3:指笛
call me, call you


 空は快晴。明らみ始めた空のてっぺんには雲ひとつない。
 うっすらと汗ばんだ首筋に当たる心地よい風は、浜の香りを含んでいる。ガキの頃から慣れ親しんだ、故郷の匂いだ。
 最近、朝の走りこみを少し増やした。すっかり目立ってきた脇腹のぷにぷにをさすがにマズいって危機感を感じだしたからだ。監督として落ち着いた今、一線で戦う選手と一緒の体作りは要らないし、そもそも年齢的に無理だが、あんまり無様な体型じゃさすがにチームの士気にかかわるからな。
 トレーニングメニューを終えて村に戻る道すがら、峠の遺跡でユウナに出くわした。船旅の守りとして親しまれてきたモニュメントにそっと手を添えて、じっと海を見つめている。声をかけると、振り向いた彼女は張りのある声で丁寧な朝の挨拶をよこした。
「おはようございます。ワッカさん」
 何をしていたのか尋ねると、ユウナの口許ははにかむようにほころんだ。
「散歩していたら、つい習慣で。気付いたらここへ足が向いてたんです」
 最初の旅を終えてビサイドに戻ったユウナは、ここへ通っては指笛を吹いていた。消えちまったあいつに合図を送り続け、しまいには島を飛び出してあいつを探す旅に出た。そして今、ユウナが指笛を海に放つ必要はなくなった。あいつがめでたく戻ってきたからだ。

 村に入ると、見知った後姿が目に入った。くだんのあいつである。蜂蜜を溶かしたような色の頭髪に中背ながら逞しい背中。わがビサイドオーラカのエース殿だ。マーナんちの脇で、ばあさんがとれたての魚を野菜と一緒に焼いている。そこを覗き込んで何か話しかけているようだった。
 海の恵みに育まれて暮らすビサイドの村は、日の昇らないうちから潮の香りでいっぱいになる。浜から吹く風と森の緑、それから今朝水揚げされたばかりの魚介を朝餉に仕立てる良い匂い。
 魚の焼ける香ばしい匂いを嗅いだとたん、猛烈に腹が減ってきた。
 蜂蜜色の頭がくるりとこっちを向く。オレに気づいたティーダは、にかっと笑って片手を挙げた。
「おはよ、ワッカ」
「おう、早いな」
「んー、オレも今戻ってきたとこ」
「じゃあ、朝飯まだだろ。うち来るか?」
「いや、大丈夫ッス」
 用意してあるんだと人懐こい笑顔で遠慮した上、今度邪魔するからルールーによろしく言っといてと締めくくるあたり、こいつもなかなかに成長したと思う。
 いや、まだまだだった。そういや大事な懸案があったじゃねえか。
 善は急げ。オレは、討伐隊宿舎へ戻ろうとするティーダに、この間からずっと気になってたことを思い切って切り出した。
「なあ、いつまで宿舎にいるつもりなんだ?」
 こいつが突然、ビサイドの海に戻ってきてからそろそろ一ヶ月になる。
 村の入り口にある討伐隊の宿舎は、今はビサイドにやって来る旅人の素泊まり宿になっている。余談だが、ビサイドの海や山を目当てに観光しに来る道楽が流行りだして、西側の高台に豪華な旅行公司を立てる計画が進んでるらしい。数年前には考えられなかったことで、けっこうなご時勢になったもんだ。
「あ、それはオレも思ってたんだ」
 こちらを向いた顔は笑っていたが、目は随分と困っているふうに見えた。戻ったばかりの頃、ビサイドオーラカと選手契約を結びたいと相談されたときも思ったが、こいつがビサイドに居つくのは、正直かなり嬉しい。
「オレは思うんだが、村に家を構えちゃどうだ?ユウナも寺院に仮住まいのままってわけにはいかないしな。一緒に住んだらいい」
「……スピラって、そんなに進んでんのか?」
 ぶわっと耳まで赤くなった顔が、ユデダコのようで笑えた。が、何か引っかかる。何が進んでるって?
 いや、ともかくだ。
「早いとこ祝言を挙げて、ユウナを安心させてやれ」
 オレはここぞとばかりに攻勢をかけた。ユウナのためにも、それが一番いい。むしろ、好き合っている二人がいつまでもこのままでは、大変よろしくない。
 しかし、せっかく水を向けてやったというのに、相手の反応は期待を大きく裏切るものだった。
「……シュウゲン?……ってば?」
 よっぽど聞き慣れない言葉だったのか、ティーダはきょとんと首を傾げている。こいつ、祝言の意味も知らないのか。オレは頭を抱えたくなったが、ここで放り出しては可哀想だ。
「おうよ。さっさと祝言を挙げろ。けじめ、つけろってことだ」
「けじめ……」
 おうむ返しに繰り返した後、頭の上に疑問符を飛ばしたまんま間抜け面を晒している男に、人生の先輩としてここでびしっと言ってやらねばなるまい。ユウナとの仲がどこまで進んだか知らんが、けじめっつったらけじめだ。そう考えて口を開こうとしたとたん、妹同然に可愛がってきたあの娘の笑顔がちらついた。
「お前ら、そのだな。えーっと」
「何だよ。言いたいことがあるならはっきり言えよ」
 人の気も知らないで、ティーダは口を尖らせている。何でオレがひるまにゃならん?びしっと決めろ。そう、びしっとだ。
「この宙ぶらりんな状態をどうにかしないと、ユウナだって可哀想だろうが」
「は?」
 オレの言葉に、やつは頬を引きつらせた。
「可哀想? 何だよそれ、どういう意味だよ」
 食って掛かってきたが、ずばり指摘してやる。カウンターだざまあみろ。
「お前ら、することしてんだろ。だったらさっさと祝言を挙げろって言ってる」
 石を飲み込んだみたいな顔は、つまり肯定だ。あの小さかったユウナがなあ……。くそ、何か無性に腹が立ってきた。
 正義の怒りに燃えるオレの胸の内を知ってか知らずか、質問する声はひどく弱弱しい。
「あのさ、ワッカの言ってるシュウゲンって、もしかして結婚って意味?」
「そうだ」
 島のしきたりに照らしたら、その認識で大体合ってる。だからオレは大きく頷いた。
「そっか。……つまり、責任とって今すぐ結婚式挙げろってことッスか?」
「そういうことだ」
 ようやく分かったかニブチンめ。ふんぞり返るオレの耳に、ぼそぼそと精彩の欠片もない声が届いた。
「ちょっと、考える時間が欲しいッス」
「そうかそうか、じゃさっそく……って、おい待て今何つったお前!?」
 思わず荒げた声から逃げるように、やつがふいと顔をそらした。
「いやだから、ちょっと……、この話はまた今度にしてくんない?」
 そうほざくが早いか、その姿がぴゅっという擬音を添えたくなる位の勢いで目の前から消えた。
 アビリティ「とんずら」は健在ってわけだ。あの野郎、ふざけやがって。



 信じられねえ!
 すぐ応じるかと思いきや、煮え切らないことぬかしやがって。考えるまでもないだろうがこんなこと!
 こいつだったらユウナを任せられる。そう考えてたオレの目は節穴だったってことか!?

 やるかたのない憤懣をせめて分かち合おうと、ビサイドいち、いやスピラきっての知恵者であり常識人でもある奥方にオレは事の次第を話して聞かせてやったのだ、が。
 一通り聞き終わったルーは、やれやれというように頭を左右に振ったあげく、あきれたような視線を投げてよこした。
「別にあの子の貞操観念が低いわけじゃないわ。あんたが、この島のしきたりを押し付けてるだけのことよ」
 紫の瞳に浮かぶ冷ややかな光に、首筋がひやりとする。だけど、こんな言われようは納得がいかない。
「いやしかしルー、あいつが島の外から来たってのは分かってるが……、いや外から来たせいで、よそ者扱いされかねん立場なら、余計に島の掟は守らせるべきじゃないか?何よりユウナが」
「ストップ!」
 鋭い声でぴしゃりと遮られ、思わず首がすくむ。彼女は美しい紅を引いた唇から、長いため息を漏らした。
「……まあ、あんたがユウナのことを心配してそういう論法になるのは分からないでもないし、村の年長者の目もあることだしね」
 だろ?! と勢い込んで前のめりになるオレに、ルーが人差し指を突きつけた。桃色の爪が鼻先でぴたりと止まる。
「私達、村の者が言う『祝言』を、そのまま『結婚式』って翻訳したところがそもそもの間違いじゃないかしら。婚約お披露目パーティーって位がせいぜいよ」
 どうなの?と言わんばかりにおとがいをつんと上げた細君に、さもありなんと返すしか手段がない。
 好きあった者同士が揃って長老を訪れ、一つ屋根の下で共に暮らす許しを得る。その後、宴を開いてその席で村の衆に知らしめる。実際のところビサイドで祝言と呼ばれる慣習は、若者の無用な争いを招かないための方便として受け継がれてきた、ごく簡素なものだ。
「ここは、私達大人が時間をかけて教えてやるべきでしょうね」
 視線を和らげたルーは、こう続けた。
「あの少年が怖気づいてるのは、結婚そのものよりも、多分その先にだわね」
 尊敬すべきうちの魔女殿は、千里眼もお持ちなのだ。
「きっと、まだ人の親になる覚悟ができてないんでしょう。無理もないわ。まだ若いし。父親に対してずっと憎しみと劣等感を抱えてたのよ。最後に和解できたのは本当によかったけど、今度は理想の父親像と今の自分を引き比べて戸惑ってるんだと思うわ」
 首根っこをひっ捕まえられ、ぐりんと自分の通ってきた道を振り向かされたような気がして、思わず胴震いが走った。



「んあーーっ!しつっこい!」
 金色の頭をかきむしって、ティーダは開口一番に吠えた。午前の練習をさぼりやがったとんずら野郎を昼にようやくとっ捕まえたところで、この台詞である。
「ユウナのこと、もちろん責任持って幸せにするつもりだ! けどスピラってさあ、結婚するとすぐ次を期待されるだろ……」
 声の勢いは、みるみる尻すぼまりになる。果たして、ルーの言うとおりだった。生い立ちを考えたら、こいつがそう単純に割り切れないってのも分かる。だから本日二度目、ずばりの指摘をねじ込む。
「だからな、今すぐ子どもこさえろって話じゃないから安心しろ。そこは、それ、うまいことやれ」
「こ、こ、子ッ……!」
「ニワトリかお前は。まあオレとしちゃ、できるだけ早くお前達の子どもを見たいもんだがな」
 日に焼けた顔を、赤くしたり白くしたり、忙しいやつだ。こういうところは、まだまだ青いな。
「まあ平たく言えば、ルーに訂正をして来いと言われた。オレ達の言う祝言は、もともと島の男衆が狭い村の中で女を取り合わないようと始まった方便でな」
 彼は黙って、次の言葉をしおらしく待っていた。青い目がやけに真剣で、こっちも神妙な心持ちになる。
「長老に許しをもらって、村の衆に酒をふるまう。その席で二人が将来を誓い合う仲だと宣言する。内輪向けのことなんだ。そうすりゃ少なくとも島の男はもうユウナにちょっかいを出せないし、ちょうどいいだろう」
 『ちょっかい』の一言を聞いたティーダの表情が一瞬にしてひび割れるさまは、ちょっと見ものだった。まるで雷魔法の放電みたいに苛烈な色を瞳にみなぎらせ、剣呑さを隠しもしないでこちらを見据えてくる。
「そう怖い顔をするな。お前達がお互いに唯一無二の間柄だってことは、言われなくたって誰でも知ってる。けどな、この島の者はみんな、しきたりを守るって形で助け合って、シンのいた厳しい時代を生き抜いて来たんだ」
 肩をぽんぽんと叩いてやると、彼は決まり悪げに頭をかいた。
「それに、島の子どもは親だけじゃない、村のみんなで育てるんだ。イナミを見てみろ」
 自慢の息子を引き合いに出して諭すと、複雑な微笑が浮かんだ。
「ワッカは立派に親父やってると思うよ」
「そう見えるか。だがな、最初から立派だったわけじゃない。よくしたもんで、子どもを育てるうちに親も育ってくんだ」
「うん、同じことルールーにも言われた。オレが何に引っかかってるのか、ルールーには最初から分かってたみたいだ」
 ほんと、何でもお見通しだから怖いよな。と、ティーダは肩をすくめた。その点については、まったく同感だ。我が奥方ながら、その千里眼ぶりは本当に怖い。その行動力と神速の根回しはもっと怖い。まあ、仮にこれを本人が耳にすれば、あんた達がニブ過ぎるのよとバッサリ切り捨てられるに違いないが。
「それにイナミが生まれる前、ワッカがどんなだったかも教えてもらって、ちょっと気が楽になった」
 それを聞いて掌にじわりと汗が浮いた。我が奥方ながら、本当に怖い。こいつが何を聞かされたかは尋ねないでおこうと心に決めた。

「正直なところ、こんなことでお前がそんなに悩むとは思わんかった」
「こんなことって言うけどさぁ、プロポーズとか結婚とか、人生の一大事なんだから心の準備ってものがあるだろ」
 まだ納得しきれないのか、青年は腕を組んで難しい顔をしている。
「ぶっちゃけお前の心の準備より、ユウナのほうが大事なんでな」
「何それ、ひでえ」
「当たり前だろうが」
 ぶはっと最大に吹き出したやつの顔は、いくらか晴れやかになっている。オレに言われるまでもなく、ほんとは分かっちゃいるんだろう。
「だからな、そんなに難しく考えるこたぁない。二人で一緒に住むための通過儀礼だと思って、早いとこ済ませろ。なーに、多少の決まりごとはあるが、要は村の衆に酒を飲ませるだけのことだ。それだけで、誰もお前達の仲をとやかく言わなくなるんだから簡単なもんだろ?」
「はなっから、とやかく言われる筋合いもないはずなんだけど……」
「都会育ちには分からんかもしれんがな。田舎の狭い輪の中で暮らしていこうと思ったら、こういう小さいことが大事なんだよ。ユウナのためだと割り切って、黙って聞いとけ」
「へいへい」
 気の抜けた返事をしたっきり本当に黙り込んでしまった青年は、ひどく真剣な面持ちをしていたが、じきに眉をへにゃりと下げた。かと思えば、また眉間にしわを寄せている。まるで百面相だ。考え過ぎておかしくなったのかと心配になって声をかければ、
「いや、ユウナに何て言って切り出そうかなって」
 そう呟いてこちらを向いたやつの顔は、何ともしまりなく笑み崩れていた。それを見たとたん、嬉しいんだか腹立つんだか訳の分からないもんが腹の底からぐわっとせり上がって来て、オレはティーダの背を力いっぱいどやしつけていた。
「知るかっ!自分で考えれっっ!!」



 その日の夕方、むずかるイナミを戸外に連れ出しついでに、オレ達夫婦は揃って夕焼けを眺めていた。
 母親の腕に抱かれた赤ん坊は、さっきまでの不機嫌はどこへやら、金色に輝きながら流れていく雲を熱心に見上げている。
 つられて視線を放った夕暮れの茜空に、指笛の音が響いた。耳を澄ませば、応じるように指笛の音が続く。睦まじく鳴き交わす比翼の様だといえば耳当たりはいいが、聞いてるこっちが恥ずかしくなるほど、二つの音色は親密だ。
「あいつら、人の気も知らんといちゃこらしやがって」
 照れ隠しに憤慨して見せたら、ルーは風になぶられた息子の柔らかい髪をなでつけながら微笑んだ。
「ユウナとの相談、うまくまとまったみたいね」
 そのようだな。全く、我が家の賢者の千里眼には恐れ入る。


[FIN]
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ワッカ一人称なんぞで書き出した過去の自分を小一時間ばかり問い詰めてやりたい。
ティユウ7題、とても大好きで思い入れのあるお題なので、どんなに時間がかかっても書き上げる所存です。
しかし時間かけすぎや。10年以上かかってるとか、もはや笑うしかない。
シリーズの他のページ、とても古くてスマホじゃ見辛いだろうから、そのうち見栄えもどうにかしたい。
さて、残すはあとひとつ。今度の更新はいつか見当もつきませんが、ぼちぼちがんばります。


お気に召したら、ぽちっと一押しをお願いします WEB CLAP


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