ドアが開くが早いか、あたしは生ぬるい土砂降りが続く変てこりんな部屋から飛び出した。ぶるぶるっと体を震わせて、重い雫を跳ね飛ばす。
「うわっ!体拭かないままそんな所で!」
 追いかけてきたのは、自分を拾ってここへ連れてきたニンゲン。 美味しいもの食べさせてくれたんで、この人が新しいボスなら悪くないと思って油断した。小さな部屋に連れ込まれた途端、ぬるい水を浴びせかけられて自慢の毛はびしょぬれ。泡だらけにされるしおまけにそれが目に入って沁みたのなんのって。もう散々。
 耳の後ろを後足で掻こうとして、あたしはやっと気がついた。ごわついて固まっていた毛並みが真っ白のふかふかに戻ってる。…それに痒い所もなくなって。うん、ちょっとさっぱりしたかな。
 なんか、こう生き返った感じ。例えじゃなくて。いたいけな子犬に、野良の生活は結構限界が来てたから。
 ルカの繁華街で、歩いてくるのこの人を見かけたときピンと来たの。ついて行ったらいいことあるって。野生のカンって当たるんだよ?

 ひもじさも寒さも消えて人心地ついて…っていうのはニンゲンに使う言葉だから変だよね。そうして今日の出来事を思い出す。この人に拾われたのはラッキーだって、改めてそう思った。


キス
pure time  from TIYU_7THEME



「あーあ、よくもやってくれたな。」
 ぼやきながら雑巾を片手に屈んだボスは、フローリングに散った水を拭きながらしかめっ面をよこした。命の恩人に睨まれると何だか悪いことした気持ちになってきて、あたしは洗い立ての尻尾をお尻の下に仕舞った。

 ピーッという電子音が響く。弾かれるようにしてボスは顔を上げた。 ほっ。そんなにひどく叱られなくてすんだことに胸をなで下ろしながら、音の出所を探す。
 耳障りなだけの無味乾燥な音を出したその機械に、ボスは嬉しげに飛びついた。あたしみたいな尻尾がボスにも生えてたら、きっと千切れるほど振っているくらいの勢いで。そんなに面白いものなのかな、あれ。
 熱心に何か話しかけている。するとどこからか柔らかい女の人の声がした。
「あ、ユウナ。38時間ぶりッスね。収穫はどうだった?」
 椅子を引き寄せ座りながら、机の上の何かに向かうボス。あたしは自分を拾ってくれたニンゲンを改めて見上げた。
「こっちは相変わらず。…え?晩御飯ならチームの連中と一緒に済ませて…あはは、心配するなって。」
 そういえばジョンに雰囲気が似てる。頭は、ジョンのよりも少し明るくて蜂蜜がかった色。跳ねっ毛の先が陽気そうに踊ってる。…え、ジョン?この前鶏のささみを奢ってくれた、親切なゴールデンレトリバー。
 目は、雑貨店の出窓で昼寝してた鼻持ちならない猫…名前なんて知らない。…に色がそっくり。でもあんなツンケンした感じとは違う。どこかあったかい。きっと、笑うたびにきらきら金色に光るせい。

「うん、それはオレも考えたッスけど。うん、うん…そう、ほっとけなくって連れて来ちゃったッス。」
 ボスは喋りながら、時々目を細めたり、頭をかいたり、弾けるように笑ったり。
「よかった。ユウナならそう言うと思ってた。」
 何だかとっても嬉しそう。でも…ふっと会話が途切れる時、ちらっと寂しげな陰がよぎるのは、今すぐ会いたい人に会えないせいだね。ため息を我慢して噛み殺した後、またボスは明るい声を作って喋りだす。机の上の何かを通して他愛も無い会話を続けることで、遠くにいる大切な誰かと自分との空間を一生懸命繋いでる。
「ワッカんちでイナミの遊び相手になるだろ?大きくなったら番犬っていう手もあるし。」
 透き通るような優しい声が向こうからその名を呼ぶたびに、日に焼けた精悍な横顔に微笑が揺れる。お日様の光を跳ね返してさざめく波を、訳もなく思い浮かべた。
 ―――この人の名前は、ティーダっていうんだ。

 機械ごしじゃなくて本当は会いたいよね。会いたいのに会えなくてどうしようもなく寂しい気持ち、あたしちょっと分かる気がする。
 気の毒になってしんみり見上げた所へ、大きな両手が伸びてきた。ひょいと抱き上げられた先はあぐらをかいた膝の上。足場が悪くて足踏みしたら、くすぐったいのを我慢しているような笑い声が降ってきた。
「ふふ…。」
 机の淵に両前足をかけるようにして伸び上がると、目の前には半透明に光る丸い機械。えーと見たことある。確かニンゲンはスフィアって呼んでるの。見たいものを映したり、音を聞かせたりするんだよね。
 スフィアはボスのしのび笑いも運んだみたい。
 え、なあに?と優しそうな女の人の声が尋ねた。ふわふわと柔らかくて、聞いていると包み込まれるようにあったかな気持ちになる。
「映像のほうも送れたら、こいつも見せてやれたのに。」
 大きな手があたしの頭を撫でた。こいつ呼ばわりされたのはちょっと気に入らないけど、毛並みを梳いてもらうのは気持ちが良くて、尻尾がひとりでにぴょこぴょこ踊った。お腹の毛をくしゃくしゃとかき回されて、もう降参。仰向けになって思う存分撫でてもらう。
 背中越しに感じるボスの膝は、ぽかぽかの陽だまりみたいで日向の匂いがした。仰向けのまま小さなあくびをひとつして、あたしはもう一度その顔を見上げた。青空をちっちゃく切り取ったみたいな瞳が、愛しげにスフィアを見つめている。
 頬杖をつき、子守唄みたいに優しい音色で聞こえる言葉にボスはじっと耳を傾けてた。それから一瞬眉根を寄せ何かをこらえるみたいにしてからくしゃりと笑った。
「かえってよかったかもな。スフィアでユウナの姿見ちゃったら、我慢しきれなくなってここを飛び出しちゃうかもしれないッス。」

 ―――今すぐ会いたい。冗談に紛れ込ませた、狂気にも似た真摯。

 離れ離れでいることを我慢して平静を装うその奥に、息も出来ないほどの痛みが透けて見える。
 困らせたくない気持ちと自分の苦しさを吐き出してしまいたい気持ちの間で、言葉にならないほどの辛い葛藤にもがいてる。

「ユウナ。」
 少しだけ鼻にかかった甘え声でボスは続けた。
「ワガママ言ってもいいッスか?」
 あたしを膝の上に抱いたまま、淡く光る球体に顔を寄せる。
「キスして。」
 ほんの短い沈黙の後、スフィアは彼女の唇が触れる音を運んだ。同時に彼がその滑らかな表面に口づける。

 呼吸をするのもはばかられるほど密やかな時が満ちる。
 二人の空間を結ぶ、神聖な儀式。



「お休み。」
 交した挨拶を最後に、スフィアはその輝きを失った。暗くなった表面に長い長いため息を吐き出してるボスの顔が映った。あたしを床に下ろし、どこか肩を落とした風で奥の部屋へ歩いてく。
 あたしは慌てて後を追った。爪の下で、フローリングの床がカチカチと小さな音を立てた。
 少し遅れて部屋へ入ると、ボスはベッドの上に仰向けになって靴を脱ぎ散らかしている所だった。床に放り投げられた片っぽが転がる音に、もう一度大きなため息が重なった。
 今夜は一緒に寝てあげるから、元気出しなさいよ。だからあたしをベッドの上に上げてちょうだい。鼻を鳴らして催促すると、ボスは勢いよく起き上がり、驚いたような顔で見下ろした。
「何だよ。一緒に寝ろって?」
 苦笑してるような口ぶりだけど、ほんとは嬉しがってるに違いない。きっと錯覚なんかじゃないよ。目は良くないけど匂いで分かるもの。
「しょうがないな、今日だけだぞ。」
 くしゃくしゃと擦り付けられた頬はお日様の匂いがした。お返しに、あたしはボスの鼻面を舐めてやった。

 言われなくても、彼女が一緒の時には、ちゃんと気を利かせてあげるから心配しないでよ。

-FIN-




-------------------------------
視点…人じゃないし!(がーん)
またユウナ出てこないし…ってか声だけ。
人前でキスするシチュエーション考えるよりも、他所様が書かないようなキスを書いてみようと変な方向に走る自分。

もしお気に召しましたら、クリックお願いします。WEB CLAP

  [HOME]