The Sacred Promise
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 スピラは、破壊と混沌の淵に今しも沈みかけようとしていた。
 マイカ総老師の崩御を上層部はひた隠しにした。けれども寺院の混乱は頂点を極め、組織の機能は完全に麻痺していた。もはや祈るべき神にも見放された人々は、歌を力なく口ずさみながら呆然と空を見上げた。
 唯一最後の希望、召喚士ユウナのナギ節到来を願って。



 鮮血を溶かして染め上げたような夕焼けが空一面を覆いつくしている。
 飛空挺の甲板に座り込み、金髪を雄風になぶらせながら、ティーダは山脈の向こうに落ちていく夕陽を睨みつけていた。
「先客がいたのね。」
 ベルトの金具がこすれあう独特の衣擦れの音。ルールーだ。
「いよいよね。」
「うっす。」
 決戦が、近づいていた。
 
「こんなときで悪いんだけど…いえ、こんなときだからこそだわね。」
 黒衣の女は、ティーダにそう切り出した。
「あんた、ユウナの相談に乗ってやってくれない?」
 小さく首をかしげる少年に向かって続ける。
「あの子、何か心配事があるみたいなのよ。口に出しては言わないけれど…」
 ユウナが、姉とも思い頼りにしている女性。その彼女にさえ打ち明けられないこと…ティーダには少女の抱いている苦悩に心当たりがあった。
「あんたなら、あの子を受け止めてやれるだろうから。」

  祈り子達の言葉。物語の終焉。夢の終わりに待ち受けるもの…。

  大切に思うからこそ、告げられない真実。

「……あげて。あの子真剣なんだから、あんたのこと。」
「へ?」
 …聞いてなかった。彼は目をしばたたいて思索から戻ると、彼女が言葉を重ねるのを待った。
「男なら責任取りなさいって言ってるのよ。」
 言われた意味を反すうする少年の顔からざあっと血の気が引いた。
「そりゃなんかの間違いだろ!オレそこまでは…っわわっと!」
 余計なことまで口走りそうになって、あわてて口を押さえる。百戦錬磨の女傑は、年下の坊やのうろたえぶりを意地悪く眺めやった。
「そこだかどこだか知らないけど、何が間違いですって?」
「いや、そーじゃなくって…!オレだって真剣ッス!」
 そこまで一息に叫んだ後、
「責任、取るッス。」
 拳を握り締め、大真面目に付け加えた。半ばやけっぱちと言えなくもないが。
 顔を真っ赤にしながら、自分の胸の内を吐露する少年に、彼女は微笑を投げかけた。
「私の目に狂いがなくてよかったわ。何を勘違いしてるかは知らないけど。」
「…えーと?」
「私はただ、いつまでもユウナのそばに居てやってと言っただけよ。」

 自分がかまをかけられたのだと気づいたときには、ルールーは結い上げた黒髪をなびかせて立ち去っていた。ハッチの向こうへと消える姿を見送りながら、ティーダは肺が空になるほどのため息を吐き出した。
「相変らずきついっすね〜。」
 
 宵闇の帳をひかれつつある空には、いつの間にか一番星が光っている。ティーダは薄紫色の天蓋に縫いとめられた銀の点を見上げた。
  
  物語の最終章がもうすぐ幕を開けようとしている。他の誰でもない、オレの物語。
  ユウナの想い、みんなの想い、親父の想い。想いを胸にオレは走り続ける。
  そうさ、走り続けるんだ…
  



 日の射さぬ暗い遺跡の奥底。反逆者オメガの怨念が渦巻くダンジョン内で、闇に巣食う魔物どもを相手に召喚士ユウナとガード達は苦戦を続けていた。
 召喚士のロッドが空を切り、高く掲げられた。青白く縁取られた魔方陣から光がほとばしり出ると、雪の結晶の乱舞と共に氷の女王が降臨する。
 後方へ控えながら、ティーダはかすかな違和感を覚えていた。何がどうおかしいのか具体的な言葉にならない。けれども戦闘によって研ぎ澄まされた感覚に何かが引っかかる。強いて言えば空間が軋んで火花が散りそうな、誰かが…何かが悲鳴を上げているような、そんな嫌な感じ…彼がそこまで考えた時。
「!?」
 ガード達は息を呑んだ。攻撃を受けたわけでもないのに、シヴァの姿がぐにゃりと歪んで揺らめいたのだ。前のめりになったユウナが、がくりと膝をつく。召喚獣の蒼く輝く優美な肢体が揺らぐたびに、細かな氷の粒が四方に吹き荒れた。
 唯ならぬ事態に、金髪のガードは召喚士の元へ真っ先に駆け寄った。ロッドにすがって身を支える少女の顔は紙のように真っ白で、冷や汗がこめかみを伝って流れ落ちている。
「ユウナ!シヴァを戻せ!」
ティーダの言葉を、ユウナは何故か素直に受け入れようとはしなかった。なおも召喚獣との交感を続けようとする彼女を、少年は怒鳴りつけた。
「いいから戻して交代しろっての!」
 雷に打たれたようにすくむユウナ。ルールーが駆け寄り、いたわるようにそっと少女の肩を抱いた。と、すぐさま彼女をかばうように立ち上がる。
 氷の召喚獣がかき消えると同時にガード達は迫り来る魔物に向き直った。
 太刀と長剣から繰り出される苛烈な斬撃とフレアの連続魔法を立て続けに浴び、さしものモンスターも幻光虫の光へと姿を変えた。


「一瞬の判断を誤れば全滅しかねん。それは分かっているはずだ。」
 的確だが容赦の無いアーロンの言葉に、ユウナはうなだれて答えた。
「はい。すみませんでした。」
 隣からリュックが、ガードの長に非難がましい目を向ける。
 ルールーに脇腹を小突かれて、ティーダは恐る恐るユウナへと寄った。、先刻自分も怒鳴りつけてしまった手前、ばつが悪いことこの上ない。
 色違いの目と視線が合う。置き去りにされた子犬のような眼差しが痛い。少年は必死になってフォローの言葉を探した。こういうときに限って、語彙の泉というのは尽きてしまうものだ。辛気臭いダンジョンの天井を二度ほど眺めてから、彼は頭に手をやった。
「あーその、…大丈夫?」
 かけた言葉といい、仕草といい、お世辞にも気が利いているとは言えない。けれども、というよりかえって少女の気持ちをほぐすには充分だった。
「うん、もう平気。心配かけてごめんね。」
 いつもの笑顔に戻ったユウナに、内心胸をなでおろしながらティーダは続けた。
「あんま無理すんなよ。」
 少年の無邪気な笑顔に返されたのは、憂いを含んだ微笑だった。
「キミこそ、無理しないでね。」

 その時は、誰もが思っていた。何かの弾みで、召喚士と召喚獣の同調が一時的に崩れることもあるだろう、と。



 その夜、旅行公司内のショップで、ティーダは小さな記録用のスフィアを買った。ジェクトのスフィアではないけれど、自分がスピラに存在していた証拠を残すのも悪くない…ふと、そんな感傷的な気分になったのだ。
 自室のベッドに腹ばいになって頬杖をつきながら、ぼんやりとスフィアを眺める。けれどもいざ改まると、何も思い浮かばない。もともと考えるより体が先に動くタイプなのだ。考えるのが面倒になってきたばかりか、しまいには眠くなってきて、彼は早々に「遺言」を諦めた。
 ふと、スフィアに視線を落とす。丸く滑らかな表面に映った自分の顔は、今にも泣きそうに歪んで見えた。
「なんて顔してんだよ。バーカ!」
 スフィアの中の自分を思い切り笑い飛ばす。それからティーダは勢いよく跳ね起きると、やおらスフィアをつかんで放り投げた。小さな半球の物体は、きれいな放物線を描いて部屋の隅に備えられたごみ箱へと吸い込まれた。


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