いた。
 同じ親だからこそ、彼はブラスカの悲願のために、祈り子になることを自ら望んだのだ。ここで迷えば、無限の可能性にかけてみると言い放った男の覚悟を否定することになる。

「俺だってそうです。あの子に、平和なスピラで育って欲しい」
 彫像のように微動だにしない男の横顔に向かって、青年は拳を握り締めたまま切々と訴えた。その生命と引き換えにナギ節を作り出す召喚士の、その崇高な魂を、例え自らであっても汚せるものではない。
「あなたの思いがどうあれ、あなたがシンを倒すことでスピラ中が救われることに変わりはないんです。あなたが俺の敬愛する召喚士であることにも変わりない」
 射抜くようなアーロンの視線を黙って受け止めていた主は、しばしの瞑目を経て晴れやかな笑みを見せた。
「すまなかった、アーロン。ここに来て迷うところだったよ」
 その穏やかな口調の揺るぎない力強さに、彼はブラスカの心が静謐を取り戻したのを悟った。
「お前は、私には過ぎたガード、いや、友だ」
 微笑を向けられて、青年の重く塞いだ胸に小さな明かりが灯った。
「遅きに過ぎる感もあるが、これからは、私のことをブラスカと呼んでくれ」
「はい。では行きましょう、ブラスカ」
 大きく頷いた彼は、太刀の柄を握り締めた。
「最後まで、お守りします」

 究極召喚という名の、友が繋いだ細く僅かな希望の光。しかしそれが正しい道を照らしているのか、答えを得る術が無い。
 それでも今は進むしかないのだ。
 暁の光満ちる広野へと、召喚士は歩み始めた。半歩遅れて、寄り添うようにガードが続く。

 
 今の二人には知る由もなかった。スピラを救う唯一の方法だと信じたものが、全くのまやかしであったことを。生きながら石像に封じられた友の魂が、やがて惨たらしい螺旋の中心に据えられてしまうことを。











 霊峰から吹き降ろす一陣の風が、伝説のガードと呼ばれる男の、緋色の裳裾をはためかせた。
「どうした?アーロン。ボケるにはまだ早いって」
 作戦の立案を皆に任せ、空を削る山並みを見はるかすうち、いつの間にか物思いに沈んでいたらしい。
 シンに「歌」を聞かせる作戦を実行に移すため、飛空挺はナギ平原に停泊して準備を整えていた。先程まで作戦の具体案を話し合っていたティーダがやって来て、碧空の色をした瞳をこちらに向けている。
 呼びかけたこの少年は、友の忘れ形見だ。いや、正確に言えば死んではいない。破壊と死の中心で、我々の来訪を今も待っている。
「考え事、してたのか」
 問いとも確認ともつかないティーダの言葉に、アーロンが僅かな頷きで応じ、平原の一角を指差した。
「先回の旅を思い出してな。ブラスカの最後を見届けたのが、あの辺りだ」
「ユウナの、親父さん…」
 無骨な指が示す先には、地面に突き刺さった巨大な岩肌が、鈍い灰色にその背を光らせている。
 大召喚士が最後を迎える様を、ティーダは黙って聞いていた。ユウナと共に異界を訪れたときに、ブラスカを見たと話していた。そのときの姿を思い浮かべているのだろうか。 少年の優しい面立ちに浮かんだ表情は、凪いだ海のように静かだった。
 彼は聞き終えると、僅かの間黙って何事かを考えていた。そしてもらした一言は、少々突飛とも思えるものだった。
「あんた、最近おしゃべりになったな」
「…悪かったな」
「あー、色々話してくれるようになったな…と思って」
 隻眼にねめつけられて、彼は、照れ隠しの常で、頭に手をやりながら釈明を試みた。面映げに言葉を補う、その口ぶりからは、男に対する感謝と信頼の念が溢れている。だから男も、ごく率直にその理由を答えてやった。
「もう何も隠すことがない。何もかも話して手の内は全部見せたから、気楽なものだ」
「どーだか。まだ隠し事だらけなんじゃないの〜?」
 この期に及んで可愛げのない台詞を口にしながら、少年の顔はどこか嬉しそうだった。

「だけど、前の旅も相当大変だったんだろうな。何たって、オヤジと一緒じゃな」
 日に焼けた腕を組んだまま、くっくっとティーダが肩を揺らす。能天気な感想に、アーロンは唇を引きゆがめ、容赦なく切り返した。
「今度の旅のほうが、よほどきつかった。ひとつ教えてやるたびに泣きわめかれる俺の身にもなってみろ」
「誰が泣いたんだっつーの」
 気色ばんで言い返したところへ、アーロンはふっと小さく笑った。。
「泣かれると、意外と困るだろう?」
「んぁ?」
 向けられた笑みがあまりに素朴なものだったので、ティーダは虚をつかれてぽかんと口を開けた。言葉は不思議な程に心にすとんと落ちて、それが皮肉でなく、むしろ限りなく男の本音に近いことを感じた。
 呆けたように黙り込んでしまった少年の頬は、心なしか赤い。一方、アーロンの表情は、いつの間にか人の悪い笑みに変化していた。
「何だ。何か心当たりがあるのか」
 とぼけたように尋ねられて、ティーダは慌てた。ユウナと過ごした泉でのひと時が脳裏をよぎったが、もちろんそれを悟られる訳にはいかない。この辣腕で抜け目ない男は、どこで何を掴んでいるか分かったものではないが、誤魔化しと逃げの一手を決め込むしかないだろう。
 焦りが熱に変わり、頬に集まるのが、自分でも分かった。
「まあ深くは追求せんが。俺の苦労が少しは分かったろう」
 ティーダの反応を面白がるかのように眺めながら、ぬけぬけとアーロンがうそぶいた。
 隠しごとが苦手で、思っていることが全部顔に出てしまう所は、ザナルカンドにいた頃から相変わらずと見えた。あの夜以来、この少年とブラスカの娘との間に生まれた変化については、男女の機微に疎いと自覚する彼にさえはっきりと見てとれたし、二人を一層成長させる好ましいものとして映ってもいた。
 こういう類の話は、静かに見守るのが一番なのだろうが、からかってみたくなるのが人情というものだ。からかい甲斐のある相手なら尚更だ。この時ばかりは、ジェクトの気持ちが分かるような気がした。
「おっさん、うるさい」
 負け惜しみにしか聞こえないのを承知で言い返すのも、悔しげな上目遣いも、分が悪くなると横を向くところも幼い頃から変わっていない。性格悪いよなあ…と、こっそりぼやくところまで。
 けれども彼は、スピラでの旅を通して、見違えるほどに大きく逞しくなった。
 
 友との約束に従い、ずっと見守ってきた。少年が自分の意志で未来を選び、走り出した今、己に出来ることは決着を見届けることだけ。
 
 舌鋒の応酬を半ばじゃれ合うように交わし、声を上げて笑う。アーロンには、少年とこんな風に会話を楽しんだのが、随分と久しぶりに感じられた。真実を次の時代へと手渡したことで、肩の荷が降ろせたせいかもしれない。けれども、それはすなわち自分達の犯した過ちを、この少年に、次代を担う者達にあがなわせることを意味する。

──すまん。

 そう言いかけて、アーロンは言葉を押しとどめた。それでは、友ブラスカと同じ轍を踏んでしまう。自らの道を見定め懊悩と闘う少年の覚悟を知っていればこそ、言ってはならない一言だった。誰にも、替わってやることも分かち合うことも出来ない。
 迷ってはいけない。これは、彼の物語だ。

「行こう、アーロン」
 唇の端に笑みを刷いた少年が、父親譲りの勝気な視線を彼に向けた。
「作戦、決まったんだ」
 向こうでは、佇む皆が揃って二人を待っていた。微笑んで手を振るのは、かつて友が、そして目の前の少年が、己が存在をかけて守ると決めた少女。

 大きく手を挙げ振り返すティーダに続いて、アーロンは歩みを仲間へと向けた。
 頼もしげな少年の背が、いつかの黎明の光景に重なって見えた。
 しかし、あの時とは違う。
 偽りの安らぎを捨て、螺旋の奴隷であることをやめた今、目の前に横たわるのは、まっさらの未来。それは不確かで、だからこそ無限の可能性に満ちている。

 物語を見届けねばなるまい。新しい希望の光が、友を救うその時を。







[FIN]
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祝!6周年…の割には、テーマが微妙すぎる。(涙)しかも仔ユウナ萌えから派生した一品だったのに、見る影もなし。
もっとティユウしたかったのですが、アーロン視点から眺めると、どうしても色気が希薄に。
シチュとしては、ボーコレの11番でアーロンが異界と交信してる辺りです。ティーダ達は一生懸命シンを倒す相談してるのに、アーロン一人で怖い語りしてるんですよね。(笑)

ジェクユウも、またいつか…!(思い切り私信風味)


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