月の光を溶かして染め上げたような髪が、青い闇の中で銀の輪郭を形作った。
 伸ばされた手がランプのスイッチを探り、小さな明かりを灯す。


Bitter and Sweet




 目も眩むような衝動が波のように引いた後、空っぽの頭に浮かぶのは満ち足りた幸せとほんの少しの罪悪感。
 本当はこんな感情を抱くこと自体、おこがましいのかもしれない。恥じることは何もない。
 まだ切なげに上下を繰り返している恋人の胸元を見つめながら、言い訳がましくそんなことを思った。

 後から悔やむだけの役に立たない理性なら、いっそ無意味だ。
 紙くずをくしゃくしゃと丸めて放り投げるように、後ろめたさにけりをつける。
 その白く滑らかな肌に触れるたび、星を浮かべた色違いの瞳に出会うたび、愛しい気持ちが募っていてもたってもいられなくなる。
 弱さも浅ましさも全部受け入れ包んでくれる、彼女の全てに感謝しながら。








 ティーダはまだ弾んでいる鼓動をなだめながら、ほんのりと明るく照らされたシーツの波に体を起こした。
 倒れ伏すように横たわる、傍らのユウナを覗き込む。汗の浮いた頬に一筋張り付いた栗色のほつれ毛。
 手を伸ばしそっと直してやる。投げ出された白い腕が僅かに動き、細い指先が小さく震えた。

 きつく閉じられたままの瞳に、彼は小さく呼びかけた。

「ユウナ。」 
 まるで不用意に扱えば壊れてしまうかのように、どこか恐る恐る。
 頭を垂れ、大切な言の葉を吐息に包んで唱える仕草は、祈りの姿にも似ていた。









「はい、キミにプレゼント。」
 もったいぶった手つきで、ユウナは包みを手渡した。
「ありがと。」
 光沢のある包装紙を丁寧に取り去って、ティーダは豪華な細工のケースを開けた。
 まるで本物の宝石のような貫禄を伴って、趣向を凝らした小さな菓子がすまし顔で並んでいる。

「何か、すっごく偉そうな包みッスね。」
「なかなか手に入らないチョコレートなんだって。」
 恋人の素直な感想に、ユウナは勢い込んで説明を始めた。

 最近ルカにオープンしたチョコの専門店は、物珍しさも手伝って毎日行列が出来るほどの人気だった。
 本来なら並ばなければ手に入らないそれを、リュックいわく「独自のつて」で入手することができたのだった。
「チョコ買うためにわざわざ並ぶッスか?」 
 驚いて見せた彼の瞳は、少々呆れたというニュアンスを浮かべていた。
「普通のお店で売ってるのと一緒だと思ったらダメだよ?」
 こういう時冷めた反応をされると、何か悔しいものだ。彼女の発言は、妙に高級チョコに肩入れしたものになった。
「それぐらいしても皆食べたいくらい、きっと美味しいんだよ。」
 まだ食べたこともないちっぽけなチョコの粒を一生懸命弁護するユウナ。笑っているばかりで真面目に聞こうとしない恋人をたしなめるのに躍起だ。
「もう、ありがたみの分からない人には、あげるのよそうかな。」
 桜色の頬をぷっと膨らませたその姿は、不謹慎ながら余計にからかいたくなるほど可愛らしい。けれども何事もほどほどが肝心なことを彼もさすがに心得ている。
「ユウナからのプレゼントなら、何でも大歓迎ッス。」
「もう…!」
 殺し文句に近いその言葉に、ユウナの頬はたちまち朱を刷いた。

「ねえ。」
 しばらくもじもじと指を組んでいたユウナは、ふと思いついて話題を変えた。
「ザナルカンドにも、聖バレンタインの日ってあった?」
 ティーダは記憶の糸を手繰った。金の前髪をかき上げ、ほどなく口を開く。
「ああ、二月十四日にプレゼントをもらうとラッキーって話なら。」
 それ、スピラのイベントとちょっと変わってるね…とユウナは苦笑混じりにつぶやいた。

 何処から出てきた話かは定かでないが、都市部でここニ、三年の間に急速に広まったセレモニー。一説によると、ここのところ急速に営業成績を伸ばしつつあるスィーツの製造元が仕掛け人とも言われている。   
 その商魂には恐れ入るが、こうやってお祭り騒ぎが増えることは人々の生活に余裕が出てきた証拠で、歓迎すべきことでもあった。
 もともとは、その昔身分違いのために結婚できない男女の仲をあえて結び、殉教した聖職者を讃える日。一部の地域で続けられてきたお祭りの日なのだそうだ。


 形は違っても彼の故郷にも存在していたイベントだと知って嬉しくなったか、他愛の無い好奇心が饒舌を促した。
「誰かにもらったことある?プレゼント。」
 何の気もなく質問をした彼女を、にわかに後悔が襲った。
 曖昧に微笑む彼の声が、急に遠く感じられた。
「7つの頃までは母さんからもらってたよ。そのあとは……」
 涼しげな双眸はどこか神秘的な色を湛え、こちらを真っ直ぐ見つめている。
「聞きたい?」
 選択を迫られた心臓が、大きな音を立てた。
「ううん、いい。変なこと聞いちゃったね。」
 心のうちを見透かされているようで恥ずかしくて、ユウナは横を向いた。
「そんな難しい顔すんなよ。隠すようなことは別に何もないッスよ。」
 ホールドアップの格好でおどける、屈託の無い彼の笑顔。ユウナは何故かかえって切なくなった。過去の詮索をすることは、双方にとって無意味だ。ましてや彼の記憶にある街も人も、触れることはかなわない場所にある。
 
 今にも泣き出しそうなユウナの肩にそっと手をかけて、ティーダはできるだけ優しく言った。
「こっちこそフェアじゃなかった。ごめんな。けど…」
 小さく息をついで、告白する。
「ユウナとの今に、昔の思い出は必要ないッス。」
 心からの誠実な言葉に、言い訳がましい響きは一切なかった。

「じゃ改めて、プレゼント。」
「ありがとう。」


 包む香りは、穏やかな幸福感を誘い。
 蠱惑的な甘さは、体中を駆け抜け頭の芯まで蕩かすよう。
 ほろ苦さは切ない余韻を伴い、もう少しだけ、あと少しだけと更なる快感をねだって後を引く。













「ユウナ…。」
 囁きに全身全霊をこめて、青年はもう一度愛しい人の名を呼んだ。


 紅色の唇が小さく震え、絶え絶えな息の間から声にならない幽かな音が漏れた。




 閉じられた瞼が薄く開かれ、ついでこの世で一番美しい一対の宝石が姿を現す。
 潤んだ目許に僅かな恥じらいを含ませ、ユウナは彼を見上げて、はんなりと笑んだ。

 五感を甘く満たす余韻に浸りながら、ティーダは彼女を見下ろして笑み返した。

 サイドテーブルに置かれたままの箱に、ティーダは手を伸ばした。 
 贈られた甘い小さな一粒を唇にくわえると、そのまましなやかな背をかがめ、ユウナの口元に運んだ。

 唇にひんやりと滑らかな感触を感じたすぐ後に、それは歯列を割ってそっと押し込まれた。ついで温かく湿った彼の唇が、かすめるように触れた。
 口移しに与えられたチョコレートは次第に舌に溶け、芳醇な甘さがユウナの口いっぱいに広がった。
「甘い…。」
 うっとりと呟いた口元に、再び彼が顔を寄せる。
 抱きすくめられ唇を塞がれて、オッドアイが僅かに見開らかれた。
 カカオの濃密な滑らかさを残したままの口内を舌でなぞられ、初めて受けた甘美な感覚に涙が滲んでしまいそうになる。
「甘い…。」
 火照った唇を触れ合わせたまま、彼が囁く。頷くかわりに、彼女は瞳を再び閉じた。

 ほんの僅かに触れる先から、痛いほどの幸せが溢れ出す。
 小さな贈り物から始まる、至福の時間。
 











 贈る人にも、贈られる人にも。
 
 笑っている人にも、泣いている人にも。

 愛している人にも、愛されている人にも。


 世界の祝福に包まれて、豊かで穏やかな夜がやって来ますように。





-FIN-

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ちょっとアブノーマルに片足突っ込んでしまったっぽい?
アイテテテテ。
イベントに合わせるつもりなら、もっと早く準備しようよ自分。
 

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