半月の夜に

 どこかでお腹が鳴る音を聞いて、ティーダは目を覚ました。鉱物の様な樹木のシルエットに切り取られた星空が見える。
 ここはマカラーニャの森。探索が長引いて、今夜は野営を試みたのだった。幸いなことに今のところ魔物の襲撃は無く、召喚士の一行は持っていた食料で夕食を済ませ、つかの間の眠りに身をゆだねていた。
 首をめぐらすと、焚き火に照らされたワッカの背中が見えた。よく寝ているらしく、高いびきをかいている。横になるユウナの傍らで、キマリは座ったまま休息をとっていた。リュックの今夜の寝床らしい木の幹にもたれかかって座るアーロンの姿もあった。
 再びグーッという音がした。自分のへその辺りだ。どうやらお腹が空いて目が覚めてしまったらしい。
 そっと起き上がって月の場所を確かめた。見張り交代の時間にはまだ早いけれど、寝直すほどには残っていない。立ち上がって伸びをすると、彼は長剣を片手に見張りの場所へと向かった。


「どうしたの。まだ時間じゃないわよ。」
 漆黒の闇をまとった魔道士は、ティーダが近づくのに気づいて声をかけた。
「寝られるときに寝ておかなくては、いざというときに動けないわ。」
 相変わらず手厳しい口調に、少年は頭をかいた。
「だって、腹減っちゃってさ。」
「あれだけ食べたのに、まだ足りないの?」
「育ち盛りっすから。」
 確かに非常用の携帯食料では、必要な栄養は取れても食べる楽しみや満腹感を得るには程遠い。健康なティーンエイジャーの主張に、ルールーは小さく吹き出した。
 

 佇む彼女の傍らに腰を下ろすと、テイーダが口を開いた。
「なあ。次のマラカーニャってさあ。」
「…マカラーニャ!」
 言いかけた言葉を先輩ガードがぴしゃりと訂正した。
「そうそう、そのマカラーニャって所にシーモアって奴もいるんだろ?何か気に入らないんだよな。」
 不敵にも、エボンの老師を呼び捨てどころか奴呼ばわりする少年に、彼女はあきれたといった風に首を振った。。
「結婚の話が引っかかってるわけ?」
「だってさ。」
 納得できないといった様子でティーダは続けた。
「シンを倒せば旅は終わる訳だから、その後はユウナ自身の人生だろ?」
「あの子の望みは、スピラにナギ節をもたらすこと。ただそれだけよ。」
 ルールーの口調はあくまで静かだった。
「私たちにできるのは見守ることだけなのよ…」
 沈黙の中で、彼はまた例の違和感を覚えた。自分の認識と、スピラの人々のそれとの間には、まだ何か大きなずれがあるような気がする。
  アーロンは何故、旅にあんなにこだわり、先を急ぐのだろう。
  召喚士の覚悟って、結婚なんて大事なものまで霞んじゃうほど重いものなんだろうか。
 ここ最近の、無理して笑っているユウナを思い出して、少年はこっそりため息をついた。


「それにしても不思議な景色だよな。」
 話題を変えようと、ティーダはふと思いついたままにつぶやいた。
 彼女は黙って顔を向けた。森の放つ淡い光に照らされ、結い髪に揺れるかんざしがチリリと光った。
「森全体が光ってて…一体何でできてるのかな。」
 素朴な疑問をぶつけられ、スピラの住人は隻眼を見開いた。
「あんたって、時々子どもみたいなこと言うのね。」
「子〜ど〜もぉ、で悪かったっすね!」
 ふくれっ面であさっての方を向く少年に、彼女は苦笑しつつ釈明した。
「言うことが、いちいち新鮮だと思って。普段、そんなこと考えながら景色を眺めることってあまり無いもの。」
 そういって先輩ガードは、ふと真顔になった。
「あんたのそういうとこ、ずっと大事になさいよ。それはとても大切なことのような気がするわ。」


 しばらく黙って半月を見上げていた二人は、ほぼ同時にそれに気づいた。魔物の気配だ。
 全身の毛穴が引き締まるかのような緊張感を半ば楽しむように、ガード達は武器を構えた。相手はシュメルケとブルーエレメント二体。
 仲間の元へ戻って応援を頼むか、それとも…黒魔道士の女が決断するのと、長剣の使い手である少年が耳打ちするのも、ほぼ同時だった。
「この間合いなら先制をかけられる。ヘイストかけるんでサンダラよろしくっす。」
 頷き、ルールーは呪文の詠唱に入る。ティーダはヘイストを唱え、相方めがけて放った。背中に電流が駆け上がるかのような感覚とともに、時の魔法が彼女を包み込んだ。
 瞬く間に幾千もの風の精霊が集まり、騒ぎながらぶつかり合って術者の頭上に数万ボルトのエネルギーを生み出した。
 ブルーエレメントめがけ、かざした両手を振り下ろす。紫色にはじけるスパークと共に、魔物の輪郭はぼやけ、虹色にほどけて消滅する。。
 自分の詠唱を終えるが早いか、戦士は全身をばねのようにたわめ、次の瞬間魔物に向かって切りかかった。素早さを誇るトカゲ族のモンスターに勝るとも劣らない俊敏さで、一刀の元に両断する。
「おっし!」
 シュメルケの体は長剣にまとわりつく幻光虫の光と共に消え去った。残る一体が水の魔法を放つよりずっと早く、こちらの黒魔法が繰り出される。
 勝敗は決した。


「余裕っす!」
 得意げに決めゼリフを吐くティーダを横目で見ながら、ルールーは内心舌を巻いていた。
  戦闘経験が一番浅いはずなのに、この男のバトルのセンスはどうだろう。
「どうかしたんすか?」
 視線に気づいた少年が首をかしげて尋ねた。
「…いえ。腕を上げたと思って。」
 柔らかな笑みが向けられると、ティーダは突然叫んだ。
「そうそう!それそれ!」
「何よ、突然。」
「ルールーってさ、笑ってるほうが絶対いいって。怒ってばっかいると、せっかくの美人が台無しっすよ。」
 ごていねいにも、人差し指で自分の目を吊り上げて見せる失礼な年少者に、女は冷たく言い放った。
「寝言は寝てから言いなさい。少年。」
 そして続けた。
「それとも顔洗うの手伝いましょうか?」
 美しく彩られた唇が宣告する。
「ウォタラで。」
 少年は力一杯首を横にふって、その提案を謝絶した。


「そろそろ私、休ませてもらうわ。」
 ティーダに小さな紙包みを手渡すと、ルールーは背を向けて歩き出した。
「これ、何すか?」
 背中越しの問いに、彼女はひらひらと手を振った。
「あげる。見張り中に居眠りしたら承知しないわよ。」
 木立の向こうに消える後姿に、お疲れさんと声をかける。
 紙包みを開けると、中から干し果物が三粒転がり出てきた。
 先輩の気遣いに心の中でお祈りを捧げつつ、一粒口に運んだ。優しい甘さが口いっぱいに広がり、先刻のバトルで一層増した空腹の虫をちょっぴり静めた。
 森の木々を見つめながらぼんやり考えるうち、ふと気づいた。懐かしいザナルカンドを思い出すよりも、いつしかユウナのことばかり心配している自分に。
「だって、放っとけないもんな。」


  苦笑いしながら、それで良いと思う。この世界でユウナと出会えた。仲間と出会えた。
  とにかく前に進まなくちゃ。立ち止まって考え込むだけじゃ、何も始まらないから。
 半欠けの月を見上げながら、ティーダは二粒目を口に放り込んだ。

       −FIN−


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