EVOLUTION


 子供の頃、早く大きくなりたくて仕方が無かった。
 大嫌いなヤツの言いなりにならなくてすむように。

 おびえて立ちすくむ弱さなんて、もうたくさんだ。
 大義名分なんてどうでもいい。隣にいられれば、それだけで。







 ナギ平原は今日も上天気だ。大地に走ったシンの爪跡と緑の草原は奇妙な対比を残して溶け合い、吹き渡る風はひんやりと爽やかだった。

「ね?あともうちょっとだけ、ここにいようよぉ。」
 最年少のガードが作ったお願いポーズにつれて、金のまとめ髪が踊るように跳ねる。両手を顔の前で打ち合わせるリュックに、ガードの長は無言で背中を向けた。頭上に広がる晴天とは裏腹に、彼の表情は険しいことこの上ない。
「ほら、あともう少しでナギ平原のモンスターも全部捕まえられるし、そしたら謝礼ももらえるし。」
 遠巻きに眺めていたワッカが、腕組みをしたまま困惑げに考え込んでいる。広い背中に追いすがり熱弁を奮う少女の説得は通じず、当の相手はもはや振り向きもしない。
 アーロンは眉間に縦じわを刻むとサングラス越しに隻眼をすがめた。
「ブリーダーソードとやらは、随分と切れ味が悪いようだがな。」
 冷ややかな一瞥を投げられ、モンスター捕獲用の長剣を弄んでいたティーダは居心地悪げにそっぽを向いた。顔を向けた先にはユウナの姿。気遣わしげな目をこちらに向けているのが、彼の後ろめたさを更に倍増させた。
 ユウナの命を救う方策が見つかるまで時間を稼ごうとしてきたけれど、もう限界だった。浅はかな魂胆など、アーロンに通用する筈がない事は最初から分かりきっている。少年少女たちの形勢は不利の一言に尽きた。
 召喚士ユウナの一行がナギ平原に到着してから、既に三日が経過していた。
 ガガゼト山を登ればその先はザナルカンド。
「とにかく、さっさと終わらせて先を急ぎましょう。」
 サボテンダーのぬいぐるみを抱え直したルールーがそう締めくくり、先にたって歩き出した。重い雰囲気を引きずったまま、各々が続く。

 このまま旅を続ければ、究極召喚を授かってしまうことになるだろう。そしていずれこの地でユウナはシンと闘い、究極召喚の発動とともに命を散らすことになる。胸をかきむしられるような焦燥感をつのらせたまま進むティーダの歩みは、自然と重くなった。リュックは口を開けば「う〜〜考え中」と両手で頭を抱えて首を振るばかり。
 何とかしたい。けれどもその方法が見つからない。気持ちだけが空回りしたまま、平原の探索は続く。

 やっと見つけたと思っていた自分の居場所。ガードとしてユウナの隣を歩くこと―――。それが死出の旅への同行だったなんて、ナギ節の到来がユウナの命と引き換えだなんて…

 少年の小さな抵抗をあざ笑うかのように、時の砂が冷酷な正確さで落ちていく。






 もっと大きく、もっと強くなりたい。
 せめて大好きな人を泣かせないでもすむように。







 旅行公司の裏手でアーロンに呼び止められて、ティーダは渋々振り向いた。用件は分かりきっている上、しかも聞きたくない内容だったからだ。
「召喚士の旅を遅らせるようでは、ガード失格だ。」
 開口一番によこされたのは、辛辣な一言だった。ユウナの傍にいる資格がないと通告するアーロンの言葉は冷徹を通り越して酷薄に響く。その刹那、ティーダの中でくすぶっていた怒りが臨界点を越えた。
「死ぬと分かっていて、みすみす連れて行くのがガードの仕事かよ!?」
 たぎる感情のままに、少年は灼熱の溶岩流さながらの言葉を吐きかけた。スピラに住まう者にとって疑問を持つことさえ許されない禁断の不文律。相手がアーロンだからこそ、言えた一言だったかもしれない。
 声を荒げるティーダにさして心を動かされた風も無く、漢はずばりと切り返した。
 
「死なせないのではなかったのか?」
 絶句した少年に、アーロンは更に怜悧な一太刀を浴びせた。
「あれは出まかせか。それとも自分の真実を確かめるのがそんなに恐いか?」
 故郷と同じ名を冠した伝説の都市。その目で確かめることは、恐くないといえば嘘になる。心の奥底にしまいこんでいた痛い部分を引きずり出され、彼は息も出来ずに立ち尽くした。

 スピラの人々を苦しめ続けるシン。その正体は自分の父親だと知ったら、ユウナは、仲間はなんと言うだろうか。
 旅の終着点、ザナルカンド。エボンの聖地と崇められる北の都は、自分の知るそれと同じなのだろうか。
 少年は呆然とうなだれ、自分の両手に視線を落とした。広げて掴もうとする指の間を、記憶の中の故郷が幻のようにすり抜けていく。
 握り締めた拳が小刻みに震えた。




「あの娘を支えるのは、お前の役目だ。」
 アーロンの言葉は重く静かだった。
 知っていること全てを告げることはたやすい。けれどもそれでは真実に近づけない。少年の迷いをほろ苦い思いで見守りながら、なお漢は黙して語らない。
「いいのかよ。けしかけてるように聞こえるぜ。」
 石化の呪縛から解き放たれたかのように身じろぎすると、ティーダは唇の端を吊り上げた。内心の動揺を押し隠して精一杯の反撃を試みるも、隻眼の韋丈夫は歯牙にもかけない。 
「都合のいい耳だな。お前が望んでいるから、そう聞こえるだけではないのか。」
 大人の論法で年少者を黙らせた後、ふと気まぐれに思いついたか口を開く。
「人の心が…、」
 短い沈黙の後、アーロンは続けた。
「簡単に答えが割り切れるものならば、最初から苦労はせん。」
「経験談ッスか?」
 ティーダがすかさず、からかい調子で返す。青い瞳に悪戯めいた光を浮かべて、彼はたちまちいつもの調子を取り戻した。
「…一度、泣きを見たいらしいな。」
 地を這うような低音が夜気を震わせる。魔物の動きさえ止めるかと思わせる恫喝をものともせず、少年は平然と笑って後見人の顔を覗き込んだ。
 長い間、家族同然に近しい存在だったアーロン。伝説のガードと呼ばれ、ここスピラで一目置かれる人物であっても、ティーダにとって本音をぶつけられる相手なことに変わりはなかった。一矢報いたことで溜飲を下げた少年は、両手を頭の後ろに組むと、おどけた足取りで退散を決めこんだ。

「あの娘は強い。父親とは違った道を見つけるかもしれんぞ。」
 背中越しに聞こえた漢の声に、小さく振り向いたティーダは無言で、しかし力強く頷いた。







 絶望に打ちひしがれても、それでもユウナはザナルカンドを目指す。
 その歩みを止める権利は誰にもない。
 それなら…自分は何があっても彼女を守り通すだけのこと。







「…何してるッスか?」
 平原をぼんやりと歩いていたティーダは、草原にぽつんと座る人影を見つけた。小さな背中に揺れる金色の蝶結びに向かって、思わず声をかける。
 無心に何かを探していたらしいユウナは、声に驚いたように振り向いた。地面の上にしゃがみこんだまま桜色の袂を少し気にするようにして、なおも短い草丈の緑を指先でかき分けている。
「花を、摘んでいたんだ。」
「花?」
 見れば、少女の右手は何か小さなものを大事そうにつまんでいる。傍へ寄った彼は、ひょいと屈んで彼女の手元を覗き込んだ。
 それは、爪の先ほどの白い小さな花だった。
 ユウナは膝の上に開いた手帳に短い茎ごと花を乗せ、大事そうにページに挟んだ。
「ほら、たくさん咲いてるんだよ。」
 細く白い指先が地面を指差した。地面に張り付くようにして広がっている緑の葉の間には、なるほど所々小さな白いものが見え隠れしている。
「…オレ、知らずに踏んづけてたかもしれない。」
「大丈夫。こんなに小さな草だけど、ちゃんと花をつけて逞しく生きてるもの。」
 すごいよね。とユウナは無邪気に微笑んだ。彼女の笑顔が無性に眩しくて、ティーダはぼやっと見惚れたまま生返事を返した。踏みつけにされてもなお逞しい美しさを失わない小さな花の姿は、信じていた寺院から裏切られ、追われる立場になっても旅を諦めないユウナの強さと不意に重なって見えたのだ。
「この花、ユウナに似てるな。」
 ごく素直に口に出してから、彼は頬が熱くなるのを感じた。いくらなんでも唐突に過ぎただろうか。誤解を与えてはいないだろうか。もう少し気の利いた台詞を探せばよかったと焦る少年に
「ありがとう。」
 彼女の返事は輪をかけて素直だった。少しくすぐったそうな表情をして、ほんのりと頬を染めている。胸に気恥ずかしさが一層こみ上げてきて、ティーダは笑顔を返すのが精一杯だった。火照る頬を隠すように下を向いた彼は、花を探すふりをして地面を無駄に突付いた。


「明日は出発できるかな。」
 少女の声に、少年はふと顔を上げた。色違いの輝きがじっとこちらを見つめている。
 訳もなくそわそわした気分を上から押さえつけるようにして、ティーダは曖昧に答えた。
「多分。」
 新緑のように瑞々しいグリーンと、湖水のように穏やかで深い青。この美しい瞳が永久に開かれなくなる日が来るなんて、考えたくもない。

 明確で残酷な真実。触れてしまえばその先はもう、不可逆性の迷宮だ。
 それでも自分の迷いと決別し敢えて足を踏み入れる覚悟を、彼は決めた。






 死なせはしない。絶対に。





「なあリュック、そろそろサボるのは終わりにして、出発しないか?」
「何か思いついた!?」
 鮮やかなグリーンアイズを輝かせたリュックだったけれども、
「いや、何にも…。」
 口ごもったまま首を振る彼に、たちまち失望の色をあらわにした。
「裏切りモノ〜〜。」
 ぷんぷんと怒って地団太を踏んでいる彼女に、自分の心情をどう伝えたものか頭を掻きつつ悩んだ末、ティーダは苦し紛れな提案をした。
「ここで何も思いつかなくても、この先で何かいいヒントが見つかるかもしれないだろ?」
 苦し紛れには違いないがもっともな意見を聞かされて、最年少のガードは頬をぱりぱりと掻くと、仕方なさそうにうなずいた。
「そだね。」
 柔軟な考えを持つアルベド族の中でも、リュックは特に聡明な娘だ。自分の考えに固執しすぎない所も長所といえた。ここでこれ以上牛歩戦術を決めこんでも、根本的な解決にはならないことは彼女にも分かっている。

「そうと決まったら急ごう。日暮れ前に制覇するッス!」
「よーし、バシッと決めちゃおう!」
 長剣を引っさげて仲間の方へ駆け出すティーダに、軽い足取りのリュックが続いた。



 平原の魔物を捕獲するため、召喚士ユウナの一行がナギ平原を歩いて行く。
 ユウナの前を守るように歩いていたキマリが、のそりとティーダの隣に並んだ。頭一つ分高い場所から、鋭く光る金色の瞳がもの言いたげに見下ろす。
「何スか?」
 見上げた少年に、彼よりも二まわり大きな獣人は重々しく問いかけた。
「御山を登る覚悟は決まったか。」
「うっす。」
 即答したティーダの表情は、どこか吹っ切れたように見える。その名にふさわしい明るさを取り戻した頼もしい姿に、キマリは僅かに目を細めた。

「未来は、変えようとする者にしか 変えられない。」
 口数少ないロンゾの戦士が語る言葉は、聞く者の胸を静かに満たした。

 キマリに目で促され大きく頷いたティーダは、前を行く華奢な肩に追いつくため地を蹴った。追い越さんばかりの勢いで駆け寄るとユウナの隣へ並び、彼女の歩調に合せて歩く。
 今は向き合うよりも、同じものを見据えて、ただ真っ直ぐに。
 












 行くしかない。ここで迷っていても何も変わらない。
 初めて思った。
 大切な誰かのために、もっと強くありたい。




   -FIN-

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*Written by* どれみ
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