星 降 る 夜 に
 ばさっという音と共に、分厚いマニュアルが砂の上に落ちた。
「あ〜あ、こんな時に仕事なんて、全くついてなーいっ!」
 放り投げた当のご本人は、空を仰いで嘆息している。
「せっかくユウナんと久しぶりに会えるかもしれなかったのにぃ。大体高いギャラにつられたアニキが悪いんだ!」
 今、ルカではポートフェスティバルと称して大掛かりなお祭りが展開されている。
 青年同盟と新エボン党のリーダーが再び手を携えた、ルカスタジアムの演説。
―――この星に住む者全てが、スピラという船の乗組員であり命運を共にする仲間。
 採択された平和宣言は、混沌にピリオドを打ち、新しい時代の始まりを告げるものだった。
 これを記念して始まったこの祭りは、スピラ中の耳目を集めていたのだ。

 自分ときたらお祭りに参加できない上、挙句の果てには砂漠で徹夜の作業である。
 スピラ最大の危機を救うのに一役買った事実を誇るつもりなんか、さらさらないけれど。
 けれども影の功労者にこの待遇では、世の中何か間違っているとしか思えないのだ。

「リュックさんとしては、どうしても釈然としないんだよねー。」

 ぐちぐち並べてみたものの、目の前で作業を続ける男は、ちらりと顔を上げただけだった。淡緑色の虹彩には、同族の証であるスパイラル模様が浮かんでいる。
 呆れたような顔をしただけで、彼は耳を貸す様子もなく作業に戻ってしまった。
「ねえ、聞いてる?」
 勝気な瞳に不満の色をあらわにして、リュックは尋ねた。
「口じゃなくて、手、動かせや。日が暮れると冷えるぞ。」
 計器から目を離そうともせずにギップルは答えた。観測用マキナの最終調整に余念がない。
 幼馴染の冷淡な反応に、更にむくれたリュックは乱暴な手つきで防寒用のテントを広げだした。
「仕方ねえだろ。シンラのスケジュールがぎっしりで、今日しか空いてなかったんだ。」
 青年の説明はしごく論理的ではあったけれど、かえってパートナーの神経を逆撫でしただけだった。
「そんなこと、今更言われなくても分かってるってば!」
 怒りの矛先が、いつの間にかギップルに向けられている。
 いさかいの元凶が、この微妙な状況を持て余す彼女にあるのか、それとも女の子のデリケートな気持ちに配慮しない彼にこそ、より非があるのか。それをはかる正義の天秤は、残念ながら用意されてはいなかった。
 とにかく一つだけ言えるのは、不毛の地で不毛な会話を交わすのは、更に空しいことこの上ないという事実。

 黙ったままの背中に向かってあかんべをひとつ投げると、リュックはのろのろと作業を再開した。
「あーあ、ほんっとついてない。」

 巨大な太陽が西の地平線へ沈む。
 不毛の地を蹂躙していた熱気は瞬く間に消えうせ、代わりに身を震わせるほどの寒さがやって来る。
 場所も状況も最悪だ。場所なら異界の底のほうが花が咲いているだけまだロマンチックというもの。
 砂漠のど真ん中では、多感な心を潤してくれるようなものがどこを向いても見当たらない。
 泣きたいような気分で、アルベドの少女は今日最後の陽光を見送った。







 さかのぼること三時間前。
 飛来した赤い輝きは、まっすぐサヌビア砂漠中央部を目指していた。
 古の機械文明が遺した天駆ける船、飛空挺。
 駿馬を思わすこの優美な機体は、カモメ団の母船でセルシウスと名づけられている。
 とある実験のため観測機器と研究員を輸送し、なおかつ現地で手伝うのが今回カモメ団の請け負ったビジネスだ。
 依頼主はシンラ。元カモメ団のメンバーでもあるこの天才少年は、リンをスポンサーにつけて異界のエネルギーについて研究している。
 とてつもない可能性を秘めた未知なるエネルギーの謎を解き明かすため一連のプロジェクトがスタートした。
 そのうちのひとつとして行われるのが今回の実験である。空気中の幻光虫が少ない砂漠地帯で、なおかつ太陽の熱に影響されない夜が実験にとって最適な条件なのだ。

 砂漠で遭遇する様々な危険を考え合わせると、今のカモメ団ではリュックが一番の適任だ。というより彼女以外に適任者がいない。
「若い身空で過労死なんて冗談じゃないよぉ…。」
 巨大な観測機器を搭載したマキナがタラップを下る。鋼板の軋みにモーター音が重なる中、カモメ団随一の敏腕ハンターはぼやきながら熱砂に降り立った。


「おマエ、こんなとこにいていいのか?」
 時を同じくして、セルシウスのブリッジ内では、アニキが不思議そうな顔でシンラに尋ねていた。
 てっきり降りると思っていた責任者のシンラは、あいも変わらず落ち着き払って解析コンソールに座っている。
 もっとも少年の表情は、トレードマークのマスクに覆われてうかがい知ることはできないが。
「砂漠の夜は寒いし、モンスターが出るし。」
「そりゃ承知。ってそっち側の計測メンバーは…」
「マキナの現地チューニングはギップルに任せてあるし。」
 天敵の名を聞いた男の顔から、音を立てて血の気が引いた。モヒカンに刈った髪の色さえ変化したように見えたほどだ。
 よりにもよって、かわいい妹をつけ狙うあのいけ好かない男とセットにして置いて来たとは。
 カモメ団のリーダーは頭頂のみの毛をかきむしり雄叫びを上げた。
「ぬぁにぃいいいっ!?リュ、リュックを引き上げぇ〜〜〜〜〜るっ!」
「予定通り、この船は10km離れた地点に待機するし。」
 絶叫を上げ憤慨するリーダーの抗議をばっさり斬って捨て、シンラは当然のようにコクピットへ指示を出した。

 妹の身を案じる兄の叫びは、尾を引いてスピラの空に消えた。












「こっちは順調だ。…おう、問題ない。…大丈夫だ。了〜解。」
 苦笑しながら通信を終えたギップルに、テントから出てきたリュックが尋ねた。
「定時連絡の時刻じゃないよね。何か変わったことでもあったの?」
「ちゃんと計測できてるか確認だとさ。」
 幅の広い肩をひとつすくめると、青年はヘッドセットを外してコンソールに置いた。
「…というのは表向きで、本当はやっこさん、俺に任せるのがイマイチ心配なのさ。」
「心配?」
 断熱マットの上に腰を下ろしながら、彼女がおうむ返しに問いかける。ランタンに照らされた蜂蜜色の頭髪が、ふわりと傾いだ。
 不思議そうな彼女に、彼は思いもよらない種明かしをした。
「本当はシンラも降りる予定だったんだが、俺とリュックで出来るって言い張った。せっかく二人きりになるチャンスだったからな。」
 リュックの心臓が、どきんと音をたてた。
「チャ、チャンスって…。」
鼓動がせり上がってきて、息まで苦しくなる。たった今聞いた言葉が頭の中でぐるぐるして、考えがまとまらない。

「せ、せっかく二人きりなら、もっとロマンチックな場所に行きたかったな。ほら、あのさ、ルカで今度始まる『光の宮殿』。あれほんときれいらしいよ。ユウナんに誘われたんだ。あ、彼氏も一緒だし邪魔しちゃ悪いかなって思ったんだけど、こっちも二人なら大丈夫かなって思ったんだ。けどほら、仕事入っちゃったし。ね、そーいうのはしょうがないよね。でもやっぱり見たかったな。……なーんてさ。」
 機関銃のようにひとしきり喋ると、リュックはばつが悪そうに口をつぐんだ。
 そんな彼女の慌てぶりをおもしろそうに観察していた男は、先程の爆弾発言など忘れた風に話題を変えた。
「何だお前、そんなの行きたかったのか。所詮は豆電球の寄せ集めじゃねえの?」
「んもうっ!ムードないなあ。」
 無数の光でデコレーションされた華やかな街は、さぞかし綺麗に違いない。少女はむくれて、頬を膨らませた。
「お前こそ、文句たれてないで空見てみろ。」
「へ?」

 リュックの心臓が、今度はひっくり返りそうになった。
 しゃがんだギップルの顔が、いつの間にか目の前に迫っている。
 計器のバックライトに照らされて、ひとつしかない目が笑った。

 額を突付かれて、リュックは悲鳴を上げる間もなくころりと砂の上に転がった。
 その途端、目に飛び込んできたのは満天の星。
 ひしめきあって輝く無数の光は、手を伸ばせば届きそうに近い。
「うわ…きれい……。」
 口をぽかんと開けたまま見つめた天頂付近に、一筋の光が流れた。
「あ!」
 流れ星だと叫ぼうとした矢先、またひとつ流れた。間を置いて更にひとつ。
「すごい、流れ星がいっぱいだ〜。」
 寝転がったままはしゃいでいるリュックの上に、ふわりと何かがかけられた。
「だろうな。クアール座流星群の極大が近いって聞いた。」
 答えたギップルは、手にした二枚目のブランケットを更に着せ掛けた。
「それじゃギップルが寒いでしょ。」
 一枚めくろうとしたリュックを、青年が制した。
「気にすんな。平気だから。」
「じゃあ…」
 リュックは思いつきを口にしかけ、途中で慌てて飲み込んだ。
 隣に入ったら?なんて、恥ずかしくて言えるわけがない。
 もぞもぞと誤魔化したリュックの気も知らず、隣に座ったギップルは、のん気に呟いた。
「お、よく流れるな。」
 しばらく星空を眺めていた彼は、派手なくしゃみを一つした。
「ほら、やっぱり寒いんじゃん。」
 あんまり寒そうに鼻をすすり上げるものだから、リュックはついブランケットの端をめくってしまった。
 悪びれもせず、さも当然のようにギップルが隣に潜りこんで来る。
「お、あったけえ。」
「ちょっと!あんまりくっつかないでよ!」
 彼女にとっては、あったかいどころの騒ぎではなかった。体中がかーっと熱くて、黙っていると恥ずかしくて気が遠くなりそうだった。
 手足をばたつかせた拍子にブランケットから半身がはみ出した。想像以上の冷え込みに、思わず身震いする。
「ほら、風邪ひくからちゃんと入ってろ。」
 引き寄せられた彼女の身は、たちまち心地良い温もりに包まれた。
「心配すんな。好きな女、無闇に恐がらせたりしねえよ。」
 肩から背にかけて回された彼の腕。ブランケット越しにも関わらず、それはひどく熱く、重みを持って感じられた。
「今はな。」
「な、何それ!?」
 振り上げたリュックの拳を軽くいなして、ギップルは喉の奥で笑った。
 全くこの男ときたら、どこまでが本気でどこまでが冗談なのか見当もつかないのだ。







 ブランケットに仲良くくるまりながら、流れては消える光の筋を追う。
 リュックはギップルの肩に頭を持たせかけた。闇の中でもほのかに輝く金髪がふわふわと男の鼻先をくすぐった。
 心地良い温もり、綺麗な星空。二人きりで過ごしていることが、何故だかとても自然に感じられる。
 だから砂漠の夜気に冷えた頬をギップルの大きな掌で包まれ仰向かされた時も、リュックは驚いたり騒いだりしなかった。
 星明りに照らされて、男っぽく均整のとれた顔が近付く。自分の知る幼馴染は、こんなに大人びた顔立ちをしていただろうかと頭の隅で考えながら、彼女は瞼を閉じた。
 触れ合った唇は信じられないほど熱を持って、そして柔らかだった。容赦ない舌戦を展開する小憎らしい器官でもあることが、想像つかないほどに。
 それは彼にとっても同じだった。沈黙を保った少女の唇は瑞々しく熟れた果実のように甘く、酒のように味わう者を酔わせた。

美しい星達がひとつ、またひとつ、地上へと流れ落ちていく。
重なってひとつになった影を、音もなく天蓋を滑る無数の星々が見守っていた。








「ルカのイベントってやつは、来年もあんのか?」
 いつもの調子で”そんなの知る訳ないじゃん!”と噛み付いてやってもよかったのだけれど、今のリュックは、なぜかそんな気になれなかった。
 星々を散りばめた漆黒の天を眺めていると、宇宙の深遠さが肌身に迫ってくる。
 小さなことに腹をたてていたちっぽけな自分が、何か滑稽に思えた。
「多分ね。」
「じゃ、来年一緒に行くか?」
 さらりと言われて、我知らず頬が染まる。
「それも悪くないなあ。でも・・・。」
 どんなに大掛かりなイルミネーションも、きっとこの星空にはかなわない。
「でも?何だよ。」
 言葉を続ける代わりにリュックは青年の腕に自分のそれを絡めて身をすり寄せた。
「ふふっ。あ、また流れたよ。」
 綺麗に塗られた人差しの爪が空の一点を指した。

 互いの温もりを分け合い満たされた気持ちを胸に抱きしめながら、二人は、生まれては消える銀の軌跡を飽きず眺めていた。
 
 

-FIN-
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うちのギプリュってばオクテすぎてどっかおかしいんじゃないかと心配しましたが、やっと初チューに漕ぎ着けました。
ギプが慎重すぎ、んでもって前途長すぎ!(大笑)

古いB'zファンなもんで、題名の後に「騒ごう」とつけたくなります。リュックぴったりか(笑)
そしてポルノの「マシンガントーク」が裏的テーマソングでした。

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